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樹々にボンテージ、歩道に道草

クリスマスでもないのになんで木々に灯りを付けるのだ。意味がわからん。木にとってはSM意外の何物でもない。「ヨコハマミライト」という観光PRのようである。そんなところに金を使うなら通りの草刈りをしてくれ。どうして観光地から外れると雑草を放置しておくのだろう?それも歩道上に雑草が生えているのだ。こんな市はみたこともない。苦情センターに電話するかな。まず写真を撮ってからだ。

なんかクレーマー老人になっているようで嫌なんだが。老人が怒りやすくなるのもこういうことが気になるからなんだろう。道路の右側通行問題でもほとんどルールが定まっていない。駅で左側通行させられたら、駅を出ても左側に寄るよな。もう人も左側通行にすればいいのに。これはどこにクレーム出せばいい?

そういうことで対応させられるのがぺえぺえの社員だったり新入社員だったりする。最近ではコールセンターという苦情専門の部門や会社があったりして。韓国で青少年の労働問題で映画になった。そのあとにすぐに国会で議論されて改正されたという。そういう怒りは表現行為としては正当なのだろうな。ただ日本では言うだけ無駄みたいな空気になっているからやたら政治化するなみたいに言われる。こういう生活にかかわる怒りはもっと表現したほうがいいと思うのだが。

今日の一句。

木々にボンテージ歩道に道草

俳句にもならんな。

読書。上野洋三『芭蕉の表現』で芭蕉が素晴らしいのは俳諧師ということもあるのだけど、実は散文を書くの素晴らしくて、むしろ七部集とか『おくのほそ道』は散文の中の韻文としての俳諧のスタイルにあるのではないかと思っている。それを俳文というのだが、わたしがやろうとしいているのもそれに近いのかもしれない。日記の中の俳句だ。

また金子兜太も日常詠の俳句として、そこに「造形俳句」(想像力で詠む俳句)を持ち込むことで「定住漂泊」と言っている。今変換しながら思ったのだが「漂泊」を「漂白」と書いていたことに気がついた。同音異義語だ。AIもそういうのはまだまだなのは、言葉のつながりを点で判断するのに、面ではなかなか判断できないからなのだ。

このへんのことは、今読んでいる今井むつみ、秋田喜美『言葉の本質』に詳しい。昨日図書館で借りた今話題の本を予約して取りに行ったのだった。予約本なので先に読むことにしたので今日中に読めそうだ。あとで感想を書く。

そうだ。この本も俳句関係(表現)の本でオノマトペを扱っているので読みたいと思ったのだ。実際オノマトペのことが詳しく書かれているので、そっちの興味からも面白い本なのである。

図書館で読んでない本を一冊返却しないと借りれないので、読まずに返すが続いている。

今日は町田の図書館に行くつもりだが、『作家たちの手紙—Writers’ Letters』が返却期限が近づいているのだった。この本は作家の手紙も掲載されているので文字の美しさとかもわかるのだ。与謝野晶子が日本代表で取り上げられているけど草書だから読めないよな(候文でもある)。大した内容ではなく事務的な手紙なのだが、文字の美しさで掲載されているのだろう。字面だけ見てもリズムを感じる。他はエミリー・ブロンテの手紙が美しかった。さすが教師だったことはある。カート・ヴォネガットの手紙は内容は厳しい(捕虜になったのを家族に知らせる手紙)のだが字体は中学生の文字みたいで読みやすい。手書きには、その作家の個性が出ている。

映画。『リバイバル69 伝説のロックフェス』。オノ・ヨーコは個性の塊だった。彼女はもうアメリカ人と認識されているのだろう。だれも日本人扱いしないよな。ビートルズ・ファンに取っては解散の原因になった人だものな。その顛末が伺える映画だった。


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