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#NHK短歌
シン・短歌レッス128
王朝百首
塚本邦雄『王朝百首』をまた借りてきたので、再開。藤原秀能も初めて聞くような名前である。藤原家はみんな一緒のような気がしてくるが。
新古今和歌集で出てきていた。全く覚えてなかった。
『新古今集』の春歌上で後鳥羽院が選定したが、藤原定家は凡作とけなしていたとか。山辺赤人の歌と比較されたようだ。
濃い授業があった。このぐらいやってくれれば和歌も覚えるかも。
藤原定家と後鳥羽院の仲違い
シン・短歌レッス110
王朝百首
この辺の良さがよくわからん。詰め込みすぎのような気もするんだが。春と花散るが重なっていたり。俳句じゃないからいいのか?上句は華麗で下句は陰があるからいいのかな。それほど天才の歌とも思えないのだが。「百人一首」にも藤原義孝が載っているがそっちは駄作だという。
直接的過ぎるのか。早逝の歌人だそうだが。
NHK短歌
吉川宏志。会話を入れる。「ごめん」
会話がないな。心の会話ということ
シン・短歌レッス109
王朝百首
今日から塚本邦雄『王朝百首』をやろうかなと。塚本邦雄の仮想敵藤原定家の『百人一首』はそれほどいい句ばかりでないと言うのだった。それは自分には判断出来ないが、塚本邦雄が言うことはけっこう支持されているのだ。良い悪いもある程度自分の主観になるから、その俳句観が分かるというもの。塚本邦雄も言っているのだが和歌の世界には積み重ねられてきた伝統があり、それをまず知っておく必要があるのではないかと
シン・短歌レッス106
西行
今回は西行の月の歌を中心に。
『新古今・釈教歌』。釈教歌は仏教に帰依した心境(良かったこと)を詠ったものだが、西行は出家したので当然多いのかと思う。
しかし、歌を捨てられなかった西行であり山籠りするよりは里との境界でスタイルとして草庵生活にあこがれていたということのようだ。それは山辺という寂寥感のなかで月を眺める心持ちだった。「空なる心」はそんな西行が出家したいと思うこの世の空虚感だっ
シン・短歌レッス105
西行
『山家集』『新古今・哀傷』。西行が初めて奥州に旅をした時の歌で、古塚は藤原実方の墓だったと知って読んだ歌。「枯野」や「薄(すすき)」は実方の歌にも歌われている。
西行の歌の「形見」とは『伊勢物語』で業平が小野小町の髑髏と対面する伝承になぞらえている。後に芭蕉がこの実方の墓を訪ねようとした。
「あはれ」は小野小町が広めた言葉だった。「宮城野の原」は陸奥の歌枕で露と萩の名所として歌に詠まれ
シン・短歌レッス104
西行
「津の国の難波の春は夢なれや」は古今集に出てくる仁徳天皇の和歌ということで春の情景を詠んだものの本歌取りとなっている。
西行は「幽玄の体」と言われている。幻視体ということか。?西行の歌は能因法師の本歌取りで春を冬景色に変えてる。
「心あらん人」は心ない人ではなくある人で、「歌心ある人」の意味なのだそうだ。能因法師が連れに問いかけている歌でよほど素晴らしい景色なのだろうか?能因法師の数奇