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【掌編小説】朝起きたらブラキオサウルスが町を歩いていた。

 OLさんが朝起きた時には、恐竜が町を歩いていた。

 ずしん、ずしんとひどい地響きだったので、地震かと思ってマンションから飛び出したら、巨大な恐竜が町を闊歩していたのだ。

 ずんぐりとした胴体に、どっしりした脚がついている姿は、象のようにたくましいと思ったが、いかんせん、首が長過ぎる。遥か彼方にある頭はひどく小さく見えたし、おでこには謎の出っ張りがあった。
「なに、あれ……」
 OLさんは、取り敢えずスマホを恐竜に向ける。すると、スマホがポンと軽快な音を立てた。

『あれは、ブラキオサウルスです』
「喋った!」

 カメラアプリを立ち上げたつもりが、違うアプリを起動していたらしい。
全く身に覚えがない、【恐竜解説アプリ】なるものが入っていた。どうやら、今の声もそのアプリのもののようだ。

「ブラキオサウルス?」
『はい。ブラキオサウルスとは、腕のトカゲという意味です。一億五千四百万年ほど前の中生代ジュラ紀後期に生息していた竜盤目竜脚形亜目竜脚下目ブラキオサウルス科に分類される恐竜です』

「はあ……」
 流暢に説明されるが、OLさんには何が何だかさっぱりだった。一先ず、この謎のアプリが恐竜のことについて教えてくれることだけは分かった。

 ブラキオサウルスはビルばかり並ぶ街並みを、ビルにも負けない大きな身体でのしのしと歩く。途中で路上駐車をしている車を踏み潰してしまったが、お構いなしだ。
「どうして恐竜が……。っていうか、何処に向かってるんだろう」

 OLさんは急いで着替え、ブラキオサウルスの後をつける。
 巨大で大股だが、何せやたらと首が長いので、すぐに見つけて追いつくことが出来た。あまりそばに寄ると振動でまともに歩けないので、OLさんは二、三十メートルほど離れたところから見守った。
 それでも、充分にブラキオサウルスを観察することは出来たし、それくらい離れないと首の先まで見渡すことは難しかった。

 特に人を襲うでもなく、ビルを壊すでもなく、足元にあるものを意に介さずに踏み潰し、アスファルトを散々へこませたブラキオサウルスは、或るビルの前でぴたりと止まった。

「あれ、うちの会社じゃない」
 五階建てのオフィスビルの前に、ブラキオサウルスが無言で立っていた。
 ブラキオサウルスの長い首の先にある小さな顔は、四階の窓を覗き込んでいる。それはまさしく、OLさんが所属している経理部の事務室の窓だった。
 その窓が、無防備にも開かれる。顔を出したのは、小太りで壮年の男性だった。
 それは、部長だった。
 OLさんは、連鎖的に昨日の出来事を思い出す。部長に仕事のダメ出しを何度もされて、残業せざるを得なかったんだと。
 部長は普段の態度もひどい。三十歳過ぎて独身のOLさんを売れ残りと揶揄したり、急ぎの仕事をしている時もお茶出しを強要したり、考えが古く失礼千万だった。

 そんな部長は、ブラキオサウルスとご対面してギョッとする。怒りがふつふつと湧いてきたOLさんは、思わず叫んだ。
「いけー、ブラキオサウルス! 部長なんて食べちゃえー!」
『ブラキオサウルスは、草食性です』
 間髪を容れずにツッコミをしたのは、アプリだった。
「あ、そう……」
 OLさんのテンションは、一気に下がってしまう。

 しかし、そんな中で悲劇は起こった。
 部長をじっと見つめていたブラキオサウルスが、部長の頭をぱくりと口にしたのだ。
「ぎゃーっ!」
 部長の悲鳴が聞こえる。

「た、食べてるじゃない! いや、あれは……」
 よく見ると、部長の頭というより髪を食んでいた。
『ブラキオサウルスは、主に高所の葉を食べていたと言われています』

「ああ、葉っぱだと勘違いしたのか……」
 ブラキオサウルスは、平べったい歯で部長の髪をもしゃもしゃと噛み締め、ついにはもぎ取ってしまった。

 いや、すっぽ抜けたのだ。部長の、鬘が。
「か、返せ! 俺の鬘を!」
 部長の叫びも虚しく、ブラキオサウルスは鬘をもしゃもしゃと食みながら、ゆっくりとその場を去って行く。ずしん、ずしんという振動が、少しずつ小さくなっていった。

「あはははっ。ハゲ部長、泣いてやんの!」
 OLさんにとって、最早、ブラキオサウルスが何処から来て何処へ向かうのかとか、アプリがいつインストールされたかは、どうでもよかった。胸の内がすっと晴れ、今日も仕事を頑張れそうだと思った。

 ブラキオサウルスの姿は、もう見えない。
 アスファルトの大地についたブラキオサウルスの足跡を、朝日が静かに照らしていたのであった。

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