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夕暮れラズベリー
完璧な夕暮れ時がありました。
暑くもなく寒くもなく、頬を撫でるような風が吹いて、何かやわらかく安全なもので頭のてっぺんからつま先まで守られているような安心感があり、空は透き通るような青色から藤色へと変化する見事な夕焼けでした。
自宅から最寄りの駅で降りて同じ方向に歩く人たちと一定の距離をとりながら、いつものゆるやかな坂道をゆっくりと登っていました。
背後から小さな子どもとお母さんの楽しそうな会話が聞こえてきて、永遠に続いてほしいと切に願う人生の幸せな一幕のように思います。
私は歩きながら親子の会話に耳を傾けていました。
「おかあさん今日のお昼のおやつ、なんやったと思うー?」
「えー、なんやろ。おっとっと?」
「ぶーっ」
おっと不正解!
「ほなじゃがりこかな?」
「ぶぶーっ」
違うんか。
「パイの実か!」
「ちがーうっ」
むづいな。
「ヒントはぁ…ビ!」
いやもうビスコやろ。
「ビ??何?お母さんわからんわ」
「ヒントはぁ…ビス!」
お母さんビスコやて。
「ああわかった!ビスコぉー!!!」
お母さんがビンゴー!ぐらいの勢いをつけて世界の中心でビスコを叫んだ瞬間、
「ぶぶー!!!」
10tトラックのクラクションにも負けない勢いで不正解を叫んだ小さな子どもの声が、夕暮れの静かな住宅街に響き渡りました。
うそ…でしょ。
愕然として後ろを振り返ると、左側の路地へと手を繋いだ親子が吸い込まれるように曲がっていき「正解教えてよぉ」というお母さんの声が、何とか聞き取れた最後の言葉でした。
私はとある哲学書の命題を思い出しました。
不明瞭で複雑ですぐには消化しきれないことの大切さ
気持ち複雑すぎるわ。
空は燃えるようなワインレッドにすっかり姿を変えて世界を彩っています。
私はそれを見て、数日前友人とチョコレート専門店で食べた、チョコレートムースに想いを馳せました。
つややかな真紅のラズベリーソースでコーティングされ、甘味と酸味が調和した極上の一品。
この瞬間、次の休日につくるお菓子が決まりました。
レシピを見るとかなり手順が多く、いくつもの異なるパーツを作って組み立てていくようなスイーツである事がわかりました。
土台となるココアスポンジ、メインのチョコレートムース、その中にしのばせるミックスベリーのジュレ、最後にムースをコーティングするラズベリーグラサージュ、飾り付けるベリー類。
果たして、ミッションコンプリートできるだろうか。
不安と期待を胸に、まずは土台となるココアのスポンジケーキから取りかかります。
レシピでは冷凍された市販品を使用していましたが、謎のこだわりが発動し手作りする事にしました。
壁は高ければ高い方がいい。
しかし、越えられるかどうかは別の問題である。
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この後半分くらいの厚みに萎んだ
次にミックスベリーのジュレを作ります。
ラズベリーピューレ、グラニュー糖、ゼラチン、レモン汁、ミックスベリーを手順通りに混ぜ合わせていき、とろみがついたら準備完了です。
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主役のチョコレートムースは、卵黄、グラニュー糖、牛乳、ゼラチン、生クリームで作っていきます。
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12センチのセルクルでスポンジを抜いてラズベリーリキュールで作ったシロップを塗った後、底にはめ込みます。
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ムースで隠れるからまぁいっかと思っている
ムースを流し込み、中央をくぼませた後にラズベリーのジュレを入れ、残りのムースを上から流し込んで覆い被せます。
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ここまできたら、一晩冷凍庫で寝かせます。
初めての手順が多く手間取る中で孤軍奮闘した自分を労い、達成感に浸ったのも束の間でした。
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私は泣く泣く洗い物を片付け、その日の作業を終えました。
翌日いよいよ仕上げです。
まずは冷凍庫から取り出したセルクルを温めたタオルでくるんで、ムースを外しておきます。
グラサージュは、ラブベリージュレ、ゼラチン、ナパージュを混ぜて冷やし、とろみがついたらいざムース全体を覆うようにたっぷりとかけていきます。
しかしながら、どの程度のとろみなのかわからず自己判断でムースにかけた瞬間、失敗した事が手に取るようにわかりました。
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本来流れるように表面を滑らかに覆っていくはずのグラサージュが、あまりにもとろみが強すぎて流れ落ちず、焦って整えようとした結果です。
上にミックスベリーを飾っても、もう隠せない。
ならば遠くから目を細めて眺めてみよう。
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ならば断面にピントを合わせてみよう。
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ならば1ピースにしてブヨブヨしたグラサージュ面積比率を減らしてみよう。
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悪くない
加工も偽造も必要ない。
必要なのは物事を見る視点を少し変える事だ。
実食してみると、グラサージュを大失敗したものの、チョコレートムースとベリーの相性がとても良く、甘酸っぱい素敵なスイーツに仕上がっていました。
ベリーグッド。
他のどの一文よりこれが書きたかった。
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