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日常ループ

事の発端はどこだっただろうと考える。
細い糸を手繰りよせるように、記憶を手元に呼び戻す。

連綿と続く過去の体験の、ちょうどこの辺りが物語の始まりだろうという所でちょん切ってみる。

ローストポークだ。

速水もこみち先生流『究極のハーブローストポーク』。
これがかの有名な、オリーブオイルだくだく使いエンターテインメントショーかとYoutubeを楽しみ、数日後一通り材料を揃えてハーブローストポークを作った。

ハーブのセージを使い切れずどうしようかと悩んだ後、セージバターなるレシピを見つけた。

セージを細かく刻み、常温で柔らかくした無塩バターに混ぜこんで、また冷やす。

肉料理の他、パンにも使えるヴァタァー、おしゃれなヴァタァー、香り豊かなヴァタァーが数分で仕上がる。

こういうのを、魔法と言うんじゃない。

これを美味しいパンに塗って食べる事以外、もう何も考えられない。

すっかり冬の寒さが訪れた土曜日の朝、電車に乗ってこれまでの人生で食べたパンの中で、一番美味しいと思うパンを作っているお店へ出かける。

地下鉄の改札を出て地上に上がると、ビルの隙間風が容赦なく吹きつけ、雲の合間から太陽の光が降り注ぐ。寒いけど救いもある。

一つにキュッと結んだ髪の右側の後毛が、太陽の光を浴びてきらきらと輝いているのが視界に入る。
エアーポッズからは、シャッフル再生で選ばれたSING  LIKE TALKINGの『Spirit Of Love』が聞こえてくる。

光と佐藤竹善の美声によって、慈悲の愛で満たされる。
完璧だ。

開店15分前、ビルの角を曲がるとお店の入り口が目に入る。

人が、人が、人が、人が、大量の人が並んでいる。
ビルの壁に沿ってくねくねと大蛇のように列が続いている。

情報処理が追いつかないが、人の列を横目にざっと人数をカウントしながら、最後尾に向かって足早に歩く。

おおよそ80人。

一旦ちょこんと最後尾に位置してみる。

自分の後ろにどんどん人が送り込まれ、止まる事なく列が伸びていく。

お店のインスタをチェックすると、どうやら季節の限定商品が前日から限られた数量で販売されているらしい。

だから長蛇の列なのか。

1人1分として80分、小さいお店なので10人入れるとしも結局70分かかるって事なのと、計算がわからなくなったところで今度は神聖かまってちゃんの『いかれたNeet』が耳をつん裂く。

寒空の下、シャウトするボーカル“の子”の声が無慈悲にこだまする。

状況にもシャッフル再生にも感情が追いつかない。

人が並ぶような人気店や、先着を競いながら購入しなければいけないシチュエーションを避けてきた人生。

だのになぜ今、列に組み込まれているのか。

セージバターで美味しいパンが食べたいという事、今日が暇だという事、これまで避けてきた経験の先に何か発見があるのかもしれないという事。
何より、一旦その列に並んでしまったという事。

あれこれ理由を並べながら、離脱するかどうかの判断を先延ばしにした。

音楽を止めて、リュックから今持ち歩いている本を取り出して開いた。

背負ってるのがリュックじゃなくて薪なら二宮金治郎像だね、なんて畏れ多い事が脳裏に浮かぶ。

丁度、植物の葉緑体で行われる光合成のくだりを読んでいて、塊で流れていく雲が気まぐれに太陽を隠す寒空の下、光合成させろと心で叫びながら、震える手でページをめくった。

そのまま経過した時間約45分、進んだ距離約6メートル、めくったページ数覚えていない。
知る限り、誰かが離脱した気配は感じていない。

限界だった。

本をしまってその列から離脱し、小走りで地下鉄の駅の方へと向かった。
列に並ぶ人々が「あの人、脱落者だね…」と囁いている妄想に駆られる。

身体はガタガタと震え、指先の感覚もない。

とにかく温かいものをと飲食店の並ぶ地下エリアに行き、ひと気の少ないロッテリアに駆け込んだ。

絶品ベーコンチーズバーガーセットをポテトとホットコーヒーでオーダーする。

商品を受け取って席に着き、コートも脱がずに背中を丸めてハンバーガーに勢いよくかぶりついた。

「こんなにうまいハンバーガー、食った事ねぇ!!」

別の誰かが脳内で口汚く叫ぶ。

ポテトを5本ほど一気に口の中に放り込む。

「ひと気の少ない店のくせにホクホク揚げたてとか神オペレーションかよ!!」

別の誰かが脳内で口汚く叫ぶ。

熱々のコーヒーで口の中にあるものを一気に流し込む。

「ただのコーヒー?知るか!!スタバの100倍うまいわ!」

別の誰かが脳内で口汚く叫ぶ。


美味しさとは一体、何なのか。
あのまま列に並び続けてパンを手に入れたとしたら、一体どんな味がしたのだろうか。


身も心もすっかり落ち着くと、それでもまだセージバターをパンに塗って食べる事への欲求を諦めきれず、別のパン屋へ向かう。しつこさが定評。

地下鉄のガラスに映し出されている姿をぼーっと眺めながら、音楽に浸る。
エレファントカシマシが歌う、ユーミンの名曲『翳りゆく部屋』。

どんな運命が愛を遠ざけたの


【どんな運命がパンを遠ざけたのぉ〜】と口に出さずに替え歌しながら、滑稽な今日の出来事を反芻してみる。


事の発端はどこだっただろうと考える。
細い糸を手繰りよせるように、記憶を手元に呼び戻す。

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