りんごと踊ろタタタタン
最寄り駅から家までの道中に建っているビルの1階に、全面ガラス張りの扉がついた小さな空きテナントがありました。
薄暗いそこは一年以上薄暗いままでしたが、つい2か月ほど前に『ねこカフェオープン!』というのぼりや看板がつき、何やら営業が始まったようでした。
私はそうか猫カフェになったのかと、ガラスの向こう側にいるであろうかわいい猫たちの姿を一目見ようと、前を通るたびに歩く速度を落とし中の様子を気にしていたのですが、いまだ、人間とおぼしき店員さんと人間とおぼしきお客さんの姿しか確認できていません。
にゃんとも奇妙な話です。
現場からは以上です。
数ヶ月前から仕事の忙しさが増して目を白黒させていたところ、追い討ちをかけて御年16歳になる我が家の猫がいよいよ介護生活に突入したものですから、時化た海へと劇変した日常を乗りこなすのに必死で、また食べる事をおざなりにした毎日を送っていました。
料理?
白米は何度か炊きました。
お菓子作り?
バナナはおやつに入りますか。
最近ようやく作ることへの意欲を取り戻しつつありましたので、久しぶりにお菓子を作ろうとあれこれ考えて、いつかチャレンジしようと思っていた『りんごのタルトタタン』を作ることに決めました。
そのお菓子の名前を最初に目にしたのは、確か高校の頃まで愛読していた今田美奈子先生のレシピ本でした。タタンというあまりにも見慣れない単語に『タルトサタン』と読み間違えてやべぇお菓子だと思った記憶がありますが、やべぇのは自分だったという話しです。
レシピを検索する中で改めてその愛らしい名前の響きに触れ、一体タタンとはどういう意味だろうと調べてみたところ、フランスのタタン姉妹が経営する『ホテルタタン』で偶然生まれたお菓子だという情報を目にしました。
てっきりお菓子そのものの特徴を表す語源だと思っていたので意外です。
私は早速りんごを買いに、久しく足を運んでいなかったLIFEへ向かいました。
店頭のフルーツコーナーにいちじくが並んでいるのを見て、いつの間にか季節がすっかり秋へと進んだことに驚きながら、ずらりと並んだ梨の裏面にあるりんごの陳列棚へ行って、目当ての紅玉を探しました。
サンつがる、ふじ、サンふじ、シナノゴールド、シナノスイート、きおう。
もしかして、紅玉が店頭に並ぶのはもう少し先ではないのか。
そんな不安を胸にLIFEを飛び出し、そこから徒歩圏内のスーパーを2軒梯子した後、商店街の青果店を2軒巡りましたが、どこにも紅玉はありませんでした。
紅玉、玉砕。
紅 玉 砕。
いや何なん。
最後ここに無ければもう諦めようという気持ちで、商店街の中からアクセスできる小さなスーパーへと入ったところ、冷蔵棚にあった長野県産の紅玉2個入りパックがまばゆい光を放ち、そこに鎮座していました。
私は、ドラゴンボールを手にした孫悟空と同じ気持ちでした。
いくつかのレシピから、小さなココット型で作るタイプのものを選びました。
まずは土台となるパイ部分を作ります。
バターと粉類を混ぜたあと溶き卵を入れて生地を1つにまとめ、冷蔵庫で1時間以上寝かせます。
寝かせた生地を伸ばし、ココット型に合わせて丸く抜いたあと、170℃で20分焼きます。
次にりんごのキャラメリゼとやらを作っていきます。
グラニュー糖を鍋に入れて焦がし、バターを入れます。
カットしたりんごと残りのグラニュー糖を加え、やさしくやさしく煮込んでいきます。
全身をキャラメルでコーティングされた艶やかなりんごからは、うっとりするような香りが立っています。
りんごが煮詰まったら、1つ1つココット型に敷き詰めていき、170℃で40分焼いた後、粗熱をとって一晩冷蔵庫で寝かせます。
翌日いよいよ、仕上げの工程を経て完成です。
冷蔵庫を開けると、昨日より艶を増したりんごが出番を待っていました。
ココット型を湯煎で温めたあと、パイ生地を上に被せて180度反転させ、取り外します。
ゆっくりと、慎重に、外します。
艶やかな赤茶色、クッタリとしたりんごがまるで紅葉した落ち葉のように重なり合う、秋らしいお菓子が仕上がりました。
酸味の効いた紅玉が甘いキャラメルを纏い、口いっぱいに美味しさが広がります。土台となったパイ生地部分も調和して、最高の味へと引き立ててくれました。
久しぶりにお菓子を作った楽しさと充実感、見た目も味も満足のいく仕上がりに、心が軽く弾みます。
りんごのタルトタタタタン、なんつって。
美味しすぎて何個でもいけそうだと、早々に1個ペロリとたいらげたところで、ふと、キャラメリゼに使用した大量のグラニュー糖が脳裏をよぎりました。
グラニュー糖90g。
ということは1個30g。
タルトサタンかもしれない。
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