罪悪感は自己肯定感の低さからくるものなのかも

罪悪感は、不要な感情。
色々な媒体で見かける言葉なのですが、なかなか手放せないのが現状です。
罪悪感不要説を補強する考えはないかと思い日々過ごしていたところ、こちらの本に出会いました。

こちらの本を軸に、罪悪感を深彫りしていきたいと思います。

罪悪感は自己肯定感と密接に関わっている

これが本質なのでは、と思います。
たとえば人に頼みごとをする場面での罪悪感を想像するとします。本書によると、

「頼みごとをして、相手の迷惑や負担になったら申し訳ない」と思ってしまうのは、結局、「相手にとって自分が頼るのは迷惑なこと」、つまり「自分には人に頼ったり、人に助けてもらったりする価値がない」という考えがベースにあるためです。

罪悪感を感じていたとしても、こんな言い換えをされたら途端に全力否定したくなりますよね😂

この言い換えを、私が罪悪感を感じる場面に適用してみると…
・下の子育休中に上の子を保育園に預けている(かつての罪悪感)
・時短で、仕事をしている同僚を横目に帰れなければならない場面

↓言い換えると

・育休中なのだから、子どもの面倒をつきっきりで見なければ母親としての価値がない
・自分には、同僚と同じだけ仕事に時間を投じなければ職場での存在価値がない

自分で言っててキツイ😂
これらに共通するのは、提供価値で自分の存在価値を測ってしまっている考えが根底にあるということです。

提供価値=存在価値ではない

「提供価値」と言われると、私は生産性(お金を稼ぐ、母親としての役割を果たすなど)が思い浮かびます。
これは私の場合であり、おそらくその定義は、育った環境や思想、立場や状況によって人それぞれかと思います。

しかしそもそも、提供価値があろうがなかろうが、その人が存在することそのものの価値とはまったく関係ないんですよね。

提供価値で存在価値を測る。
この価値観はおそらく、生きているなかで周囲の価値観に反応しながらじわじわ形成されるものなので、完全払拭はおそらく難しいと思うのですが、自分自身に言い聞かせることはできます。
提供価値≠存在価値
なのです。

罪悪感とは防衛的な気遣い

罪悪感とは、「相手に失望され、責められ、傷つけられる前に、自分から申し訳なさを感じておこう」という、自己防衛的な思いから生まれている側面もあるそうです。

もともと罪悪感とは、「関係修復」のための感情だそうですが、実際それとはマイナスの方向に作用するそうです。

罪悪感がもたらすリスク

それは以下の2つ。

置かれている状況を正しく判断できなくなる

たとえば、仕事に行き詰まり、職場を何日も無断欠勤してしまった場面で…

本人
「自分のせいでみんなに迷惑をかけてしまった。同僚たちには顔を合わせづらい…」

職場の同僚たち
「とにかく本人に事情を聞き、進捗を確認し、協力し合って問題を解決したい」

このような行き違いがあった場合、その罪悪感は非常にナンセンスということになってしまいます。そして、罪悪感を抱えるということは往々にしてこのような思惑の行き違いを生み出してしまうのです。

本書では、

一見相手のことを考えているようで、実は相手の気持を完全に無視した行為であり、結局誰も幸せにはしないのです。

罪悪感によって他者にコントロールされるリスク

2つ目のリスクとしては、様々な場面で不公平なトレードに罪悪感が利用されるということです。
不公平なトレードとは、理不尽なノルマ、モラハラ、セールスの押し売りなど。
人の罪悪感を利用して優位な立場に立ち、相手をコントロールしようとする、そのような人に対峙した場合、罪悪感を感じやすいと非常に不利な立場に立たされます。

つまり、罪悪感はいいことなし。
ではどうしたら良いのか。

自分のルールで生きることで罪悪感を手放す

本書で紹介されていた最初のステップとしては、自分に合わないもの、やりたくないことを見つけ、NOと言うことから始めると良いそうです。
人は望まないことを勇気を出して断っていくうちに、少しずつ「断ること」に慣れ、上手に。そして二次的に、必要のない罪悪感を抱くことがなくなるそうです。

罪悪感は他人の領域への侵入

罪悪感は、他者が自分の領域に踏み込むために利用されることもたれば、罪悪感自体、他者領域への侵入でもあるそうです。

たとえば、前に取り上げた、人に頼み事をする場面。
この場面では、頼み事を迷惑と思うかどうかはあくまでも相手の問題であり、勝手に相手の気持を想定し罪悪感を感じることをラインオーバー(他人の領域への侵入)だと主張しています。

まとめると

罪悪感は‥
・自己肯定感の低さに起因する不要な感情
・他者との関係においてマイナスの作用がある(思惑の行き違いを生みやすい、他者に利用されるリスク)

これらを認識したうえで、
提供価値=存在価値になっていないか?
マイナスの作用を認識しているか?

改めて自分に問い、本当に罪悪感を感じる必要があるのか、しっかり吟味したいところです。

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