(長編童話)ダンボールの野良猫(十六・一)
(十六・一)黒猫ノラ男登場
これにて何とか騒ぎは収まった。のも束の間、何処をどう調べ上げたものか、熱狂的ファンを自称する野郎共が、若葉荘にまで押し掛けて来るようになった。その為身の危険を感じた響子は、真理に頼んで急遽引っ越すことに。二十五年間住み続けた、愛着の染み付いたいとしの若葉荘ではあったけれど、ノラ子の為なら仕方ない。泣く泣く別れを告げると、芸能人御用達は華々しき六本木のマンション『摩天楼タワービル』へ。
引っ越しとはいっても、響子もノラ子も荷物なんて殆どないようなもの。だからさっさと済ませて、4LDKの新居でのーんびり。
「でも、ふたりで住むには、ちょっと広すぎかしら」
瞳をダイヤモンドにしてため息吐く響子に比して、けれどノラ子はぽつり。
「若葉荘が、良かったあ」
「ほんと、変わった子ねえ、あんた」
呆れつつも、実は響子だって本音は寂しい。
「でもさ、ノラ子。芸能界なんて所詮水物。ノラ子だっていつ飽きられるか、分かったもんじゃないわよ。だから落ち目になったら、さっさとリヤカー引いて、またあそこに帰ればいいじゃない」
「そっか。そうだね、ママ」
微笑むノラ子に、響子は苦笑い。この時実は響子、若葉荘の部屋の解約はせず、家賃を払い続けながら確保しておいたのだった。
こうして本選考会をすっ飛ばしたのは予想外だったけれど、ほぼ真理のシナリオ通りで事が運び、まんまと成功。ノラ子は早速デビュー曲、シングルレコードの制作に取り掛かった。
初めは詞、曲ともノラ子のオリジナル、今流行りのシンガーソングライターってやつ、で行くつもりでいた。が、そんな折ドリームプロダクションに、ノラ子宛一本の電話が入った。相手は今をときめく若き天才詩人、黒猫ノラ男(二十歳)その人だった。
ノラ男はその名の通り、と言ってもその名が本名なのか筆名なのかは不明、顔は日焼けサロンで焼いたような色黒。出生や身元などプライベートは秘密のベールに包まれており、不可思議でかつ詩人にでもならなければとても食っていけなそうな、軟弱男でもあった。
そのノラ男が一体何の用があってノラ子に電話して来たかといえば、ドリ誕でノラ子をひと目見るなり、ビビビビビーッと来た、のだそうだ。
「そのまま神懸かり、溢れんばかりのインスピレーションが押し寄せ、ぼくはね、さささのさーっと、ひとつの詞を書き上げちゃったのさ」との事。
「よってここはひとつ、親愛なるノラ子嬢に見て頂けないかと電話した次第」
あっ、そう。と言うかノラ子も響子もそんな男など露知らず、興味は湧かず仕舞い。
「ノラ子、そんな詩人なんて、どうでもいいかも」
「じゃ、悪いけど断っちゃおうか」
響子の口から、あっさりとお断り。しかし後日これを知った真理が、えええっ!うっそーっ、と大騒ぎ。
「奇蹟の歌姫と天才詩人のコラボレーションなーんて、絶対大うけよ。何なの、ほんとあんたたち欲がないわね、勿体無ーい。ここはわたしに任せて」
改めて真理は曲の制作現場に、ノラ男を招いた。こうしてノラ子とノラ男の対面が実現し、ノラ男は早速持参した自作の詞を披露。
タイトルは『ダンボールの野良猫』。
えっ……。
ところがそのタイトルを聴いた途端、なぜか今迄全く興味のなかったノラ子の顔が一変。『ダンボールの野良猫』というタイトル、ただそれだけで、ノラ子はほろ苦い郷愁のようなものに襲われるのだった。
『ダンボールの野良猫
木枯らしのダンボールにうずくまり
野良猫が眠っているのを誰も気付かない
ただ空地にダンボールがひとつ
転がっていると思うだけ
この星空と凍りつく冬の荒野で
ダンボールの野良猫が見ている夢は
いつかわたしも見た覚えがある
待ち遠しい春のにおいのする夢
まだ土の中で眠る草の芽が見ている夢
海にとけた雪のかけらが
ゆらゆら波をただよいながら
また空に帰る日を夢見ている
そんな夢とおんなじ
寒さに目を覚ました野良猫の
夜更けのダンボールにしみついた
涙のにおいを誰も知らない
ダンボールにしみついた夢のかけらを
誰も分かち合いはしない
夜が明けたら
また生きてゆくための戦いがはじまる
ダンボールの野良猫』
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