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82年生まれ、キム・ジヨンを読みました。


切なくて憤ってモヤモヤしてこれからの生きる力になるような小説。

(ネタバレありです。ご注意ください)

2016年で韓国でベストセラーになった小説。
映画化もされて、2018年に日本で発売された途端に
話題になりました。

この小説のタイトルをはじめて聞いた時は、
ジヨンは82年生まれだし、お国も違うし、共感する要素は少ないのだろうな…と思っていました。

でもTVのドキュメンタリーでこの小説のことを紹介していた時すごく興味が沸いて、まずは映画を観ました。

映画はすごくよかった。
内容は、
娘が生まれて子育ては大変だけど、やっぱり娘はかわいいし大事だし、旦那さんも優しい。
好きな仕事はやめてしまったけど、自分が選んだことでもある。
(でも仕方ないという感じの方が強い)
元会社の上司(同僚?)の女性はユニークでとてもいい人で、ジヨンの生き方も憤りも認めてくれる。
病気(多重人格のような症状)のせいで、せっかくの再就職の話も流れてしまったけど、
ジヨンは「書く」という行動で自分自身と向き合おうとする。

映画はこんな感じだったと思います。
就職した経験もなく学歴もなく結婚も出産もしていない
私でも、とても共感できて
胸がザワザワとしました。

一般的には、よく私のような独身女に対し「子ども産んでないからわからないだろうけど」という言い方で女同士がマウントを取り合うという光景があるけど、
本当にそういうことではないのです。
既婚者であっても独身であっても子どもがいてもいなくても…
「女性である」というだけでなにかを押し付けられる、決めつけられる、
という息苦しさはみんな何かしら経験していると思います。

特に、ベビーカーで赤ちゃんをつれてコーヒーショップでコーヒーを
買っていると「ママ虫」と陰口をささやかれてしまうシーンは
愕然としました。
私のような独身が「結婚もせず子どもも産まないなんて…」と嫌みを言われることはまだわかるのですが(もちろんほっとけよ!とイラっとはきますが)ちゃんと子どもを産んで子育てしている女性にまでそんな陰口を
たたかれるなんて、じゃー、どーすりゃいいのよ!て感じです。

独身のままだと周りからウダウダ言われて、
結婚して出産した方でもなんやかんや言われて、
女性は本当に生きづらすぎます。
この根本的な原因は一体何?

それでも映画で印象に残ったのは、旦那さんが優しいということ。
完璧にではないけど、確かにジヨンの味方であろうとしてくれます。
(夫を悪者にはせずカッコいい感じの俳優さんに演じさせるのも
韓国らしいところ…なのかなぁ)
映画版は、ラストもなんとなく清々しいというか、
明るいハッピーエンドに向かっているという終わり方でした。

映画を観てから数年経ち、今回ようやく文庫が発売となったので、
原作のほうも読んでみることにしたのです。


小説の方は映画よりも救いがなくて、ブラックで、ラストはかなり考えさせられます。
何も解決していない…。ジヨンの物語をハッピーエンドにさせるか否かは、この物語に共感した女性一人一人にかかっているのかなと思いました。

世の中、女性に対し「当たり前でしょ」「普通は」という言葉で溢れています。

女性は母親になりたいものだとか、母親は子どものためを一番に考えるものだとか、離婚は不幸だとか、未婚はかわいそうだとか変わってる、とか、言い出したらきりがありませんが。

「そんなんじゃモテないよ」とか「私ってモテなくて~」という言葉を
普通に女性たちは使います。(男性が女性に言うのではなく、
女性が女性に言う)

でもどうして異性にモテなければいいけないのか?
もちろん「モテたい!」と努力している人はそれでいいと思います。

でも、「誰でも異性にモテたいはず」という決めつけは一体何のためなのでしょう?

男の子は好きな子をいじめるという謎



小説にも映画の中にも出てきたエピソードなのですが、小学生の男子って、よく女子をからかったり意地悪をしますよね。
(すべての男子がいじめるわけではないです。アホな男子のみです)

ジヨンは大嫌いな男子からひどいことをされても、大人から「あの子はジヨンのことが好きなのよ。ウフフ」みたいな感じで諭されます。

この件、めっちゃいやな感情が沸いてきました。
ジヨンは「そんなの嘘だ、好きならば優しくするはずだ」と訴えます。
本当にその通りだと思います。

でも、私もジヨンが男子に意地悪をされているシーンを見て、
「ははあ、この男子はジヨンのことが好きなんだな」
と、自然に思ってしまったのです!

ここに一見なんてことないように見えて
壮大な刷り込みをされていたことに気づきました。

日本でも昔から少女漫画や恋愛ドラマなどで、
男の子がヒロインにちょっかい出して泣かせたりして…みたいな内容は
お約束でした。
その後、数年経って「あの時おまえをいじめたのは好きだったからなんだ」
とかなんとか言われてハッピーエンド(?)。
「幼馴染みもの」というジャンル…でしょうか。
少女漫画にはとにかくその手のものが多い。

「意地悪するのは好きだからだ」
が、もし本当だとしても、それが何か?という感じです。

相手が「好いてくれているのだから」いじめられても意地悪されても
許せということでしょうか?

「漫画やドラマの中の話じゃないか」と笑って済ませられない問題だ!
と思いました。
好きな子をいじめることしかできない男子は危険です。
大人になったら間違いなくDV男かモラハラ男になるでしょう!

子どもだろうが大人だろうが、
「意地悪をして気を引く」という行為は
愛でも恋でもなく、ただ支配したいだけです。

子どもの頃にそれを勘違いして覚えてしまったら
大人になっても引きずること間違いなしです。

あまり昔のことは思い出したくなかったのですが、
そういえば小学生の頃、一部の男子たちは
女子をランキングして楽しんでました。

「こいつはブス」と言ってからかっている
男子たちは本当に心の底から楽しんでいるようだったし、
滑稽なのは、自分達の容姿は「男子だからなんでもよし」と
スルーさせていること。
男子だから女子をランキングしてもいいという考え方は
幼いうちに直さないと、多分一生直りません。

「俺(男)は選ぶ立場である」
という考え方は、よく考えると傲慢で謎なルールです。
でも、これは知らず知らずのうちに「常識」となり
「普通」となりじわじわと世の中に浸透しています。


「書く」ということで強くなることを信じる


私が今回、こうやって「82年生まれ、キムジヨン」の読書感想文を
書いておこうと思ったのは、映画の中のジヨンがそうしたように
書くということで自分を改めて見つめ直そうと思ったからです。

本を読むことは好きだけど、読んで受けとるばかりではなく
それを機に発信もしていかなければと思いました。

そしてモヤモヤしたことも含めて感じたことを
今後の自分の漫画にも生かしていきたいです。

私のような売れない漫画家は、
どこかでいつも自分の作品に対する不安や
自信のなさを抱えています。

「売れさえすればもっと自信がつくのに」とか
「もっと売れさえすればもっと自分の意見を堂々と言えるのに」とか
いつも思っています。

でも、違うのです。
売れない漫画家であっても、
自分の意見をもたなけばいけない。
編集者の言うことよりも、
自分の考えを信じて、自分の思うことを貫いて
描いていかなければいけない。

「売れない漫画家のくせに」と言われることが
とても怖い。
そしてとても悔しい。

でも、そういう恐れが私にとって克服していかなきゃ
いけないことなんだよな。
強くならなくちゃ…
…と、私は思いました。

同じ本を読んでも、感想はきっと人それぞれ。
そしてその後の人生にどんな風に影響を及ぼしていくかも、
人それぞれ。

自分の感じたことを信じて…。

私も漫画を描いていこう。








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