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掌編小説|S.S.S.新橋|シロクマ文芸部

「風の色……白い……」
 講堂の中を吹き抜ける風さえも白い、そう錯覚してしまうくらい、この空間は何もかもが白一色で埋め尽くされている。
 真っ白な壁は緩やかにカーブを描く天井へ繋がっている。ここから見上げると、まるで白い空だ。

 少しだけ首を動かして周りを見渡す。何人もの男、女が、今の私と同じように白い床に仰向けに寝そべっている。皆、白い衣服を身に纏って。
「起き上がりましょう」と、その一人一人に声をかけて回る女性がいる。彼女がどのような人物なのか、私は知らない。今の時点でわかることは、彼女の名前がアリで、私は彼女によってイルという呼び名をつけられたということだけだ。

「さあ起きて。イル」
 そう言って、アリは私に持ち手まで真っ白な風車かざぐるまを渡した。

 パンパンッ、とアリが手を叩く。〝解放〟と呼ばれる時間の始まりの合図だ。床に座って、または歩きながら、各々が白い風車を回す。
 腹底から内部を突き上げるように、風車目掛けて細く長い息を吐く。そうすると、徐々に視界は開けていき、取り込む光の量が変わる。明るい。

 ふと止まった視線の先に見知った顔があることに気がついた。丸まった背中と黒縁メガネ。脇目も振らず風車を回す彼は、柴田しばたさんだ。
 思い立ち、後ろから近づくと「柴田さん」と声をかけた。驚いたのか、体を震わせ振り向いた柴田さんは大きな声で「上島うえしま!」と言った。

「お静かに!」
 アリが私たちに厳しい口調で注意する。
「ここでは与えられた名前で呼びあってください。さあ、言って。私は、アリ」
「私は、イル」
「わ、私はブイ」

 ブイ。思わず吹き出してしまった。込み上げる笑いが収まらず、風車で顔を隠して俯いた。アリの顔を見るのが怖い。

 しばらく私を見張っていたアリが、諦めて去っていく足音を聞くとようやく顔を上げた。ブイはそっぽを向いて、息を吹きかける度にずれ落ちるメガネを何度も押し上げている。
「すみません、ブイ……」
「いや、いいよ。呼び名なんて……なんでも」
 そう言いつつこちらを見ないブイは、明らかにこの名を気に入っていないようだ。

「どうしてここ、体験してみようと思ったんですか?」
「さあ、職場から近いからかな」
「まあ、そうですよね。私も同じような理由です」

 一時ブームになった〝風車体幹キープメソッド〟の姉妹校ができると聞いて体験の申し込みをしたのだ。
 私とブイは部署は違えど同じ職場の先輩後輩だ。だからきっと、同じような悩みを抱え、同じような疲れを日々感じている。

「S.S.Sって、なんの略なんですかね」
 壁にかかった白い幕に書かれた学校名、〝S.S.S.Shinbashi〟を見て私がつぶやくと、え、と声を出したブイが険しい顔で私を見た。
うえ……イルは、ここの理念も知らずに体験にきたのか」
 ブイは呆れ顔でため息をついた。
 理念なんて。今の私にはどうでもいい。ただ、新しいことを始めて、現実から目を逸らしたかっただけだ。

「Simply Sympathy Symphonyの頭文字だよ」
 ブイがメガネを押し上げる。知ったように理念を口にするブイは面白い。今日初めて体験にきたくせに。

「シンプリー、シンパシー、シンフォニー、新橋?」
「そういうこと」
 互いに目を合わせ、笑った。
 解放と呼ばれる時間は和やかで、みんなリラックスした表情なのが印象的だ。
「体験で4000円は高いと思ったけどさ、今日、来て良かったよ」
 ブイが明るい表情でずれたメガネを戻した。
「私もです。……あの、私、辞めるんですよ。今の仕事」
 そう告げて、ふう、と吐いた重たい息は風車を回すことなく、ゆっくりと白い床に吸収される。
「実はな……俺もだ」
 ブイはそう言うとメガネを外し、着ている白いTシャツの裾でレンズを磨いた。

「なんか、似てますね、私たち」
「sympathyってやつか」

 ダサっと思ったけど、嫌じゃない。
「ブイ……あの、飲みに行きませんか? このあと……」
「ああ、いいよ。新橋だからな。昼から飲むのも悪くない」

 パンパンッと手を叩き、壇上に上がったアリが得意げになにか話している。大袈裟な身振り手振りは、まるでオーケストラの指揮者みたいだ。




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