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ここにある すべて。

午後八時半。チャイムが鳴った。
誰か訪ねてくる予定はない。なにかネット注文していただろうかと考えたが思いつくものはなく、インターホン越しに要件を聞いた。

相手は聞き覚えのある声で「郵便局です」と言った。

こんな時間に郵便物が届くのは珍しい。だけど、これが朝の八時ごろであれば、送り主にだいたい察しがつく。

おじさんだ。

おじさんというのは私の長年の文通相手のことで、御年80歳。私が幼い頃住んでいた家の目の前のアパートに夫婦で暮らしていた寡黙な男性のことである。血縁関係にはない。


受け取った小包は、黄色いビニールの上を青と緑のテープが縦横に巻かれる独特の梱包をされていた。この梱包の仕方はこれまで何度も見たことがある。私の目の前にいる、この地区担当の郵便局員もまた、何度も目にしていると思う。

送り主はやはり、おじさんだった。


側面に『幸せの黄色のハンケチ』の文字。


品名には『手紙』。


表面に『手紙』と書かれていた。
郵便小包の中身が手紙。とても興味深い。

これまで、おじさんから何度も郵便物を受け取っているが『手紙』と書かれたものは見たことがない。中身がなんであろうと、手紙を添えてくれるのは当然だから、あえて書くとは何を意味するのだろう。

そういえば、ここ最近もおじさんは度々小包を送ってくれていた。その中身といえば、70リットルのゴミ袋、チューブで売られている『わさび』や『しょうが』類、缶詰、アームカバー、などなど。家の片付けでもしているのだろうかという内容だった。

おじさんから送られてくるものは、必ずしも私が喜ぶものばかりではない。ここ数年はこんな調子で、おじさんの捨てるに忍びない気持ちを私が受け取り然るべき措置をとる、というのがお決まりの流れになっている。だから何を送られても、その場では驚いたとしても動揺しなくなった。私の元へ届いた時点で私の好きなようにすることができる。それが私とおじさんの暗黙のルールなのだ。


梱包を解くと見えてきたメッセージ。
おじさんはなぜ容れ物に書いてしまうのか。


よく見ると救急箱だった。


『幸せの黄色のハンケチ』
『手紙』
『エメラルドの宝石言葉』
『レトロポップな救急箱』

キーワードは今の所4つ。
推理好きな人であれば、ここで箱の中身について色々考えをめぐらせるのだろうか。

私はそんなことはしない。ささっと中身を知って片付けたい。


というわけで開けてみる。オープン。








手紙だった。


私がここ数年、おじさんへ送った手紙だった。


茶色の封筒ばかり。
無印良品のレターセットを度々買っていたから、集まるとこんなにも茶色く見えてしまうのだ。

もっと華やかな色の封筒で送っていたら良かった。

ところどころ見えているゆうパックの送り状は、おじさんが私になにか送ってくれたときの控えのようだ。

とりあえず数えてみる。
私からおじさんへの手紙は79通。
おじさんからのゆうパックの控えは26枚。
(それから、私の全く知らない人からの葉書が三通、紛れ込んでいた)




この手紙の束とは別に、おじさんが私に宛てて書いてくれた手紙があった。

A4の紙に、『傘寿内祝・特報です!』とタイトルが書かれている。

おじさんはパートナーをなくしてから、3匹の猫たちと暮らしていた。自然と住みついた猫たちで、たまにふらっと出ていくことがあってもまた戻ってくるような関係だった。

その猫たちが、奇しくも6月某日、おじさんのお母様の命日に一斉に巣立ったのだという。

21年間猫と共に暮らし、2匹はお墓に眠っていて、残った3匹の将来を案じていたところの巣立ち。これをおじさんは『特報』と言って知らせてくれた。

おじさんは寂しくもあり、だけどこれからは家を空けることができるため『新しい人生の出発』だと言って喜んでいた。

今後は猫に使っていた経費分でクラシックを鑑賞し、回想の旅に出るのだという。




巣立ちした 私の猫と
家の近所で見つめ合う。

『その3秒』20字小説。




戻ってきた手紙を不思議な気持ちで眺めた。
数年の間に私から送った79通。

なぜ手紙を小包で送ったのか、おじさんからは説明がない。



おじさんと交わした数年分の言葉が束になって目の前にある。

私から79通ということは、同じ期間におじさんが私に送ってくれた手紙は100通くらいだろうか。もっとかもしれない。






どうしてか、涙がでる。

この小さな箱に詰まった79通は私とおじさんのすべてなのだ。
家族ではないから、盆や正月に会うわけじゃない。

それでも家族以上、友達以上におじさんとは正直な言葉を交わしてきた。そのすべてがここにある。

過去の自分の生み出したものの束はとても奇妙だし近寄り難い。

本心を言えば、戻ってきて欲しくなかった。ずっとおじさんの手元にあればよかったのに。


この気持ちを共感できる人っているのだろうか。
多分いないから、ひとりで受け止めるしかない。そもそもどんな気持ちも自分一人にしかないものだけど、それでもこの気持ちはとても形容し難い。


おじさんは回想の旅を始めるという。
まずは鹿児島と言うが、東京に住む齢80の独り身のおじさんが、鹿児島まで行けるのだろうか。
数年前、私たちは10年以上の時を経ておじさん行きつけのスナックで再会した。その時のおじさんは、手紙で知らされているよりは随分頼りない体の動かし方をしていた。 


おじさんとは11月に会う約束をしている。
無事に会えるといいけど、どんな気持ちで会えば良いのだろう。

私と会うことも、おじさんにとっては回想の旅の一部になるのだろう。

おじさんは猫が巣立ち、これからが新しい人生の出発だと言ったけど、この手紙の束を見ていると、私にはなにかが終わるように感じられてとても寂しい。


近々またおじさんに手紙を送る。
それはおじさんの年齢と同じ、80通目の手紙になる。

おじさんの新しい人生を祝す手紙に、私は何を書くだろう。



離れた言の葉が
旅立ちを告げに戻ってくる。

『かつての私自身』20字小説。







#エッセイ

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