#創作大賞感想 | なんのはなしですかコニシ木の子さん。
はじめに。
私は文通をひとつの趣味としていますので、これはある意味、大切な方がno+eの街に放った文章に対する返信・お手紙です。
むかしむかしあるところに、
3年間もたった一人で
「なんのはなしですか」と
自分自身や、振り向かない周囲に
叫び続けた〝男〟がおったそうな……。
皆様はこの話をご存知ですか?
これは現代のno+e史に刻まれつつある、壮大な物語の冒頭です。
「なんのはなしですか」
届きそうで届かないこのつぶやきが、いつからか、no+eの街のあちこちで見られるようになりました。
・
私はこの言葉がブームになるほんの少し前、この〝男〟と出会いました。
〝男〟などと呼んでは失礼ですね。
彼はno+eの路地裏で、行き場を失いかけた記事を読み、コメントを残し、マガジンに収めるという、途方もない作業を11週も続けてこられた、コニシ木の子さんその人です。
この度、コニシさんが本気のエッセイを書かれました。
この日、たまたま路地裏に遊びに行った私は、「なんのはなしです課」の前を通りかかり、掲示板に堂々と張り出されたそれを見て
「なんのはなしですか……」
とその場に泣き崩れたのでした。(嘘)
愛に溢れていました。
自らが叫び続けた「#なんのはなしですか」を使用し始めた愛すべき路地裏の住人たちへの愛。
それから、創作の場を守り続けてくれるno+eへの愛。
そしてなにより──
創作を迷う人へ、さりげなく、どこまでも居心地よく(イケメンに!) 寄り添うことができるようになった〝自分自身〟への愛。
そんな愛に溢れたエッセイでした。
3年の時を経てコニシさんは気づかれたのです。
己ひとりで書いていた「なんのはなしですか」には、多少の奢りがあったのだと。
いえ、ご本人はそこまでは言っていませんが、厳しく言えばきっとそういうことだったのです。
なぜなら、私は以前からコニシさんの使う「なんのはなしですか」を知っていましたが、それは彼自身のものであり、作品であり、共有などまっぴらごめん(言い過ぎ)、というオーラが無かったといえば嘘になります。
ですから、「なんのはなしですか」をタグとして使うなんてとんでもない、そう思っていました。
しかしそんな中で、私もよく知る勇敢な女性が、度々「なんのはなしですか」をタグとして使っていることに気が付きます。
このとき、私の中で何かがうずきました。
「わたしも、使ってみたい……」
だって便利すぎるから。
なんのはなしですかと言って逃げられるなら、いくらでも記事を書けるから。
そうして恐る恐る使い始めます。
さらに、よく周りを見てみると、私のように思っていたno+eの大勢が徐々に使い始めていたのです。
ここで私は、自分が大きく勘違いしていたことに気が付きます。
「#なんのはなしですか」は決して〝逃げ〟で使うものでは無い。いや、使ってもいい。だけど、エンターテイメントの一環として使う方が圧倒的に多い。
みんな、楽しんで「#なんのはなしですか」を使っているのでした。
と、ここまで書いたところで一体、自分がなにを言いたいのかわからなくなってきました。
これはお決まりの言い草だな、と思われる方もおられると思いますが、本当に、自分がなにをこんなに熱く語っているのかわからなくなったのです。
もどかしいです。
この文章を作るのに流れていった時間を思うと悔やまれます。
……消そうかな。
だって意味わからないし。
ま、#どうでもいいか。
あれで締めちゃえば。
なんのはなしですか。
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