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青い月夜 (#シロクマ文芸部)

「冬の色仕掛けというのは、大抵成功してしまいます」
女は私に背を向けて、手早くニットを羽織りながら申し訳無さそうにそう言った。
女と一晩過ごしたこの部屋は真っ暗だ。
窓から差し込む、ほんの僅かな月明かりを頼りにしているわりに、女は手際よく衣服を身につけていく。
「そんなふうに言われると、僕だって少しはプライドが傷つくよ」
そうは言ってみたものの、実際は傷ついたりしていなかった。
彼女に出会い、一晩限りだったとはいえ、素晴らしい時を過ごしたことは事実で、今も別れがたい思いでいる。
「君はいつもああいうことをするの?」
私は言ってしまってから、なんだか品のない物言いだったことを恥じたが、女は小首をかしげただけで何も言わなかった。それでも私の右手は、無意識に女に噛まれた左腕をさすっていた。
「冬は、誰もが人恋しく思うものなのでしょう」
女は呟くように言う。女は時々、ひどく小さな声で話した。女の言葉を聞き逃したくなくて私がそばに寄ると、女は驚いたように私と距離をとった。
「そんなに驚かなくても」
女は顔を伏せたまま、黙ってしまった。
「それにしても。こんなに暗い時間に外へ出るなんて危なくないのかい?」
女が帰り支度をしている今は朝の四時半で、外はまだ夜の暗さだった。
「ええ、この時間でないと駄目です」
女はきっぱりと言った。
「どうして?」
私は尋ねた。私が無邪気に質問したとでも思ったのだろうか。女は少し笑っていた。
「だって、誰にも見られたくないですから。男を漁った翌朝の姿なんて」
女はスカートのシワを伸ばすように勢いをつけて立ち上がった。
「その顔をでしょう。見られたくないのは」
私はできるだけの落ち着きと静けさを持って女に問うた。
私の問いに、女の動きは止まった。窓を背景にして浮かび上がるシルエットで、女が大きく肩で息をしているのがわかる。
「僕はあのとき、だいぶ酔ってはいたが」
女は音を立てずにベッドの端に座り直した。
「君の巻いていたマフラーが隠しきれなかった、肌の引きつりを見ていたわけで」
女が唾を飲み込む音が、静かな部屋に響いた。
「君の口がどんなに……」

一瞬のことに、熱さと痛みで目眩がした。私に襲いかかった女の鋭い牙が皮膚を貫いている。それでもどこか心地よく感じたのは、冬の青い月がカーテンの隙間からこちらを覗いていたからか。
「バケモノめ……」
私は愛情を込めてそう言った。それはしっかりと彼女に届いたようで、次の瞬間、私の腕を引きちぎり、裂けた口を大きく開けて腕を丸呑みにした。
げこげこと不気味な音を立てて嚥下する彼女の白い喉元を見ながら、急激に私の見ている世界が小さくなっていくのを感じた。

青い月夜には
口の大きく裂けた 寂しげな女が
温もりを求め さ迷っているものだ。




[完]


#シロクマ文芸部

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