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エッセイ | 善悪でだめな時は損得で考えてみるのかもしれない。

    どうにもならず、ぐるぐる思考に陥ることがある。そんな時、大抵は推しのライブ動画を真剣に見たり、寝たり、書いたりで気分をあげることができるのだけど、今日はなかなか苦戦している。
    本を読んでみたり、15分仮眠してもだめ。頭の中が熱くて重い。

『善悪で考えずに損得で考えてみなさい』と言った誰かを思い出す。

    確かに、今日のわたしを悩ます問題に関して言えば、自分本位に善悪をつけて後悔したり腑に落ちなかったりしているのかもしれない。

    わたしには姉がいて、この姉は損得でものを考えるスペシャリストのような人だ。子供を生んで少しずつ変わっているような気はするけど、根は変わっていなくて、常に損得で物事を見ていると思うし、本人もそんな自覚があるようなことをいう。
    だからこの姉が計算高くてたくましく生きているかというと、案外脆い。それは大人になってから知ったことだけれど、こんなに図太く生きているように見える姉でもセミナーに通ったりしてやっと自分を成り立たせた時期があったようだ。


と、ここまで書いてみてとても気分が悪くなっている。家族のことを書くことに嫌悪感が湧く。  
    本当に言いたいことは、『本当に書きたいこと』という認識を持って少しずつエッセイとは別の形で書いていきたい。いつか書くんだろうなということは常に頭の隅にぼんやりとあって、まだまだ手を出せないし、その方がいいのかもしれない。

    ちなみに、『善悪ではなく損得で』という話の(その人が言うところの)真意は、善悪で考えることに疲れすぎてしまった時の対処法のひとつであって、推奨しているというよりは、考え方のコツ、裏技みたいなもの、という意味らしい。具体例をあげると、非行に走った少年たちと話をする時に、善悪の話に彼らは耳を貸さないが、損得の話から入ると、目を輝かせて話に乗ってくるなんてことがあるそう。それこそ、『損得で考えること』を善悪で判断しないようにしたいかも。




    話は変わって、昨日投稿した『わたしの石』という小説は、以前『試してみたらとても良かったこと』という記事で書いた、カフェで目を瞑ってノートに書き綴ったものが原型です。


あの日頭の中で映像として流れてきたものをまとめると、このような小説になりましたという、ちょっとしたご報告です。
読んでくださった方々、ありがとうございました。




    なんだかんだ、何か書くことによって少し気が晴れてきたような。





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