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研究も臨床も自分の価値観を疑うことの連続、そんなときは場末の居酒屋にでも行くといいと思う【研究者日記】
オンとオフの瞬間というのはよく言いますよね。
私の場合カウンセリングしてるときとか、研究してるときってのがオンの瞬間なのですが、オフの時間はオンの時間にも活きると思っています。
クライアントさんと会話するときに、じぶんの一般ってのがどんなもんなのか?と考えることがよくあります。
この目が曇ってしまうと、クライアントさんに対して、これくらいな感じが良くなるって感じかなぁ?の見積もりを間違えてしまう。
自分自身の色眼鏡や価値観にしたがって、カウンセリングなんかをしてしまうようになるので、必要以上のことを強いてしまったりということにもなり得ます。
そもそもに、クライアントさんのニーズに沿うのは当たり前なのですが、それにしても、どれくらいできるのか?というのは、こちらのバランス感覚として持っておいたほうがいいんだろうなと思っています。
私たちは専門家同士で会話する時間が圧倒的に多いです。特に大学院生のときは、院生室が住処なので、そこでの会話が世界のすべてになってました(今はわからんけども)。
そうするとどうなるかというと、専門家の考える価値観ってのが、セラピーにも反映されて、このくらいが適当(適切)じゃないか?という基準が専門家よりになってしまうと思うわけです。
研究にしてもそう。ラボにこもっていたらラボのメンバーとしか話さないし、机上の空論になってしまう。
福島医大の社会心理学者小林さんも言ってたけれども、現場に出て行ってこそ、ニーズを拾いあげて、社会に還元できる研究ができると思う(同時に、社会に還元する研究さえすればいいと言うわけではないとも思うし、基礎的研究は大事だと思う)。
そんなこと言ったって、社会のニーズを求めて、現場に出続けるのはちょっときついっすよね。。
そこでわたしはオフのとき、たくさん遊ぶというのを大事にしたいなと思っています。
表現が適切かはさておき、場末のスナックやパブに行って、歯のないマスターや、そこに集まるお客さんたちとお話するのが好きです。
直接、研究や臨床につながるというより、自分がいかに浮世離れしすぎているかということを気づく時間になる。そうした時間を過ごしていること自体が、どこか雰囲気に醸しでるというのがありそうです。
もちろん、それとなく、直接研究につながることを聞けたりもします。社会情勢についてどんなこと思ってるか?とか、さりげなく聞ける時間にもなるんで、あぁみなさんこんな感じで考えてるんだなぁと思える瞬間にもなります。
カウンセリングのアウトカムを想像するときも、BDIが正常範囲内ってだいたいこんなもんなんだろうなぁというのを知る機会にもなったりします。
院生のときから、臨床には普段の遊びが重要だ!と言って、後輩たちをすすきのに飲みに連れて行っては、翌日のカンファレンスに二日酔いで遅刻させたりなんだりってのをよくしてましたが、仕事の肥やしにはそういう経験はし続けた方がいいと思う。
といいながら、仙台のせんべろ酒場でレモンサワーを飲んで、お客さんと一緒に相撲を見て、会話に耳を傾けているわけです。
福島から仙台に新幹線で移動してきて、サウナ入ったのちにせんべろ酒場に来てるので、正確にいうと交通費の関係でせんべろの機能はもはや果たしていない。
しかしながら、それくらいの対価を払ってでも、わたしは場末居酒屋に行きたいのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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