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悲しいニュースを目にした時、僕が誰にも言わずそっとやっていること

先のことは一切決めることなく、複業フリーランス生活に挑戦し始めたTakeです。

はじめての方は自己紹介noteも読んでもらえると嬉しいです。

年のせいか、はたまたコーチングのお陰で自分の感情をありのままに受け止めるようになったからか、昔に比べて涙もろくなりました。

自分で言うのもなんですが、人の気持ちに共感する力は高く、感情も豊かなタイプでした。それがビジネスパーソンとして揉まれたり、辛い出来事に直面してきたことで、かなり左脳に寄っていってしまった。

辛いな、悲しいな。

そう感じることがあっても、素直に受け止めようとしない。
泣くのが馬鹿らしいとかではなく、正面から受け止めることが苦しい。

だから、きちんと処理せずをして我慢したり。
意識的に何も感じないようにしたり。

コーチングと出会い、学ぶ過程で、感情がもつエネルギーや大切さを知り、左脳よりだった僕の脳みそはかなりニュートラルな位置に戻った気がします。


さて、ここから本題です。

夕飯を食べながら夕方のニュース番組を見ていたら、福岡で起こった水難事故のニュースが流れてきました。

幼い子ども二人がお母さんと海へきていて、沖に流されてしまった。
幸い女の子と助けに入ったお母さんは意識があるものの、男の子は意識不明の状態とのことです。


言うまでもなく、死は自分には関係ないように見えて、日常的に起こっていることです。
事故であっても、病死であっても、いずれ死は訪れるわけであって、早いか遅いかの違いでしかない。

ニュースの裏で報道されない死は(あるいは生も)たくさんあるわけで。

たまたま目にした事故の話は、可哀そうではあるけど、
別にそれ以上のものはなく、日々起こっている死と、
取り立てて違う点はない。


そう思ってました。前はね。


今の僕は少し違っててですね。



ものすごく、胸が詰まるんです。


お子さん達が味わった恐怖や痛み。
助けに行ったお母さんの悲しみ。

せっかくの楽しい夏休み。

こんな辛い思い出になるなんて想像もせず、楽しい時間を過ごしていたはずなのに。

自分に子どもができたことも、こうしたニュースで感情が動かされるようになった理由の一つだと思います。

まぁでもそんな冷静な意見は正直どうでもよくて、とにかく、悲しい。

もうね、悲しさがこみあげて涙がでる。

その気持ちはぐるぐる頭の中を巡っていて。

やり場もなく、行き場もなく、頭の中に漂い続ける。

寝て覚めれば忘れてしまうようで、ふとした瞬間に思い出してしまう。

そろそろと感情が動き始め、気持ちが、心が乱れてしまう。

一時期、子どもにまつわる悲しいニュースを続けて目にした時は、かなり落ち込んでしまったのを覚えています。。。


思ったより長い文章になってしまいました。
ここからは、そんな悲しい感情と自分という人間の間に折り合いをつけるため、僕が家族を含め誰にも言わずにやっていることについて書きたいと思います。

拍子抜けするかもしれませんが、それは「祈る」ことです。

祈り始めるようになったきっかけは、こちらの本です。

難しすぎて僕も理解しきれてないのですが、祈りについて簡単にまとめると以下のように書かれています。

「心が静寂な状態になると、自我が抑えられ、不安や怒り、ネガティブな想念は消えていく。そして心を静寂な状態にもっていく技法として、祈りや瞑想がある。」

祈りは心に静寂をもたらしてくれる。
それを科学的に説明している内容に驚くとともに、なぜか自然と試してみようという気持ちになったのです。

祈るといっても、何か大それたことをしているわけではなく

リビングの隅っこに置いているお札に向かってそっと手を合わせる。

辛い目に合った人たちを想い

快方に向かいますように
気持ちが和らぎますように
安らかに眠れますように
無事に天国まで辿りつきますように

ただただ、そう祈るだけです。

多くの日本人の例にもれず、これといって信心深い人間ではなく。
いただきますもご馳走様もちゃんと言うけれど
寺にいくのは盆の墓参り
神社にいくのは初詣

でもね、別にいいんですよ。
祈りたいから祈ってる。
ただそれだけです。

そこに宗教とか、何をどう信じるかっていうのは多分あまり関係なくて。
要は、気持ちの問題です。


でも、これが実際祈ってみるとですね
本当に気持ちが落ち着きます。
驚くでしょ。僕も驚いた。

次の日や、長く悲しい気持ちを引きずることもなくなりました。

悲しい気持ちが一切消えるわけではないし、忘れるわけでもない。

だけど、出口もなく漂っていた感情や
自分の無力感だったり、虚無感だったり。
そんな気持ちが、すっーと消えていく感じ。

神様仏様が、行き場のない気持ちを預かってくださったのかな?
半分本気でそんなことを思ったりします。


冒頭にも書いたとおり、社会人になって以来かなり左脳寄り人間でした。

平気で、

神とか仏とか、いないから!
祈ってる時間とか、無駄だから!!
世の中、金が全てだから!!!(これは脳とは関係ないかも?)

そう言っている時期もありました。

そんな僕が、祈ることで気持ちに変化があると実感しているのだから、祈るという行為には不思議な力があるはず。

いや、絶対にある。



この夏に限らず、大きな悲しみとともに始まった2024年は、この先も悲しいニュースが続くかもしれない。

フランスオリンピックでは、今回も日本勢が大活躍。

できればおめでたい話や楽しい話だけで終わってほしいけど、多分、それは難しい。

もし心を痛めるニュースを目にして、
あなたの心に悲しみが湧き
気持ちの行き先に困った時は
騙されたと思って
静かに
祈ってみてください。


今日はしんみりな内容でした。
また次の記事で会いましょう~

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