共感覚と数字との付き合い
昨日、Quoraでこのような回答を書いた。
前回にnoteの記事にも書いた回答からの引用もしながら、数字と向き合うのかとても大変だということを書き、前回の回答のコメントでも書いたように数字を人間と見得ないように集中する方法などをアドバイスした。
そうしたら、「1~0ではなく、0~9ではないのですか?」というコメントをいただいた。私がその回答に「1~0の一桁の数字全て」と書いていたから、それについてのコメントだった。
私の最初のコメントへの感想はこうだ。
「また揚げ足取りのコメントなのだろうか」。
よくわからないことを指摘してくるコメントというのがQuoraではよくあり、正直疲弊している。コメント欄を閉じてしまいたいが素敵なコメントをいただくこともあるため、閉じるかどうか迷っていた。
そこでこのコメントをいただき、私にはうまく意味を理解することができなかった。
そして、私はなぜ数字の並びを「1~0」と書いたのか考えてみた。
スマホを見てみると、数字が左上から1、2、3、4、5、6、7、8、9、0と並んでいる。今打ちながら思ったが、キーボードもそうだ。
「なぜ0~9ではないのか?」という問いかけに、私はまずはスマホで違和感がなかったからだ、と答えたのだが、確かに幼い数字から数えていくのであれば「0~9」が正しいな、とも思った。
でも私には自然に1~0と出た。スマホをいじるからなのだろう、とそう思った。
どうしてそのような指摘が来るのかも最初はわからずとても戸惑った。
そうしたらその方が「共感覚を持つ方と一般の方の違いかもしれないですね」と返してきて、そこでやっとハッとした。
もちろん揚げ足取りの変なコメントなどとは違う、冷静に違和感を覚えたからコメントをくださった方で、だけどこの言葉を言われて初めて、そのことに「違和感」を感じる人がいるのだと知った。
そして、私はなぜ「1~0」と書いたのかがわかったのだ。
回答にも書いているが、私は幼少期から数字が人や感情、関係性などが観えていて、それは1から順番に並んでいる。それぞれに性格もあり、色もあり、どの数字がどれを好きだとか、どの数字と仲が悪いだとか、そんなのもずっと幼少期から変わらずある。
その中で0は、いつも9の後ろに隠れている性別がよくわからない存在だ。
だから私は数字を並べてみる時はいつも1から9。
そしてそのうしろに隠れている0、と並べていたのだ。
それが当たり前だったから、私は1~0と書いた。だけど普通は一桁の数字を並べる時は0~9と書くのだそうだ。確かにそうだ。
今はその指摘を受け止め、「1~0の一桁の数字全て」の箇所を「一桁の数字全て」と修正した。
指摘された通り0~9とは書かなかった。なぜならそのように直すと、今度は私の方に違和感が生じる。私の中ではどうしても1~0なのだ。
なので双方違和感が出ない書き方を選んだ。これで折り合いがつき、揚げ足を取られたように最初感じたことを謝った。
今読み返してみたら、私は前の記事のコメントでもやはり1~0と書いている。でもそれは私にとって、とても自然なのだ。
だっていつも私の中の0は、9の後ろに隠れているのだから。
こんな風に、無意識に出てしまう一般の感じ方と共感覚による「違和感」というのは、知らず知らずのうちに生活の中で起こりうる事柄なのかもしれない。
どこでそれが出ているのか?こんな風に指摘されて、指摘されてもすぐには理解できず、「共感覚が原因ではないか」ということまで深堀りされないとわからなかった。
きっとこんなこと、今までの人生の中でもたくさんあったんだろうな。
まずそれが「共感覚」だと気付くことがとにかく難しい。今だから、認知されている今だからやっと本人が気づくくらいなのだ。
当たり前と思っているものが他の人には観えないと、普通は思わないだろう。同じものが観えていると、誰もが思うだろう。
自分の中に染みこんでいる共感覚をもう少し探りながら、この感覚の世界をもっと知っていきたい。
※アイキャッチには内容にあうような数字の画像を使いたかったのだが、真ん中に載せた画像と、少し数字に深く触れ過ぎてしまったため、感覚酔いをしてしまいとても数字の画像を持ってくることが難しく、関係のない画像を選んだ。
山口葵
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