【不安と葛藤の日々】正しくなくても、生きなきゃ。
今日は早起きができて収録もできたので、気晴らしにカラーをしにきて、してもらいながらまとめてます。
Twitterに書いた暗いのをまとめてnoteへ非難させました。少し加筆修正しつつ、再アップします。
私はもう、しばらくは発信だけするようにする。
そうすれば人をイライラさせないだろうから。
今は対人関係のコミュニケーションでうまく立ち回りできないから、自分も人も傷つけそうでとてもこわいと感じる。
「正しいコミュニケーション」は今の私にはうまくできないし、それはどうして?と掘り下げていけば過去のことだったり、病気のことだったりが出てきてしまうから、それ以上考えるのはとても苦しい。
今は自分にできることをして、話せる人とだけ話そう。
昨夜は考えすぎてしまって、過呼吸が起きそうになった。薬がなかなか効かなくて眠れなかったので、頓服を飲んだらすぐ眠れた。
結局みんな、付き合いをしているうちに感情的に好き勝手生きてるように見える私の動向に、定期的にイラついてくるから、それを正論で締め上げたくなるのよ。
「世間一般で見たら正しいこと」ができなくても、私はずっとこうやって生きてきたし、それで死なずになんとかここまできた。
私の行動が人を傷つけてしまうのなら、直したいと思うけど、それ以外のことなら、多少はそれも自分らしさでしかないし、そもそも咄嗟に出る行動を正すのってとても難しい。
それは誰でもそうじゃない?
それで人が周りに残らないなら、もう私それでいい。
私は私らしく、ありのまま生きて、
誰かを傷つけないようにだけ気をつけて、
目に映るもの全てを愛したいんだ。
だからもやもやしたくないし、嫌いという感情も持ちたくない。
「嫌い」は執着だから、頭にこびりつく。だから嫌なんだ、昔から人を嫌うのは。
私のこれまでの生き方は、うまく生きて来れた人からしたら、平均台の上を片足で歩いているように危なかしく見えるんだろう。
でもその歩いてきた道は、どうしたって元に戻せないし、今は今のやり方で生きてくしかない。
何より今は「死なない」ことに精一杯で、他のことにうまく立ち回る余裕が、ない。
今、少し気を抜けばこの間みたいに崩れ落ちて死がすぐ近くになってしまう。
それを回避することが、今の私が優先してやるべきこと。
それのせいで、誤解や面倒くさがられて周りに誰もいなくなっても、仕方ない。
だって、死んだら元も子もないのだから。
嫌われてもひとりぼっちになっても、それでも生きてく。どうにかして。自分らしく。
本当は死にたくなんかないんだ。
それに周りに人がいなくなっても、嫌われても、
それでも私は人が好きだ。
目の前にいる人みんなのありのままを受け止めて、
愛して癒してあげたいと思うよ。
そのためには、希死念慮に負けていては、いけないの。
山口葵
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