親子道とは…(序)

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪

今日は、満月です。きれいなまん丸のお月様。夜道を明るく照らしてくださり、とてもありがたい存在です。そして、満月は振り返りや浄化のエネルギーが高いそうです。そんな満月を見て感じながら、改めて「親子道」ってなんだろう。どんなだろう。って考えてみようと思うのです。

そもそもなんで親子道?
きっかけは、自分の夢ってなんだろうって子育ての中で振り返ったこと。
自分軸が整っていなかった私の子育ては、不安定でした。今振り返れば、常に迷い、常に悩み、正しいこと、問題のないこと、よゐこであることの押し付け、判断基準が曖昧なのに、その時々で良いことは褒め、そうでなければ不安をあおり。一生懸命、世間一般でウケのいいよゐこになるよう誘導コントロールしようとしていたように思います。
当時の私にはもちろんそんな自覚はなく、ただただその時々のこうあるべきという思いで独りよがりな子育てをしていただけに過ぎません…。
子供が小さいうちは手がかかるので振り返る余裕はありませんでした。ですが、子供が幼稚園を卒業してしばらくした頃、心の転機が訪れました。友人が九星氣学の勉強を始めたのです。

懐かしかった…。

小学生の時、友達と仲違いをしたのをきっかけに、それまでも好きだった占い&不思議に没頭していき、だいぶマニアな生活を送っていました。宇宙人や幽霊話に妖精に魔法使い。それに付随して、超能力や占い、ハーブにおまじない。ヨガに…本当に多岐にわたり広く浅く見て読んで遊んでました。
その頃はパソコンやネットの環境は無くて、情報源は本や雑誌でした。
学生時代はパズルや図形が好きで、「頭の体操」といった類の本を図書館で借り、解いて楽しんでいたのを思い出します。その影響からか、理系科目が好きで、得意だとも思っていました。だからだんだんと自然・化学・科学に傾倒していきました。
理系職について、コパブームで風水を楽しみつつもすっかりそのことを忘れていったのです。そうして、新人あるあるの自身のなさを補うためなのか、単に本が好きだったのかは、定かではありませんが、自己啓発の本をいつしか読みあさるようになりました。「知っている」を増やすのが楽しかったのです。後に「知っていると出来るは違う」に悩むことになります…。が、とにかく興味を持ったことを調べて読むのが好きでした。
出逢いがあって家族に恵まれて共働きで子育てをしていました。当然子育てに関する本を読みあさり、知識ばかりを頼りに子育てしていました。一般大衆向けの一般論がバイブルだったわけです。唯一の救いは、1冊集中ではなく複数の本をバイブルにしていたことだと思います。複数の本のいいとこ取りですね。混乱を生じましたが、いくらか偏りを避けられていたのではないかと、今になって思います。
引越を期に仕事を離れ専業主婦になり、そこから少しずつ、大きな変化の渦に巻き込まれていった氣がします。パソコンやスマホが登場して、生活が大きく変わります。情報が格段に増えて、便利になりました。ますます調べるのが楽しくなりました。本の情報と違って校閲が入らないので、不確かだったり創造だったり、真実だったり事実だったりと情報の質も多岐にわたっていきました。
専業主婦になり、時間と心の余裕が生まれたこととの反面、社会との繋がりが格段に減ったことは様々な心の変化をもたらしました。ということは、それに付随して調べる分野も多岐にわたっていきました。だんだんと実用的な内容から移り変わって行きます。季節の行事から日本の暦へと。そして陰陽五行説からの易学に興味を持ち、世界で活躍する人達は中国古典の哲学を仕事に活用されていると知りより一層深堀しているうちに分野の違う様々なモノ・コトに共通点が感じられるようになり、原点を探すべく…古代文明や神話・古文書に関するものを探して探して…。
そんな時に友人から九星氣学を勉強し始めたと聞いたのです。私はこのときに思ったのです。
「そうだった。占いとか古代文明とか神話とか不思議な話私子供の頃好きだった。夢中になっていたなあ…そういえば今。不思議と流れに乗るかのように何気なくそこを深堀している自分がいる。」
そのことに改めて氣がついたのです。

全てが必然で。全てが繋がっていて。それまで持っていたモヤモヤっとした霧が晴れるように、色々な思いが状況が見えてきました。

…続く

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