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2023/06月のやること、レジュメ。20230601thu

3507文字・60min

■背徳的なコラム。
このコラムはだれが読んでも得をしない。
書いたぼくも得をしない気はする。
なぜそんなコラムをぼくは書くのか?
認知行動療法としての日記だろうか。
Yさん(田中未知子のモデルの女性)の名誉は、守られるのか?

まずぜんぶ書いて、編集をしよう。


■ここ一週間は精神的にキツかった。

自ら閉鎖病棟に入りたい。と思うほど苦しんだのは躁うつになって二十六年で、初めてのことだった。

 なぜか「ロキソニン」と「てんちむ」をググっていて、ウィキペディアにたどり着いたのがきかっけだったが、自分の双極性躁うつ(感情障害)をしらべると、かなりの確率で遺伝する病だと言うことを、再確認をして、二歳で別離した、今年十八歳になる娘を思って、悲しくなった。

話を文芸的なことにすり替えて書く。
キツい。といくら「一人称」で書いたとて、他者には簡単に伝わるものではない。
ここ数日間で、机の上がメモの山になった。
いま、それらを整理するためにファミレスにいる。
ここにメモが一枚ある。数日前の、ボールペンのなぐりがきだ。
「娘がリストカットをしたの、私はそれが心配なのよ」
 このメモから、ワンシーンを作る。ちなみに「上記のセリフ」以外の描写は、筆者の想像の産物だ。

「娘がリストカットをしたの、私はそれが心配なのよ」
 田中未知子は男に言った。
 男は返答に窮した。間を置いて優しさをこめてほほ笑み返した。
 じつは男は心でこう思っていた。目にみえる傷よりもむしろ目に見えぬ傷のほうが辛いのではないか? 男は大学時代にリストカットを常習する女と付き合ったことがある。その女は都内の国立大学に落ちて男とおなじ私大に通う苦学生だった。真面目で内向的な責任感のある女だった。男が女に向けて書いた愛の詩を、目を見開いた顔で、文字のつらなりをじっと見つめ、素敵だねと。やさしく微笑む女だった。女はどこの奨学金も得られずに、なぜか苦手な客商売のバイトをやった。給料がいいというそれだけの理由だった。その女はバイトで次第に同僚からイジメを受けるポジションになった。女は仕事が苦痛になった。学校の単位を落とすようになった。最近どうしたの? と男が訊くと、「バイト先のイジメに抵抗するのも他者としゃべるのも、あなたと向き合うのさえすべてに疲れ果てたの」と女はいった。深夜バイトから家に帰って風呂場の湯に浸かってカッターで自分の手首を切る。女はそれを繰りかえした。手首から流れでる自分の鮮血を見てそれで「私の手首から真っ赤な血。やっぱり私は生きているんだ」と安心すると女は言った。リストカットは命を危険に晒す行為にちがいはないが自分を苦しめる行為から解放させる。
 田中未知子は笑って別の話を継いだ。

◉リストカットのリアリティについて。
下記のショート映像は個人的に大好きな作品だ。下記の三つの一つ一つは現実世界で単独では存在する。
⑴学生時代からリストカットが癖、な彼女(罪背負い)。
⑵リストカットを黙認して抱きしめてくれる彼氏(キリスト、聖人化)。
⑶罪に赦しのある生活。
だが現実世界にこのシーン(現場)は同時刻に同現場では存在しない。それが奇跡(フィクション)だ。フィクション(虚構)だから、視聴者は感動する。


 筆者が伝えたい部分は、もちろん田中未知子の「セリフ」の後の、真実が詰まった物語だ。このメモの発端はYさんの、田中未知子のモデルの女性の言葉だ。このシーンをYさんが読んだら、彼女は筆者(つまりぼく)をどう思うだろうか?
 筆者が小説で書いてしまえば、この物語は筆者から離れた独立した一個の作品になる。だれがどう考えようが、物語のなかに現実の解決策はない。
 この件はこれ以上考えても無駄だ。

次、6月の予定。やることノート。
■5月20日に高橋陽一トークショーにて高橋洋一先生へ企画書を出した、が返信は来ない。小説の企画書では申し分のなかったと自負していたのでこれは精神的に(本当に)参った。弟子志願書も書いて送ったが無視された。
 これは単に「企画書を提出する所を間違えた」のだと思う。冷静に考えれば、日本の国会の招集日に国会がアメリカ特殊部隊に制圧されて、国会議員の大虐殺事件が起こり、首相は官邸に拉致される。日本列島は無法地帯になる。さらには主人公が北の兵士だ。元小泉政権、安倍政権、菅政権の内閣事務方官僚だった人間には理解しかねる話だった。この企画書案件は、プロデビューした後に、出版社の編集に「エンタメ小説の企画書」として持ちこむべき案件だ。

■秋(11月)以降に、執筆する作品について。
◉「上陸者」はお蔵入りに。
◉「(仮)未知なる命」の執筆(小説の制作)は雲行きが怪しくなる。
 ぼくとYさんの人間関係が絡む。非常にデリケートでプライバシーをふくむ問題だ。
 小説は作家性と生まれた環境が深く関与する。作家がどこを見つめどこを描くかだ。中上健次は被差別部落を架空の「路地」を舞台にして神話的に描きあげた。ガルシア=マルケスは生まれ育った国、コロンビアを魔術的に描きだした。なぜそのような魔術的な描写で小説が描けたのか。もちろん密林で沸騰する川は自然現象だが、コロンビアにはガルシア=マルケスと同時期に世界で大活躍した麻薬の帝王パブロ・エスコバルが君臨していて、彼がコロンビア国土を蹂躙していたからだ。そう考えるとガルシア=マルケスが言った「私は見たままを、小説に描いた。それだけだ」と言ったのは頷(うなず)ける。

 作家のぼくは、田中未知子のモデルのYさんを見つめ、その闇を引きずりだそうとしている。その行為は、泉からあふれでた源泉を見るのではなく、洞に潜む獣を引きずり出そうとしている。そこは倫理的に問題があるにちがいない。だからぼくは自分を苛(さいな)んで自己嫌悪に陥(おちい)る。

言い訳になるが、作家は、どんなに巧妙に嘘(虚構)の世界をでっち上げたとしても、自ら描いた小説の真実に嘘をついてはいけない。作家が正直であるというのはその点に尽きる。

 正直に言おう。Yさんに欺瞞を感じてしまう。じつはYさんは日本の偉人の子孫だった。さらにおどろいたのは、ぼくの群馬(高崎藩)の出の内村鑑三の妹の子孫だった。
 ネットで検索をかけて調べたが、ネット検索では内村鑑三から田中未知子へは辿り着けない。これ以上は書けない。書いても誰も得はしない。

 今日は下記の企画書②と③に触れる。
 ひとつ、個人的に恐ろしいのがある。②だ。作家としては取材はやりすぎというか現実的ではない。かといって、取材しなければ絶対に書けない。逆説的に取材をすれば、書ける。
① 「消えた小説」現在、執筆中。男は自殺。10月末に脱稿予定。
② 「(仮)収監された男の手記」閉鎖病棟の手記。11月以降に執筆予定。
③ 「(仮)鬼、習志野の男」11月以降に執筆予定。
④ 「上陸者」(デビュー後、各出版社の編集にもちこむ)
⑤ 「(仮)未知なる命」(現在、執筆未定。Yさんとの信頼関係による)

 いま執筆中の「消えた小説」の整理をする。物語の時系列に書く。
◉メインプロット(男のバイトの話)とサブプロット(マッチングアプリでの男の恋愛)がひっくり返った。なぜなら男の自殺の動機が失恋だからだ。

②「(仮)収監された男の手記」閉鎖病棟の手記が思いついた件。
◉「男」が「自殺する男」である説得力を持たせようとしたとき、筆者は、男が九州から群馬に帰省した原因を「免許証の書き換え」のためではなく「二月の一日、男はなぜか京都で暴れていた。それを警察に発見され留置所から、実家にある群馬県立医療センターに護送された」事件を挟もうと思いついた。
②の物語の期間は二月初旬〜二月末。舞台は群馬県立医療センターの閉鎖病棟に強制入院の物語。

③「(仮)鬼または習志野の男」が思いついた件。
◉一週間ほど前、執筆中の「消えた小説」に、突如ある男が登場した。
 田中未知子のケータイのラインには「鬼」または「習志野の28歳」という表記の男だ。千葉県の習志野に住む純文学を書いている小説家らしい。

 ある小説にぼくは感動をした。ぼくも作家人生のなかで一度は「あちら側の人間」を描いてみたい。そう思うようになった。その小説は中村文則の「悪意の手記」だ。殺人願望が拭えない男の話だ。自分の闇の底に溜まるドロっとした悪の原液のような、身も蓋もない堕落に満ちた宿痾(しゅくあ)の塊のようなダメ人間を描いてみたい。

 ③の「鬼」または「習志野の男28歳」を主人公に据えたらそういう小説は書けるんじゃないか? とぼくは思った。

筆者はいったいどのような取材ができる、するのか?
以下カット。

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