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タイピング日記003「ミステリーの書き方幻冬舎文庫より抜粋森村誠一」その❶

 ミステリーを書こうと志す者は、おおかたミステリーが好きで、内外のミステリーを読み漁り、自分もミステリーを書いてみたいとおもい立った者である。つまり、かつての読者が作者になったというケースが多い。

他の文芸ジャンルに比べて、読者から作者に転向した人が圧倒的に多い。その点、俳句に似ているジャンルである。それだけにミステリーの作者には、他の文芸ジャンルとは異なった心構えが求められる。

ミステリー、特に本格推理には読者が参加する。読者の参加を拒否する本格推理はあり得ない。読者に、犯人、または真相に合理的に導くすべての資料が提示されなければならない。これを隠して書かれたミステリーはアンフェアである。

 第二に、読者に謎を提示して挑戦する。作者と読者の知恵比べとなり、謎の浅いミステリーは読者からばかにされる。

 また、ミステリーの読者には直感的に犯人を当てようとする悪い癖がある。ミステリーの読者は他の文芸ジャンルと異なって、極めて挑戦的であり、意地が悪い。また、古今東西のミステリーに通じた鬼の読者が犇いている。ミステリーを志すからには、このような海千山千の読者と競り合う覚悟が必要である。

第三に、他の文芸ジャンル、特に歴史小説や、純文学と称する私小説などは、同じテーマを異なる史観や視点から、何度書こうと許容されるが、ミステリーでは同じトリックや趣向は忌避される。オリジナリティが極めて尊重されるジャンルであって、どんなに素晴らしい作品世界を構築しても、先行作品に同じトリックや趣向があると減点されてしまう。特に、新人賞応募には、先行作品の有無は当落に大いに影響する。

■推理か小説か

 ミステリーは人口の美学と呼ばれる。人口性が尊重される。例えば、難攻不落の密室、曲芸まがいの乗り物の乗り換え、乗り継ぎ、一分一秒のアリバイ。そんな現実の犯人はいない。

文芸の永遠のテーマは、人間と人生を描くことにあるとされる。そのことに異議はない。だが、ミステリーは犯人を隠して書くという宿命があるために、犯人の人間性や人生を描きにくい。最後の絵解きにおいて、わずかに「説明」する程度である。

■文芸の文章では、説明は忌避される。

 だが、ミステリーにおいては合理性が尊重されるので、どうしても説明が多くならざるを得ない。密室アリバイ、その他のトリック、犯罪環境などの絵解きが不正確であれば、ミステリーの合理性が損なわれ、アンフェアとなる。この矛盾をどのように克服すべきか。ミステリー作家の腕のふるいどころである。

 だが、説明文も情緒的な文章の間にはさみこむと、より一層効果を引き上げることがある。拙出の一例を挙げれば、『新幹線殺人事件』において、捜査報告書を結末に配した。人工の美学こそミステリーの栄光である。説明を恐れることはない。必ずしも感動を本義としない、一見、無味乾燥な説明文でも、構成の工夫によって充分読者の共鳴を引き出せるのである。


森村誠一/wikiより

森村 誠一(もりむら せいいち、1933年1月2日-)は、日本小説家作家推理小説時代小説ノンフィクションなどを手がける。ホテルを舞台にしたミステリを多く発表している。

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