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たかが文字だ。20221221wed166

雨だ。つらい。で、何がつらいのか? 風邪だ、喉が痛い、熱だ、コロナだ、骨折だと日記に書けば伝わるだろうが嘘になる。

他者(第三者)に読まれる前提で書かれたものは日記と言えない。ここ一年日記なるものを書いて昨日の日記でふと思った。このnoteは本来の日記に書かれるべきことは何ひとつ書かれていない。

他者に言えない自分だけの秘密であるから日記なのだ。生理三日目。私臭うかな。三組の〇×死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。拓也くんと初キス。親のセックスを見た。キモい。京香と明日逢瀬。みんなにクソマジいと笑った納豆は旨かった。

他者に自分(の文章)を良く見られたいとすれば虚実は入り混じりがちになる。そこを技術で伝わるように書く。それは日記ではなく創作の練習だ。

観賞用の文章を書く練習をしていると割り切れば自分の苦痛や心象は書かぬがほうがいい。苦痛だのつらいだの怒りだのってのは、散歩の途中で川に海に石を投げ、雨の窓に手を充て夢でおんな子どもを犯して片付ければいい。

たかが文字だ。文字の羅列に倫理を挟んでも求めてもいけない。水彩画も油絵もおなじ絵だ。演歌もジャズもカントリーも音符の羅列だ。評価は読者の好みだ。それをクダグダと押し付けがましく知ったかぶる無知はみな死ね。

誤解なきよう説明するが前の一文も文字の羅列だ。不快を感じるのは読み手の勝手だ。文字に悪意はない。ではぼくに悪意があるのか? それがわからぬ無知が多い。心地よい文章、心に突きささる、まったく共感しない作家、皆それぞれということだ。三ツ星レストランで彼女と、屠殺場で牛の断末魔を聞きながらステーキを食うのと一緒だ。

戦争は人類の営みだ。誰が悪い? 核が悪い? 遺族が可哀想? ウクライナ人やロシア人兵士の死体ひとつ自分の目で見たことのない貴様の「言葉」をどう信じろと? 

今回、昨日なぜ土手から藪に入って女を犯さなかったのか、浜で女を犯し文脈を回収したのかを書きたかったのだが。

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