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タイピング日記018 / 失敗から得るもの / 村上龍


 成功している経営者の自伝やテレビのビジネス番組では「失敗が人を強くする」「失敗から多くを学んだ」「失敗しない人言は進歩しない」「失敗の中に成功のヒントが隠されている」みたいなことがよく紹介されている。しかし一般のビジネスマンが、そうか、失敗してもいいのかと安心して、大事な仕事で本当に失敗すると、単に叱られて罵られるだけで、ひどい場合にはクビになる。成功者の「輝ける失敗」と、罵られるだけで終わる「ただの失敗」の間には、埋めようのない溝がる。

 2008年リーマンショック以降の世界的大不況のあとも絶好調を維持するユニクロの会長の柳井正氏は、『一戦九敗』というタイトルの著書の中で、失敗の重要性について繰り返し記している。だが柳井氏にも、「絶対に失敗できない」場合があった。それは1984年にユニクロの一号店を出すときと、98年に東京・原宿に進出したときだ。いずれも、失敗したらそれで終わり、という状況だった。絶好調のときに失敗をしておくことが大事、というようなニュアンスのことを「カンブリア宮殿」に登場した柳井氏はわたしに語った。

 成功して絶好調のときに失敗しておくべきというのは真実だが、現実としては、いつまで経っても成功できない人のほうが圧倒的に多い。非常に多くの人が仕事や人生で失敗をする。失敗を糧として成功する人はごくわずかなのだ。マスメディアじゃ、派手な失敗のあとに這い上がるという成功譚が好きで、そういった物語を番組で紹介したがる。だからついだまされてしまうのだが、失敗そのものに価値があるわけではない。

 仕事上のほとんどの失敗は「単なるミス」で、準備不足と無能が露わになり、信頼が崩れ叱責されるだけだ。得るものは何もない。何かを得ることができるのは、挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験や情報が不足していて失敗した、という場合だけだ。そもそもたいていの人は、挑戦する価値のある機会に遭遇できない。何に挑戦すればいいのかもわからない。挑戦する何かに出会うのも簡単ではない。

 そこから何かを得ることができる失敗をするためには、挑戦できる何かと出会うことが前提となる。条件は「飢え」だ。出会うことに飢えていなければ、おそらくそれが運命の出会いだと気づかないまま、すれ違って終わってしまうだろう。


              〈村上龍  「無趣味のすすめより」〉



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