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タイピング日記042 / 人生の旅をゆく / よしもとばなな

ギザというのは変な町で、何となく地につかないような感じがしてつかみどころがない。それは多分、ほんとうは人が住むために作られていないからなのだろう。だいたいあんな変わったものがあったら、町の雰囲気はそれに支配されてしまうだろう。

前に富士山のふもとで育った人に「毎日きれいな富士山を間近に見ていたなんてうらやましい」と言ったら、「冗談じゃない、こわかった」と言われてびっくりした。子供心にそれは「もしもあれが噴火したらどうしよう」という形をとっていたが、体育の授業のときにふと校庭でふり返るとそこにでっかい富士山がそびえたっていて、それはとにかく美しさというよりも理屈抜きにこわかった、とその人は言った。そのこわさは、「畏れ」という字の意味を持っていたのだろうと思う。

ギザでは、香水屋のおやじに「これは安いがシャネルの5番と全く同じ調合だよ」と言って(ほんとかー?)香水を勧められているときも、らくだに乗って砂漠を歩いているときも、ごはんを食べていても、美しいホテルのバーでフレッシュなフルーツジュースから作られたおいしいカクテルを飲んでいるときも、ふりむくとそこにはピラミッドがあった。日常の風景に溶けこんで、明らかに違う気配を漂わせていた。ピラミッドが暗くて見えなくても、確かに何か大きなものがそこにあり、いつもこちらを見ているような感じがした。音と光のショーでピラミッドに面と向かっているときも、離れて別のことをしているときにその存在は迫ってきた。

やはり、ピラミッドは一生に一回は見ておくものだなあ、とそのとき思った。何となく、あの建物は未来に向かって作られている感じがして、未来の人間である私たちが見に行かないと、誰が見に行くのだ、と思う。誰が何のために作ったのかほんとうには知らないけれど、あの気味悪さは見てみないとちょっとわからない。

エジプトの乾いた空気は、日本人の湿った心をきれいに乾かすにはちょうどいい。少しげんなりしているくらいのときに行くとさっぱりする。あの陽射しには、こちらがどんな状態であろうと有無を言わさずハートにしみてきて、無理にでも人を動かす大きな力があるような気がする。ピラミッドもそんな力で作られたのだろう。


人生の旅をゆく・P12
著・よしもとばなな

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