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なぜ文章が失敗してしまうのか? / 文章レッスン(基礎講座)

3371文字・20min


稚文をさらすこのぼくが先日文章教室をやりました。

相手の属性は年齢43歳で女性です。
KYさんとしましょう。
文章は原爆に関する文章でした。
ということはこれは本人の目撃シーンではない。
文章の原型なる「風景」はある人から「伝聞」で聞いたそうです。

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爆心地

原文)
あの時、爆心地の真上の空では、核爆弾が閃光のように、眩(まばゆ)い光とともに炸裂した。爆心地の近くの地面には、原爆で焼かれ、生きたまま彷徨い倒れて、死屍累々と積み上がって死んでいった人達の亡骸が埋まっていた。今は、人間の骨が、ところ狭しと地面に食い込んで、天を向いてささくれだっている。
爆心地近くの女学校では、先生と生徒達が運動場へ集合していた。担任のシスター達が、生徒にバケツを配り、みんなの手に各々持たせると「骨拾い作業!始め!!」と言った。
原爆で焼け死に、運動場に埋まった人の骨が、靴を突き破って足に刺さり、運動ができないからだ。

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文章レッスン(基礎講座)
⑴一文を短くする(長い一文は読者に伝わりにくい)。
⑵主語と述語の位置はハッキリと。
⑶時間は前に置く。
⑷漢字が多いと読みづらい。難解な漢字は使わずに国字(大和言葉)はひらがなにひらく。漢字(二割)、ひらがな(六割)、カタカナ(二割)くらいのバランスでいい。
⑸時間にそって文字を書いていく。

「白紙」は「無の空間」です。
時間(読者の目の流れ)にそって文字が世界を作っていく。
「眩(まばゆ)い光」とは?
読者はどう認識しますか?
➡︎読者は「光」を最初に読む。それから光がどうなるのか?「まばゆく光った」と認識するのが自然だ。
純文学(絵画的な文章)において、読者に異化効果を発揮させるために、
例えば「黒い太陽が虚無と絶望をともなった眩ゆい光を発していた」などという文章があるが、これはどのような文章なのか(あるいはどのような文脈の中で使われているのか)を把握すること。
➡︎素人が自分なりの(純)文学的に書こうとすると、大抵、その日本語は失敗します。
⑹なぜ文章が失敗してしまうのか?
筆者が「ここは私の腕の見せ所だ!」と気負ったり、あえて難しい語彙を使ったりすると、文章は逆に読者から離れていきます。読者は「筆者の気負い」も読み取って、冷めてしまうんですね。

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原文)
あの時、爆心地の真上の空では、核爆弾が閃光のように、眩(まばゆ)い光とともに炸裂した。爆心地の近くの地面には、原爆で焼かれ、生きたまま彷徨い倒れて、死屍累々と積み上がって死んでいった人達の亡骸が埋まっていた。今は、人間の骨が、ところ狭しと地面に食い込んで、天を向いてささくれだっている。
爆心地近くの女学校では、先生と生徒達が運動場へ集合していた。担任のシスター達が、生徒にバケツを配り、みんなの手に各々持たせると「骨拾い作業!始め!!」と言った。
原爆で焼け死に、運動場に埋まった人の骨が、靴を突き破って足に刺さり、運動ができないからだ。

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あの時、爆心地の真上の空では、核爆弾が閃光のように、眩(まばゆ)い光とともに炸裂した。

★上記の文章は回想です(なぜなら爆発したと同時に「あれが核爆弾だ」とは筆者は見た瞬間に認識はできないはずだ)。
➡つまり回想の文章で直さなければいけません。

あのとき(わたしが十五歳のとき)だった。上空で光がまばゆく炸裂した。見上げると(例❶空に、太陽が二つあった。例❷巨大な太陽のようなものが爆発していた。)私はあとでそれが原子爆弾だと知ることになる。

★「あの時」をカットすると、三人称になる。
空で、まばゆい閃光の炸裂を感じた。それは核爆弾だった。
➡︎「それは核爆弾だった」=原爆投下の日時を確定させている。

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爆心地の近くの地面には、原爆で焼かれ、生きたまま彷徨い倒れて、死屍累々と積み上がって死んでいった人達の亡骸が埋まっていた。

★こんどは地上の風景になっている。どこからその風景を見ているのか? 
➡︎視点を決めましょう。

★一人称の場合:
私はどのような場所にいたのか? 爆心地にいたのか(そんな人間はいないですよね)? 爆心地からどれくらい離れた場所にいたのか? 

わたしは光が爆発した所を目指してあるく。(川の下では「みずをぐでれ〜! みずをぐでえ! 」とさけぶ声が聞こえる。など)私は爆心地のちかくと思われる場所(「校庭」、「広場」、「学校」、「駅前」など具体的にするほうが良い)に着いた。そこは地獄だった。生きた人間が焼け爛れたまま彷徨い歩く。それがバタバタと倒れる。まるで藁人形のように。そこいらじゅうに死体が累々と横たわっている。

「死んでいった人たちの亡骸が埋まっていた」は読者に理解不能です。カットしました。
★積み上がったものの中に「筆者が求める弟の亡骸」あるいは「筆者が探していた指輪」などの「文脈に必須なアイテム」が埋まっていた。のならば、その文章は意味が通ります。

★一人称のまま書きます(ぼくが書いた一例です)。

わたしは爆心地の近くまで歩いた。焦げた人間が彷徨ってばたばたと倒れる。そこかしこに亡骸が被さるように累々と積み上がっていた。

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いままでの整理をします。
この段落は四つの文章で構成されている。
一文目=三人称
二文目=三人称
三文目=三人称
四文目=三人称
すべて風景描写=三人称の視点です。

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今は、人間の骨が、ところ狭しと地面に食い込んで、天を向いてささくれだっている。
爆心地近くの女学校では、先生と生徒達が運動場へ集合していた。

例)ぼくの個人の裁量で長い文章を三つに分けた。

地面に、人間の骨が所狭しと食い込んでいる。その景色は異様だった。まるで骨が天に向かってささくれだっているように見える。

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担任のシスター達が、生徒にバケツを配り、みんなの手に各々持たせると「骨拾い作業!始め!!」と言った。

例)ぼく個人の裁量で文章を書きました。

シスター達はバケツを生徒に持たせ始めた。バケツは生徒たちに行き渡った。
「骨拾い作業!始め!!」
シスターは言った。

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原爆で焼け死に、運動場に埋まった人の骨が、靴を突き破って足に刺さり、運動ができないからだ。

例)ぼく個人の裁量で、説明文でない文章に、描写で書いてみました。

長い一文ではなく、文を小刻みに切って、「一シーン」を構成してみました。

★短い文と文のあいだに、いわゆる行間(含みの意味)が湧いて味わいがでます。

「なんで骨拾いなんかするんだろうね」
花子は、わらって、バケツを抱え運動場へ散った。
地面から突きでた骨に躓(つまづ)いて、わたしは転んだ。
靴を脱いで足の裏をみると、怪我をしていた。真っ赤な血だ。血はおはじきのように大きく膨らんだ。もったいない。私は足の裏に口をつけて、ちゅっ。と血を吸った。
立ち上がって運動場を見渡す。
みんな転んでいた。

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最後に、KYさんとぼくの文章(稚文ですが、例えです)を比較してみましょう。

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原文)
あの時、爆心地の真上の空では、核爆弾が閃光のように、眩(まばゆ)い光とともに炸裂した。爆心地の近くの地面には、原爆で焼かれ、生きたまま彷徨い倒れて、死屍累々と積み上がって死んでいった人達の亡骸が埋まっていた。今は、人間の骨が、ところ狭しと地面に食い込んで、天を向いてささくれだっている。
爆心地近くの女学校では、先生と生徒達が運動場へ集合していた。担任のシスター達が、生徒にバケツを配り、みんなの手に各々持たせると「骨拾い作業!始め!!」と言った。
原爆で焼け死に、運動場に埋まった人の骨が、靴を突き破って足に刺さり、運動ができないからだ。

■□

空で、まばゆい閃光の炸裂を感じた。それは核爆弾だった。
わたしは爆心地の近くまで歩いた。焦げた人間が彷徨ってばたばたと倒れる。そこかしこに亡骸が被さるように累々と積み上がっていた。
爆心地近くの女学校では、先生と生徒達が運動場へ集合していた。
シスター達はバケツを生徒に持たせ始めた。バケツは生徒たちに行き渡った。
「骨拾い作業!始め!!」
シスターは言った。
「なんで骨拾いなんかするんだろうね」
花子は、わらって、バケツを抱え運動場へ散った。
地面から突きでた骨に躓(つまづ)いて、わたしは転んだ。
靴を脱いで足の裏をみると、怪我をしていた。真っ赤な血だ。血はおはじきのように大きく膨らんだ。もったいない。私は足の裏に口をつけて、ちゅっ。と血を吸った。
立ち上がって運動場を見渡す。
みんな転んでいた。

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