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800文字日記/20220520fri/074テーマ「おいちゃん参観」036(修正前)

二◯一四年、僕はイタリアから料理の修行で帰って三年も経ったのに風来坊だった。それで僕は十歳、八歳、五歳のおいっ子らに映画「男はつらいよ」の寅さんを習って「おいちゃん」と呼ばせていた。

上の二人っ子の授業参観があった。妹は離婚をしたばかりで仕事で忙しかった。「ばあば」の母と「おいちゃん」が行くことになった。

絹産業から衰退した街には活気は無い。都心につながる駅は力を失い、旧中心街は風俗店が歯抜けのように並ぶ。だがここ最近、北関東有数の工業都市に変貌を遂げた。宮剛第二小学校は、市営の遊興施設やシアターやショッピングモールが密集する地域にあった。

体育館に入った。四年生の長男の授業は体育だった。周りを見る。四年生の体育の授業を長い時間見る父母は少ない。長男は跳び箱を元気良く飛ぶ。教師に言われたのか、跳び終えた後のポーズまでする。

僕は長男のそれを見逃さなかった。「おいちゃん」が体育館に入った瞬間、長男の身体が一瞬、強ばった。他者に見られる。自分はどのように評価されるのか。彼は気にしていた。「おいちゃん、早く行け。もう帰れよ」と目が訴えていた。長男らしい。体育館に母が入って来た。僕は次男の教室を聞いて体育館を出た。

春先の良い日和だった。一階の新しい廊下をスリッパで歩く。僕は四年まで宮剛小だ。さらに西にある。宮小での初恋や諸々を思い出して歩く。

二年生の教室の後ろは父兄で満員だった。手刀を切って僕は窓際まで行く。次男は廊下側の最前列に座る。授業は算数だ。「おいちゃん」が来たのが分かったのかチラチラ後ろを向く。「翔太くん。前を向きましょうね」と女の担任が何度も諭す。次男は担任の言葉に耳を貸さない。隣の女の子にチョッカイを出す。椅子に浅く腰かけ両足を前に放り出し、自由帳に絵を描いている様子に見える。絵を描き始めると彼は教室の中で、他の誰よりも自分の世界にのめり込んでいた。生まれた順と血か。思った。(800文字)




◉レジュメ


僕は甥っ子たちに、映画「男はつらいよ」の寅さんを習って「おいちゃん」と呼ばせていた。

長男はH16年9月30日生まれhttps://saruwakakun.com/tools/wareki-seireki/2004/
次男はH18年11月28日生まれhttps://saruwakakun.com/tools/wareki-seireki/2006/
三男はH21年9月25日生まれhttps://saruwakakun.com/tools/wareki-seireki/2009/

2014年。
1月アメリカで「オバマケア」開始
2月ソチオリンピック
3月ロシア(プーチン政権)のクリミア併合、北朝鮮、中距離核弾頭搭載型ミサイルICBM「ノドン」を日本海海域に二発発射。
6月〜7月FIFAワールドカップ、ブラジル大会(優勝、ドイツ)

僕がイタリアから帰って(2011年、北イタリアの精神病棟から強制送還されて)きて三年後。(地元のイタリアンリストランテか高崎の店での従業員の時期か?)
その時期の甥っ子(妹の子供)二人の、宮剛第二小学校の授業参観になる。
因みに、僕の母校(四年生まで)は宮剛小学校。
地元のオートレース場、ホームセンター、シアター、巨大パチンコ店、複合商業施設、コメダ珈琲、スターバックス、ベッドタウン化、新たに「宮剛第二小学校」

当時、
長男は、十歳で小学四年生。体育館は跳び箱だった。
次男は、八歳で小学二年生。算数の時間だった。落ち着かない子で女の担任に目を付けられていた。いわゆる札付きっぽく見えた。(担任が席を決めたのか定かではないが)、一番前の廊下側の角の席に座る。僕が来たのが分かったらしく、チラチラと後ろを気にして振り向く。女の担任が「次男くん、前を向きましょうね」としつこく言う。椅子に浅く座って両足を前に放り出す。授業そっちのけで真横の女の子にチョッカイを出す。算数には興味を示さずに自由帳に絵を描いている様子に見えた。(二人だけの散歩のくだりを書くべきか?)
三男は、五歳で未就学。幼稚園の年長だった。お遊戯会を観に行った。
車の中でブルーハーツをかける。回転寿司、〆さば、「何か好きな曲でも聞くか?」「おいちゃんの好きな音楽をかけなよ」、
宮剛第二小学校、妹の家が近かった。妹は離婚をしてすぐだった。妹は事務パートで忙しく授業参観には出られず。
秋にマラソン大会を見学に行った。(783文字)


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