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写真は簡単、だけど難しい

先日、富士フィルムが公開した動画が炎上した。結構大きなニュースになったのでご存知の方も多いだろう。あの動画に登場していたカメラマンは、普通の人なら他人の迷惑になるからやらない手段をあえて遂行しているだけのこと。そこにあるのは技術的な工夫ではない。彼が工夫したのは「良心を脱ぎ捨てる」という一点だけだ。

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カメラなんて所詮は目瞑ってシャッター切っても勝手にピントを合わせてくれるような道具だ。知識もゼロ、技術もゼロ、そんなんじゃ手も足も出ない楽器とは本質的に異なる。

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デフォルトで綺麗に映るように作られた道具だ。それはカメラには家電としての側面もあるからであって、手っ取り早くアーティストを気取るために設計されているわけではない。

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楽器だったら、例えばギターであればコードを覚えるとかスケールを覚えるとか、あるいは好きな曲をコピーするとか、そういう練習を通して自分の成長を自覚することができる。

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けれど写真はそうはいかない。これを反復練習すれば上達する、という汎用的なプラクティスがない。「弾けなかった曲が弾けるようになった」というような、自分の成長を明確に自覚できるような指針もない。

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指針が見つからないならどうすればいいか。多くの人は他人を基準にしている。他人を基準にして、他人とは違う写真を、他人よりも綺麗な写真を、他人よりも面白い写真を追い求めている。そんな風に僕には思えるし、実際僕にもそういう時期があった。

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でもすぐに違和感を覚えた。比較するべき他人が見つからない。それはきっと、僕には僕なりに撮りたい絵があるから。だったら他人の写真と自分の写真を見比べるのではなく、自分自身が抱くイメージと自分が撮った写真を比べればいい。というよりもそれ以外にできることがない。

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そして未だに僕は暗中模索を繰り返している。

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僕はギターを始めて30年近く経っているけれど、ある意味楽器よりも厄介な道具かもしれない。そんな風に感じることがある。

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