見出し画像

短編「おれたちの日常」(10枚)

 あれが二十二世紀にかえって二十二年。すっかりおれは現実生活におしつぶれそうだ。

 かのじょは、すっかりやつの嫁さんにおさまって主婦に勤しんでいる。子どもの教育費がどうの今日の白菜とニラがなんでこんな高いのよとおれんとこに愚痴を漏らしにくる。

 やつんちもアレはアレで大変らしい。おれの街で唯一大学へ進んだやつは両親を介護施設にいれたきり日々家と研究室の往復。娘もまだ五ヶ月でかのじょのおんぶ姿をいつもみかける。郊外のロボット工学研究所研究職での給料だけじゃどうにもやっていけないらしくかのじょは少しでも家計の足しにとちかくのスーパーのレジのパートをはじめている。まァおれの同僚ってワケだ。おれとかのじょとのちがいは五年目のおれが契約社員でつい先日はいったかのじょがパートだということだけだ。

 かのじょの仕事ぶりをひと目みりゃその有能ぶりはそりゃあ自明さ。だがああもはりきってやってもらうとこっちにまでしわ寄せがくる。「今は頑張っただけ何かが返ってくるあの頃じゃないんだぜ」ってかのじょにいってあげたい。がいえない。かのじょは目の前の仕事を頑張っているだけだ。ああもあくせく働く後ろ姿をながめるとまるであれがいた頃のやつのママに生きうつしだ。メガネを小指で整える姿、やつを呼ぶときにまるで猫が尻尾をペンチで潰されたような叫び声、視線をメガネにサッと隠す処世術までにてきた。

 あいつはというと、親からの会社を引き継いだは引きついだがすぐに潰した。目先の現金につられ、会社の顧問弁護士と税理士にうまくやられ取締役会で代表取締役を引きずりおろされ、いまじゃ風の噂では富山の花街でヘルスを経営しているそうだ。

 そんでこのおれは、っちゅうと、十二年前、母ちゃんが脳梗塞で死ぬと父ちゃんは後を追うように家の梁にぶらさがって死んだ。のこった遺産の不動産の遺産相続で妹と法廷闘争まで縺れ、兄妹関係は泥沼化、おれは漫画家として成功しているにも関わらず金で豹変した妹の欲の深さに嫌気がさし、遺産相続権を放棄した。がその後わかったことだがじつは妹はただ東京で、漫画家の助手、アルバイト程度のベタやスクリーントーンのきりはりを十五年やっていた。十五年。長い歳月だ。

 あれがいた頃は現実がこんなに厳しいものなんて思ってもいなかった。ただ虫の居所がわるけりゃ意味もなくやつをよびだし思いっきりのせば気がすんだ。無性に、なにがなんだか気に食わないときは、腹の虫が収まらないときは、だれかれかまわず空き地に呼びだして土管のうえに立って大空におれの歌をとどろかせた。それで気がすんだ。

 あの頃はあれの道具で過去や未来にいったりきたりの冒険で現をぬかしなんだかいま思えば過去のすべてが夢まぼろしのようだ。

 農業高校をでてすぐ母ちゃんと父ちゃんが死んで店はつぶれた。時代は平成の大不況でもう最悪だった。就職活動も履歴書を三百通だしてやっとだ。といってもそのじつ、やつのコネと口添えがあって最終面接をくぐりぬけただけだ。がなんとおれが入ったその大手衣類メーカーコニクロはあろうことか、農業や鉄鋼業に手を広げそれがすぎたのか経営が傾いた。事業縮小という名の人員削減。早期希望退職者を大量に募った。自分がリストに入っているのはわかっていた。だからおれは僅かばかりの退職金を受けとってやめた。

 こんな不況の時世に三十路で定職を失ってこれからいったいどうすりゃいい。悩みに悩んだ。もう一度やつに頭を下げにいこうか。おれはやつをぶんなぐったおなじ回数、なやんだ。

 おれらのなかでやつが一番強かった。おれに千遍万遍いや百万遍このおれになぐられようがやつは立ち向かった。ときにあれが後ろにいないときでさえも。あれが未来に帰ったあとも。やつはおれに幾度となく立ち向かった。

《あれがいたからやつは強くなったのだろうか? 》

 逆に

《もしこのおれにあれがあったらおれはいまのやつみたいに強くなっていたのだろうか? 》

 あのとき、いやいまでも喩えおれにあれがあってもなんの役に立つまい。

 おれはやつにたよらずになにかをしたかった。英語は苦手だが農業高校で培った経験を活かしたく青年海外協力隊に応募した。そのときのそれが、生まれて初めておれが自らの手でえらんだ自分の道だった。自分の人生の扉なんてモノは、やつを、だれかを、いく億万遍殴ったって開かない。土管のうえで幾らさけんだってだれも聞きいれてくれやしない。だまってただ自分の足で一歩を踏みだし、痛みと血の滲んだ自らの手でこじあけるしかない。

 応募に六度失敗し七年目の今日、おれは海外協力隊員として東アフリカのタンザニア連邦共和国へとわたった。

 またたく間に三年の月日が経った。タンザニア連合共和国は、東アフリカの中央部に位置しケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザイール、ザンビア、モザンビーク、マラウイと8カ国の国境に面した国だ。東はインド洋に面し面積は94万平方㎞。日本の2,5倍だ。日本に知られるのはアフリカ最高峰のキリマンジャロ山やメルー活火山。広大で美しいビクトリア湖。自然の豊かな国だ。気候は熱帯気候で植生は一般にサバンナ気候。農林・漁業者就業率が80%以上と農業大国であり平均寿命は大体45歳。乳児死亡率が高く十五歳以上の文盲率は30%以上。世界でまだまだ貧しい途上国のひとつだ。

 おれはキウオ村というキリマンジャロ山の麓の人口三百ほどのトウモロコシ畑に囲まれた村に駐在している。家屋は乾燥させた泥でつくった壁にトタン板をのせた程度のものだ。電気はない。サバンナ方面に目を向けるとよくゴマ塩風景をみかける。ゴマ塩風景というのはおれの言葉で草地の緑を黒くぬりつぶすほどヌーの群れが草を食んでいてその群れの間に水鳥がなにかを啄んでいる風景だ。

 日の出前。乾いたバケツにシューシューと乳搾りの乾いた音が。陽があがる前に気がとおくなるほどの所にある井戸へ水をくみいく女たち。東が白みはじめる頃、釈迦の頭のような子らが濡れたガラス玉の目を輝かせて牛の放牧からかえってくる。そんな風景を眺めながらおれはトウモロコシの粉を湯で溶いたウジをのんでからだをあたためる。金をだせばコーヒーだって飲めるがキウオではたらいているおれは毎朝ウジを飲む。田畑で作業をしていると「ジャンボ! 」とか「シカモ〜! 」とか。教室をひょいと覗くとチョークが黒板を走る音がきこえ、愛くるしいチビクロサンボらが身をのりだして黒板をみつめている。外ではおろしたての蛍光灯のような真っ白な歯を光らせ手を使ったサッカーだかの球蹴り。おれはそうやってキリマンジャロ山をみあげ草地に畑を作り灌漑や農業技術を教えている。

 昼になると血が蒸発するような熱気につつまれる。夜は牛の糞に灯した火で九九をならう少女の声が聴こえてくる。そんな日々だ。

 日々つかれは絶えないが、おれは休日をつかってスワヒリ語をまなび、時間をかけて首都のダル・エル・サラームまで足を運んでナイトパブに行き、口汚い白い女を買い、ビクトリア湖までキャンプをしにいった。ルフィジ川で釣りを楽しむ。このおれが釣りだって? 日本にいた頃には想像もつかなかったことだ。

 三年が経ったそろそろ帰国だというときだった。こんな地球の果てともいえる僻地で偶然にもあのころの同級生と邂逅した。すっかり紹介を忘れていた。今回の主人公のかれを。

 かれとはタンザニア北部にあるオルドパイ遺跡付近にあるオルドパイ峡谷の近くの農村で再会した。オルドパイ峡谷とは1059年ルイス・リーキー博士と彼の夫人が石器時代のアウストラロピテクスの骨を発見した地だ。奇遇にもおれは、観光者としてその村に泊まっていた。おれは翌朝キウオ村へ帰る予定でかれはその村に到着したばかりだった。

 かれはおれよりさらに二年前から青年海外協力隊員としてタンザニアのインド洋に面する幾つかの小島で島民の健康と衛生管理、特にエイズの予防医として駐在をしていた。

 かれは医者ともう一つ考古学者という肩書きを持っていた。かれの勤務地はザンジバル島だが休日を利用してかれは自分の考古学研究を兼ねオルドパイ遺跡にやってきていた。

 かれは熱をこめ「ジンジャントロプス・ポイセイ」だとか「ボイジイ」、「ホモ・ハピリス」、「チョッパー」… 考古学専門用語を使って饒舌に説明するがおれに考古学知識などなくかれがなにをいっているのかさっぱりだ。熱を帯(お)びた口調、全身で語るマイム、精妙な声帯模写、それらすべてに耳を傾けているとおれは自分が赤面しているのに気がついた。

かれの言葉が鉄拳になっておれの赤面をくだいた。おれはかれの口から機関銃のごとくとびでてくる理解不能な言葉の数々一言一句にだまって耐えるしかなかった。かれの言葉はやつをなぐったおれの鉄拳そのものだった。話に熱中するかれはあの頃のおれのごとく熱く乱暴に語りかけた。いつまでも。話を聴けばきくほどおれの顔はゆがんだ。耳はよじれ、鼻はつぶれ、顎はくだけ眼窩はくぼみ、目玉は蒸発した。おれのからだは深海で押しつぶされる発泡スチロールのように小さくゆがみみにくくなった。

「彼女…   なつかしいなあ…   じつはぼくの初恋の人だったんだ、そっかあやっぱり結婚したんだね、よかったなぁ、きっとお似合いだとおもうよ、幸せにしているんだろ彼女? 」

真実など口が裂けてもいえなかった。

「おまえにも弱点があったかあ、ははは。恋愛はこれからのおれたちの課題だな

「ウン」

 夜が深け、夜空に満天の星辰がまるでプラネテリウムのようにおれとかれをつつむ。かれはそんなおれの心をみ透かしたように、

「これプラネタリウムじゃないんだよね」

 噛めぬ苦虫をのみこみおれは帰り支度をかれは明日の朝遺跡へ出発するための用意をし、おれたちは、深い眠りについた。


よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします