タイピング日記002「ミステリーの書き方/幻冬舎文庫より抜粋/天童荒太」
高校生の頃。だから昭和五十二年前後。
よく通っていた古本屋で、一冊の本が目にとまった。
江戸川乱歩、松本清張共編『推理小説作法−あなたもきっと書きたくなる』(光文社/昭和三十四年初版)。
二百八十円の本が、確か百円だったと思う。
当時、わたしは小説家になる意思はまったくなく、自分の想像力が、映画のスクリーン上でかたちを結ぶことを夢見ていた。
その本には八名の名だたる方々の推理小説に関わるエッセイが並んでいる。江戸川乱歩氏は、まえがきで、「アメリカなどでは古くから二、三年に一冊ぐらいの割合で、推理小説作法の本が出ている。日本にそれが今までなかったのは、ふしぎなようなものだが、ついにこの本が出たことは慶賀にたえない」と書いておられるから、日本で初めてミステリーの書き方を標榜した本だったらしい。
何度も古本屋に通い、ついに授業後に一服するためのセブンスターをあきらめ、買うことにした理由は、松本清張氏のエッセイに、ご自身の創作メモが、かなりの量で公開されていたことによる。小さなヒントから、作品がどういった経緯で生み出されていったのか、こまかく書き添えられてもいた。
プロの作家とは、これほどまめにメモを取り、ともかく気になったものは何でも残して、みずからの引出しにしてゆくのかと、当時は驚き、進路とは違うとはいえ、手本にしたいと思った。
この本(『ミステリーの書き方』)がどういった進路をとるにせよ、創作者の道を望むのであれば、やはり気になったり思いついたりしたことはメモする癖をつけたほうがよいと思うし、日付も入れ、余白も取り、のちのち見返せるように整理しておいたほうが役に立つと、松本氏の見解を橋渡ししたい。
わたしごときが、「ミステリーの書き方」について、正しい道を伝えられるはずなどないが、すでにプロの方々には自明のことでも、この本全体の表題に対し、もうひとつの見方の愛知案として、これから小説を「書こう」という人は、ミステリーを「書く」視点だけでなく、技術として「使う」視点も持っていいのではないかと思っている。
今後、恋愛小説を主に書かれようと、時代小説を主に書かれようと、また漫画の道や、高校生の頃のわたしと同様、映像の方向へ進むつもりであろうと、サスペンスやミステリーの技術は、身につけておいたほうが、きっと力になる。……というより、身につけておかないと、少なくとも物語は創造できないだろう。
自分自身、さらに勉強を重ねたいと願っているが、技術とは、形となってあらわれたときには、個々の作品にのみ有効なものと化していることが多く、すぐれた作品だからといって、その技術を他者がすぐに学んだり、使ったりすることは実に難しい。そのため、他者の作品からは、本質的な部分と、大きな流れのようなものを感得してゆくほかは、プロ・アマを問わず、実際に創作を繰り返し、自分以外の人の目にさらしつづけていくことが大事だろうと、経験からは感じている。
もの書きとは別の、様々なクリエーターの方にお会いする機会が、幸いにもあるけれど、どの世界も、まず安易なものではない。基本的には、くさらず、あまえず、ときには傲慢なほど思い上がってでもしがみつき、ただただ辛抱強くあるしかないようだ。
これからの人へ。時間がかかることを嫌がらず、遠回りの道を避けないで、はじめは自分のためであっても、いつかは誰かのために書いてほしい。
天童荒太/wikiより
天童 荒太(てんどう あらた、1960年5月8日 -)は、日本の小説家・推理作家。男性。初期は本名の栗田 教行(くりた のりゆき)名義で活動した。代表作に『家族狩り』『永遠の仔』『悼む人』など。