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「<こころ>の軌跡」 近藤章久先生

今回は、精神科医の故・近藤章久先生の著書「<こころ>の軌跡」について、ご紹介したいと思います。
近藤先生の「<こころ>の軌跡」を一読した時に、
すごい本に出逢った、わたしにとってとても大切な本になる!と直観的に感じたのです。
前回の村瀬嘉代子さんの著書との出逢いにも似た感覚でした。

ホーナイの精神分析と禅

精神科医でカリーン・ホーナイの高弟である近藤先生。
ホーナイの精神分析は、フロイトの理論を一部批判し、人はこれまで自己防衛反応によって作り出してきたイリュージョン(幻想)を消去して解放され、「本来の自己(real-self)」に目覚めていく過程が心理療法の鍵である、と説いています。
そして、近藤先生は、ホーナイの精神分析思想は東洋思想に近く、禅の修行過程と似ていると述べられ、著書では、先生ご自身の禅の修行過程も踏まえて語られておられます。
この幻想に価値を置き囚われている「仮幻の自己」から、「本来の自己」「あるがまま、自然(じねん)の自己」への変容の過程は、
ユングの「個性化の過程」(individuation process)
ロジャーズの「自己理論」(self-theory)に通じるものがあります。

共感の世界―「転法論」

序文の近藤先生の紹介文に、先生のクリニックに訪れる患者さんや先生と会話される方は、その会話の中で、不思議と癒されて元氣が出てくる、健全な人間性が引き出されていく
それは、ある時はやさしく、ある時は理論的に、またある時は無言の内に、そうした癒しの過程が行われていくと書かれてあります。
また、近藤先生も相手の言葉に心を澄ませて聴いていると、相手のイリュージョンが観えてくる、ずっと静かに聴いているうちに、相手は何が大切で、どういう価値観を持ち、その意味がその人にとって何なのかがわかってくるといわれます。

このように会話を重ねていく中で、自然に相手の意識の変容が起こる過程はどのようにして生じるのでしょうか?
近藤先生は、「共感」という行為で説明されています。
共感の世界――「煩悩即菩提」の世界をお互いに感じ合うことができると、
「仏々相念」「転法輪の世界」が開かれるという。

この転法輪が転ずるのを体験するには段階があり、
まず、セラピストの意識が成長していること。
そして、相手が煩悩の泥沼につかっている状態を、セラピストは離れて眺めるのではなく、共に煩悩を感じること。
この煩悩も菩提も「共感」し、お互いに拝み合うことができると、
その場にダイナミックな仏の働き、「転法輪の世界」が開けてくる
非常に有り難い絶対の世界を共にすることができる、と述べられています。

人智を超えた、とても壮大な話となりましたが―――❕
言葉(理性)では表現の難しい領域なので、仏教用語を用いて説明されておられるのでしょう、
この「共感」という行為の、深い深い意識層で発生する転換、変容によって、有り難い世界が開けてくる――イリュージョンから解放される現象が生起する。
これは、理性でわかるものではなく、体得するしかない領域ですよね。。

近藤先生は、禅の座禅修行、公案等の段階を経て宗教的神秘体験もされておられる方です。
ご自身のイリュージョンを自覚し、離れる精神鍛錬を行ってこられたからこそ、「相手のイリュージョンも、個性―いわゆるその人本来の自己がよくわかるようになって、その人の心の深さ、存在そのものを感じながら、話し合うことができる」、
という、まるで霊能者のごとく⁉神通力のように、気がつくと相手はイリュージョンから解放され、心が軽く本来の力を取り戻していくのでしょう。

熏習(くんじゅう)

近藤先生は、常に「セラピストのパーソナリティが大事だ」、「菩提心が必要だ」、
精神療法の教育分析とは単なる精神分析の知的・技術的トレーニングを行うことだけではない、まず人格の錬磨が必要だと思っていると、
この著書でも何度も繰り返し述べられています。

あるセラピストの方が「自分はこれまで心から尊敬できる先生は一人もおらず、自分の心の中まで影響を与えてくれた人はいませんでした。
その僕が、いつの間にか近藤先生の影響を受けていたことに気づきました。」と言われたという。

また、別のエピソードでは、
平生、わたしたちが何気なく聴いている言葉や話が知らず知らず深く熏習(くんじゅう)していく、
セラピスト自身に、相手のいのちへの信頼と、人のいのち、存在に対する尊敬があること、このいのちへの根本的な信頼感を持つことが大切である、

精神分析のconfrontation(直面化)を強いるよりも、この根本的な信頼感があれば、思うように進まなくても相手の成長を気長に待つことができる
相手とディスカッションを重ねているうちに、自ずからそこに熏習が起きてくる、相手の存在が成長に向かって進んでいくと思う、と語られておられます。

あとがきに寄せられた、松田仁雄先生の文章を紹介します。

―八雲の御宅の門をくぐる度、私はまだ師の熏習を受け続けていることを感じている。
近藤先生と場を共にすると、いつも生命が歓喜んだ。

そして、序文の紹介文にあるように、
近藤先生は、人間に対する愛があった、
霊的な次元の愛であり、菩薩の如き慈悲の心を持って人間を見ていた――
このように周囲から惜しみない称賛・絶賛を受けておられ、
まさに、霊的な次元の愛をご自身の生きる姿勢として体現し、実践されてこられた方なのだと、深く感動しました。

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