【短編】梅雨にはフーゴがよく似合う ~ほぼ葬儀専門〟の写真会社にて~
「本心がどうであれ、最後の社長の質問には絶対〝はい〟って答えろよ」
啓太のアドバイスどおり、面接での最後の質問に、私は素直にYesと答えた。
――ベトナムでの事業展開の際には、配属を希望しますか――
よく行くバーのマスターに「お前と絶対気が合う」といって紹介されたのが啓太だった。
異性を紹介されることの鬱陶しさは、梅雨時に煩わされるクセ毛のそれの比ではない。
それでも素直に紹介を受けたのは、啓太の勤めている写真会社が人を募集しているという情報付きだったからだ。
バーで啓太と初めて会った夜、彼は私の顔を覗き込むなり、いの一番にこう言った。
「お前の顔はタイプじゃない」
いきなりの脈略ないセリフに、怒りやショックといった感情は湧いてこず、むしろこいつの頭は大丈夫なのだろうかといった心配の思いが先に立った。
啓太はお構いなしに隣に座ると、マスターに向って「フーゴね」と言った。
マスターの含み笑いとともに、グラスで氷が鳴る。
私と同じオーダーに笑ったのか、揶揄われ気味の私に対して笑ったのか・・・
啓太は出されたグラスを軽く揺らしながら
「梅雨にはフーゴがよく似合う」
と、太宰治みたいなことを言って、それこそフーゴみたいに爽やかに笑った。
啓太のアドバイスあってか社長直々に行われる面接を無事クリアし、早速次の日から出勤となった。
冠婚葬祭専門の写真撮影や商品を扱うこの会社は、一応全国各地に営業所を展開していた。
だが田舎の営業所だと一人で仕事を回しているところもあるなど、規模的には零細企業となんら変わらなかった。
私が採用になった〝名ばかり本社〟で働く従業員数も、社長とバイトを入れて全部で7人ぼっちだ。
零細企業に有りがちなのだろうが、特に部署とか担当部門などはなく、とにかく社員全員、何でも屋になる必要があった。
営業も掛ければ苦情も聞く、無理な要求もなんとか対応する、ひっきりなしの電話の合間に売掛と買掛の処理や伝票作成をする、フォトショで葬式の遺影を作って額にはめ配達する、土日には結婚式場のサロンでやりたくもないお世辞を振り撒き馬鹿高いアルバムを売り付けて回る、夜中には見飽きた新郎新婦の写真や、葬祭アルバムの編集に明け暮れる・・・上げれば切りがない程の仕事量が、いつも途切れることなく湧いて出て来た。
なんとか仕事を熟しているうち、あっという間に一年が過ぎていた。
「駅前の会館で十時から始まる家族葬の池田家が、今から集合写真お願いできないかって言ってるそうです」
バイトの陽葵(ひな)ちゃんが困った表情(かお)で私に報告する。
「わかった。今から私向かうから、念のため集合人数も確認しといて」
写真会社に勤め出して最初に驚いたのが、葬式にアルバム撮影というものがあることだった。
葬式の一連の流れを撮影し、それを十枚綴りのアルバムで納品する。
アルバムの発注をためらう家族でも、集合写真だけなら撮ってもらいたいと言い出す家族は案外多く、下請けの身分である写真会社は、会館の営担からこういう急な発注が入っても断れないのが現状だ。
「月末のクソ忙しいときに、会館の奴らも屁のつっぱりにもなんねえ注文受けんなよな」
遺影用の写真を裁断しながら隣で啓太が文句を言う。
月末になると、病院が売上計上の目的で、ベッドの患者を大量に「お亡くなり」させてくるため、どうしたって忙しくなるのだ。
因みにこの会社の売上の約七割が、遺影作成の収益によって支えられている。
「そんな下品なこと言ってると、社長に切られるよ」
一眼レフの不具合が無いか確認しながら、啓太に忠告した。
「望むところだし。クビになったほうが保険出るじゃん」
啓太の無駄口に先輩の玉置さんも「だよな」と笑って相槌を打った。
元税理士である社長は、六十を過ぎて会計事務所を畳んだあと、この会社を立ち上げたそうだ。
学生時代からの趣味だった写真を、仕事にしてみたかったという理由で立ち上げたらしい。
今日の社長は、朝から振込や振替で忙しいらしく、自宅でネットバンキングの作業をしていた。
彼が不在中の職場は、いつも雑談と笑いに溢れている。
「啓太、駅前分の遺影、ついでに配達してくるよ」
私は靴を履きながら、玄関前に並べられた遺影を顎でしゃくってみせた。
啓太は「まだ出来上がってねーんだわ」と残念そうに返答した。
私はシューズボックスの脇に引っ掛けてある軽バンのキーを握ると、そそくさと玄関を後にした。
現場に着くと、近所のコインパーキングに軽バンを停め、目立たぬ表情を装って会館の裏口に向う。
肩からぶら下がったカメラを両手で上品に抱えながら、エレベーターは使わず階段を静かに上っていく。
四階にて施行であるらしい池田家の間に、存在感を消し去り入っていく。
出会う営担や主任には、我が頭頂部をお見せするかのように丁重にお辞儀する。
参列者とは要らぬ視線を合わせぬように、下前方に視線を落とす。
透明人間になったつもりで、背景に溶け込みつつ、司会者の台へと向かう。
その台に備え付けてある照明のツマミを回して集合写真用に調整する。
祭壇中央に飾られた遺影にライトが反射して白くなっていないか、後方に回って再度確認する。
その場にいるスタッフに声を掛け椅子を揃えるのを手伝ってもらう。
「では、今から集合御写真を撮影してまいります・・・」と粛々とした調子で言い、参列者を整列させる。
参列者全員の手の位置、足の向き、眼鏡の反射もチェックする。
「はいでは、御撮りいたします」と言って、パシャリ。さらにもう一枚、別カメラでももう一枚。
そのあとは、さっきまでの動作を巻き戻していく。
椅子を片し、照明を戻し、目の合う人にはすべてに頭頂部を見せ、海老のように腰を曲げた体勢でその場を後にする。
この時に、何か別件で営担からクレームをもらうこともある。
前に入っていたカメラマンの態度が悪かったとか、何月何日なんとか家のアルバムに、傷が入っていたとか、嘘でも本当でも、兎に角その場では何度も頭を下げ、不良品に関しては、物を見た上で再納品を約束する。
「ただいま」
事務所に帰ると、撮り立てのデータを早速パソコンに落とす。
作業しながら、事務所奥にある社長室兼経理室のドアをチラっと見遣る。
開け放ったままになっている。
社長が在席の場合、あの扉は閉められている。
まだ帰っていないらしい。
社長室のソファの脇には経理用のデスクが一席用意されている。
土曜日になると藤崎さんという三十代の女性が、経理業務をしにそこにやってくる。
平日は、会計事務所に勤めているそうだ。
うちの仕事は副業でしてくれている。昔社長が税理士だった頃の部下だと聞いている。
社長は藤崎さんにだけは優しい。
少なくとも、彼が彼女に暴言を吐いたり叱責したりしているところを私は見たことがない。
私は、玄関に並んだ無数の遺影を一瞥して、軽く溜息を吐いた。
何に対しての溜息なんだか、と自分でツッコむ。
啓太が振り返る。
「お前、今暇?」
「全然」
「じゃあ、そこの遺影、ビニール袋に入れてってくれる?」
「暇じゃないってば」
パソコンに向かう私の姿は、啓太の目には暇に映るらしい。
「今から駅前と中央通り、回んなきゃいけねえからお前も同乗してな。市内で婚礼の納品もあっからさ」
「ひとりでやってよ、私まだ発注作業も終わってないんだよ」
ああそうなのと言いながら、啓太がパソコンのウインドウをチェックする。
しゃーねえなあと呟いた後、給湯室にいた陽葵ちゃんを手招きしてこう言った。
「ロニアスくらい陽葵ちゃん使えたよな?ゆっくりでいいから発注かけといてくれる?」
陽葵ちゃんは「了解です」と笑顔で応えると早速デスクに向かい始めた。
その遣り取りを見ていた玉置さんが「いいじゃん手伝ってやれよ。ひとりだとなかなかキツイの、知ってるだろ?」と言って啓太の肩を持つ。
時計は十時半を指している。二人でなら十二時半には戻って来れそうだ。
「わかったよ。じゃあさっさと積んじゃお」
啓太がさんきゅといって笑顔を作る。
玉置さんと陽葵ちゃんに弁当を買って帰る約束をすると、私たちは慌ただしく事務所を出て行った。
「なんか雨降りそうだね」
運転席から曇り空を見上げて呟く私に、「降ったらめんどくせーな」と啓太が答える。
当たり前のように私が運転席なのは、駅前での納品作業はコインパーキングに駐車せずに、会館の裏口に横付けして、啓太が積み下ろしできるようにするためだ。
昔、先輩の玉置さんが納品作業のためだけにコインパーキングを利用したとき、社長からこっぴどく叱られのだった。たしか領収書は受け取ってもらえず、玉置さんの自腹出費となったはずだ。
そのときも社長の雷が落ちた。
「バカヤロ―!納品の度に駐車代を経費で落とせる程、お前らが稼いでるとでも思ってるのか!ここの売上げが他の営業所より伸びているのは、俺のおかげなんだぞ!」
そうやって社員を叱った後は、必ず二、三度舌打ちをする。
「社長は、堂々とコインパーキング停めていやがるのにな」
あの日も啓太はそう吐き捨てて、社長室を睨んでいた。
うちの会社では請求書だけは社長自身が各取引先に直接持っていく習慣になっていた。
駅前と市内での納品を終えた途端、堪(こら)えきれなくなった空からぽつぽつ雨が降り出した。
中央通りの配達が終わった頃には、その雨は土砂降りになっていた。
助手席で啓太が「ナイスタイミングで回り終えたな」と言ってスマホを弄っている。
アプリの雨雲レーダを見ながら「事務所着くころには止みそうだわ」と付け加えた。
「雨雲レーダーはあたるからね」
「だな」
そう言って二人でくすりと笑った。
先月末、啓太が社長に怒鳴られた日も、窓の外はこれくらい土砂降りだった。
その日社長は請求書を各取引先に持っていくために、午後から外出する予定だった。
だが、啓太の信頼する雨雲レーダアプリでは、昼過ぎから三時頃まで土砂降りになると予報していた。
「四時過ぎには晴れそうなんで、それからのほうがよくないですか」と啓太がアドバイスしたのだが、
「アホかおまえ」と社長に一蹴りされた。
「午後一で動かないとうちみたいな零細企業は舐められんだよ」
そう言って書類を封筒に詰めると、玄関前に並べてあった遺影を手にした。請求書のついでに納品してくれるらしい。
「遺影は持ってかなくていいっすよ。夕方でも間に合うんで」という啓太の言葉は無視された。
社長が出て行ったあと、啓太は「持ってかれるほうが面倒なんだけど」と言って愚痴をこぼした。
「裸の電照は濡れちゃったりなんかしたら取返しつかねえもんな」と、玉置さんが明るい声で言った。
電照とは、薄いフィルム紙に印刷した遺影のことで、後ろからライトを当てると遺影の画像がきれいに発光して見える仕組みになっていた。そのフィルム紙の納品は、額にははめずに裸で持っていくため、雨に濡れると印刷が滲んだり剥がれたりして、使い物にならなくなるのだ。
啓太と玉置さんの心配は的中した。
社長から、至急遺影を印刷し直してくれと電話が入ったのだ。
「言わんこっちゃねえ。てか傘、軽バンに積んであるよな?」
いつ雨が降っても構わないように、軽バンには傘が常備されていた。
事務所に戻って来た社長のスーツはびしょ濡れだった。
眼鏡についた水滴が、彼の情けない表情作りに一躍買っていた。
「軽バンに傘積んでありませんでした?」と啓太が聞くと
社長が「どこに積んであるんだ」と言って啓太を睨んだ。
「後部座席の下っすよ。昔社長が置いたですよ?座席の上に置いてたら汚いからって下に置くのが定位置になって…」
「バカヤロ―!」
啓太が言い終わらないうちに、社長の罵声が飛んだ。
「さっさと電照持ってけ!お前らは経理も出来ないくせに言い訳だけは一人前にしやがって、クソったれ」
叱咤でも説諭でもないただの貶(けな)し文句を言い終えた社長は、ねちっこい舌打ちを打ちながら社長室に入ると、勢いよくドアを閉めたのだった。。
納品を終え事務所に帰ると、社長は既に自宅から戻っていた。
私が〝いるの?〟と、社長室のドアを指差しながら陽葵ちゃんに口パクで聞くと、彼女は残念そうな顔をして頷いて見せた。
「昼飯くらい楽しく食いてえ」と啓太が小声で言う。
コンビニで買って来た多種多様な弁当を、みんなに静かに選んでもらう。
私達の交す私語が盛り上がってしまったときには、社長は必ず社長室から出てきて今月の売上の話をし始める。
うちの会社はいつ潰れてもおかしくないだの、この会社が存続できているのは俺が税理士だからだのと、もう税理士でもなんでもない社長は、未だに昔の自分の肩書にすがってそう言う。最後には、私語などする権利などお前等には無いと言い放ち、社長室に戻っていく。
今日は割と静かな昼食だったので、社長の愚痴は聞かずに済んだ。
ちなみに、社長は昼食を摂らない。そのせいかは分からないが、社長の口からは強烈な酸の匂いがする。胃が荒れているせいで口臭がするのだろう。本人は気付いていないが、従業員全員そのことを不快に思っている。取引先の人は社長の口臭をどう思っているのだろうと、みんなで噂したことがあるほどだ。
食後に、玉置さんが全員分のコーヒーを淹れている横で、「社長なんか言ってました?」と私が訊ねる。
「ああ」という間抜けな声の後、「あいつらはふたりでないと納品もいけねえのかってさ」と言って私の分のコーヒーを差し出した。
「やはりですか」
「やはりですね」
二人でそう言い合ったあと、顔を見合わせてくすりと笑った。
三時を過ぎて、気晴らしに伝票整理をしていると、経理の藤崎さんが突然やって来た。
「平日なのに、どうしたんですか?」と訊くと、「有休とったけど結局やることなくて」と照れ臭そうに笑った。
藤崎さんは、右手に持っていたエコバッグを見せながら
「アイス、買って来たんでみなさん食べませんか」と言った。
我々は大いに喜んだ。
昔は契約カメラマン達がちょくちょく差し入れをしてくれたのだが、社長が一度「雑談したさにこんなもん持って来るのは金輪際やめてくれ」なんて言ったものだから、それ以来カメラマンが事務所に立ち寄ることは激減してしまった。
藤崎さんは一度アイスを冷凍庫に仕舞うと、社長室に声を掛けた。
のこのこと出て来た社長の顔は平穏そのもので、たまに笑顔まで溢す、〝土曜日の社長の顔〟になっていた。
こんなだったら毎日でも藤崎さんに来てもらいたい。
彼女のために社長自らコーヒーを淹れる。淹れるといってもインスタントだが。
給湯室からは、タイムカードを押しておくよう勧める声が聞こえてきた。
「出勤扱いなんですかね」と、隣で陽葵ちゃんがムスッとする。
私はコクンと頷いて、彼女に向って労りの表情を作って見せた。
社長と藤崎さんの雑談が済んだ頃、ようやくアイスの時間となった。
お盆の上に丁寧に並べられたアイスを見せて「どれがいいですか」と藤崎さんが問うて回る。
私達が選び終えた後、最後にお盆に残ったあずきバーが、社長の元へと運ばれた。
社長は「はじめて食うな」と嬉しそうに言いながら、パッケージを剥き始めた。
キンキンに冷えた小豆色のバーがひょっこり顔を出す。
給湯室でアイスを持って立っている社長の姿が珍し過ぎるせいもあり、私たちは代わる代わる顔を見合わせながら、社長の動向を注視していた。
傍らで藤崎さんが「私それ大好きなんです」とコメントを加えている。
「そうかそうか」とでも言いたげな表情をして、あずきバーにかぶり付く社長――
硬いのか「んッ・・・んんんッ」という妙な力み声を漏らしている。
アイスを舐めながら見守る我々にも、変に力が入った。
バーをなかなか噛み切れない社長は、腕と歯に全身の力を込め、今度は「んガァッ!」と短く絶叫した。
やっとかじり取ったのか、口からあずきバーが抜かれた次の瞬間、床に何かが転がり落ちた。
驚きつつみんなで視線を落とす。
「これって・・」と言って藤崎さんが指差した先には、歯の欠片が転がっていた。
我々もゆっくり席から立ち上がる。
啓太だけは座ったまま、今にも吹き出しそうな口を押さえて笑いを必死に堪(こら)えている。
社長が「え⁉」と息をのみながら、恐る恐る前歯を触った。
開かれた口の真ん中には、有るはずの前歯は姿を消して、ぽっかり穴が空いていた。
慌てて壁に掛かった鏡を覗く社長――
鏡越しには、口をニカっと開けて、折れた前歯をいつまでも眺めている社長の顔が見えた。
後ろ姿が一層不甲斐なく見える。
「だいじょうぶですか?」と誰彼ともなく話し掛けるが、一向に振り向きもしない。
「まあでも、よかったですね。今日はもう外出予定もないんで」
純粋にそう思ったのだろう、玉置さんが席に着きながら能天気な声でそう言った。
それを聞いた社長が、振り返って舌打ちをする。
隣りで藤崎さんが「すみません・・・」と謝る。
社長は「君が悪い訳ではない・・」と、彼女に向ってたどたどしく言うと、給湯室から出て来た。
玉置さんに感化されたのか、私まで社長に向って「こういうときは笑っといたほうが儲けですよ」とたわけたことを言ってしまった。
眉間に皺を寄せる社長を見て、怒声が飛ぶのを覚悟した。
だが実際に飛んで来たのは「うるさい」と言いつつ弱々しく笑う社長の声だった。
社長が歯医者に出掛けたあと、私たちは彼の話で大いに盛り上がった。
その夜、啓太といつものバーに行った。
マスターがサービスでオリーブを出してくれた。
「キティにはオリーブがよく似合う」と言う啓太に、「オリーブはなんにでもあうよ」と私がツッコむ。
「明日は差し歯かな?社長の前歯」
「だろーな」
グラスを揺らして笑う啓太に、「そういえばさ」と別の話題を振る。
「面接の時に言ってた、ベトナムでの事業展開って、まだ始まらないのかな」
啓太がぽかんとした顔でこっちを見返す。若干の間があった後、キティを飲み干しこう言った。
「お前、あんな質問本気にしてんの」
「え、あれ嘘なの?」
「そりゃそーだろ」
啓太はしれっとそう言うと、マスターに向って、キティっぽいやつもう一杯作って、と頼んだ。
「もしベトナムでそうだったとして、お前行くつもりだったの?」と訊かれ、「どうだろ」と私もしれっと曖昧に答える。それからマスターに向って、啓太と同じの一杯、と注文する。
「嘘だとしたら、あんな面接、しちゃっていいの?」
「予定は未定だろ、未来に嘘もクソもねーだろ」
「まあ、ねえ」
「酒飲むときまで社長の話って、イケてなくね?」
「まあでも、こんなに噂されてる六十代ってなかなか居ないよね」
「たしかにそだな」
そう言ってふたりでくすりと笑う。
マスターから「はい、キティっぽいの」と言われて差し出された二つのグラスに、丁度ダウンライトがあたって色っぽく見えた。赤ワインとジンジャーエールが混ざり合わずに二層になったままなのもいい。
「混ぜてねーだけじゃん」と啓太が言う。
「キティっぽいじゃん」とマスターが笑う。
「今度、噂の社長連れておいでよ」とけしかけてくるマスターに向って、
「やだよ!」と私たちは声を揃えて言った。
もうすぐ梅雨も明ける。
今日の最後の一杯は、フーゴにしようと啓太が言った。
【YouTubeで朗読してます (ここクリックすると動画に飛べます)】
あとがき
小説を読んでいて
楽しいことの一つに
自分の知らない職場を垣間見れる
ということがあります。
今回はリクエストからの執筆です。
ちょっとでも
「へー」と思ってもらえる部分があれば
幸いです。
ちなみに長編自作小説『ノラら』の
第二章・堀戸から見た世界では
ものづくり(家電メーカー系)に関して
描いた部分が多く存在します。
拙い実験的文章ですので
聞きづらいところ多々ありますが
もしご興味おありであれば
ご視聴してみていただけると嬉しいです。
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