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Case 1 私のお母さんをきちんと看て!

 総文字:6200

 私は新人から天国に一番近い病棟こと、呼吸器内科に所属していた。
 何故一番時間外勤務が多く、連日の如く空へ旅立つ方をお看取りする病棟へ行ったのか。それは先輩である母が教えた言葉だった。

「看護師で、ずっと同じ場所にいるとかたわ(使えない)になるから、若いうちに循環器、脳神経、呼吸器のいずれかはマスターしなさい。あと、あんたが望む慢性期に行きたいんだったら、最低7年は急性期にしがみつきなさい」

 私は有名人だった母のお陰?で最初から大手私立病院へ就職した。しかも、脳神経外科は怖い先輩しかいない、循環器は自分が持病抱えているのであの心電図を勉強するだけでノイローゼになりそう。
 そうなると、消去法で呼吸器内科しか選択肢が無かった。面談でもはっきりと第一希望「呼吸器内科です」第二希望は……「えっと、内科…?」と言っている。私が死してなお尊敬している当時のH部長は爆笑した。「今年の新人さんはえらい勉強熱心だねえ!」と。いや、そういう意味で呼吸器希望だったわけじゃないんだ……。


 私の中で呼吸器内科における4年半は実に充実していた時間だった。
 先の話で、私が初めて「急変」に当たった話を記載したが、少しずつ実際にあった考えさせられる話について紐を解こうと思う。
 当時は私の書き方が悪かったせいもあり、偶然ホームページを発見した大嫌いな担任に呼び出しされてしこたま怒られたがもう時効だ。
 むしろ、私が実際に患者様家族から言われた言葉は、今後もし本気で看護師を目指す人にはぜひ覚えていて欲しいものが多いから発信する。
 
 ーーこれは、変態看護師 葵が実際に見聞きしたノンフィクションだ。



 新人から2年目になると先輩看護師の眼は新しい新人さんへ向く。私と同期二人はのらりくらりと”そこそこ”慣れた仕事で淡々と業務をこなしていた。
 病棟編成があり、天国に一番近い病棟は2階下へと下がった。オープンスペースのナースステーションは四方八方どこからでも丸見えだ。膝上の白衣で、しかも足を組んでみたりがに股で仕事をしている後輩を何十回注意したか。(あれはわざとだったのだろうか?)
 私が就職する前から肺癌で抗がん剤治療を続けていたとある奥様が急変し、脳メタ(脳転移)して言葉が発せられなくなった。しかも彼女には20歳の娘様と、まだ中学生の娘様がいた。
 お父さんは自営業でほぼ休みなく働いている。母の見舞いに来るのは殆どがこの二人の姉妹だった。私はこの患者さんが喋れた頃から偶然関わっていたが、当時の次女さんは口数も少なく、病院に来ることさえ嫌っていたのだが、日に日に悪化する母を見て毎日無言で来るようになった。
 実際面会時間の制限は19時までとあるのだが、彼女らは若い。いつまで母と一緒に過ごせるか分からないと当時から感じていたと思う。

 夜勤でAチーム(彼女のいる方の部屋)に当たる時、いつも娘さん達に挨拶された。怖い師長が部屋周りに行くと「面会時間終わりだからそろそろ帰ってね」と言われるが、私は黙認して20時まではほっといた。実際、用事で遅くに来る患者さんの家族は結構いたし、急変を見られなければ別にいいと思っていたので、彼女らが消灯ギリギリにこそこそ帰ろうとする時は、裏の階段から行くように伝えてそのまま正面玄関に抜けてもらった。

 月日が過ぎ、少しずつ抗がん剤が効かなくなり、母は言葉を閉じた。目は右上を向いたまま、瞬きも自分ではできない。
 呼吸も悪くなり、気管切開も余儀なくされた。食事も自分では食べられず、口もあかないので24時間点滴の人生へと変わった。
 彼女は瞬きが出来ないのと、自分で身体を動かす事が出来ないので、2時間ごとに彼女のところへと向かう。流石に処置が増え、彼女を大部屋で看るのが難しくなり、1人部屋へ移動してもらった。(ここでもかなり悶着があったが)すると、ひとり部屋だからいいよね?と長女さんが何と病院に寝泊まりするようになったのだ。

 当時も言われたが、彼女がごつごつの床に寝泊まりし、時間ごとに妹とバトンタッチした時にお風呂や買い出しに一旦家へ帰る。母はもう言葉を発することはなく、ただ生かされているだけ。それでも、彼女達にとってはたった一人の「母」なのだ。例えどんな姿であろうと、もう一度話しかけてくれなくても、彼女らにとってはかけがえのない家族の時間だった。
 段々看護に慣れてくると、失礼な態度が目につく。それは新人ちゃんも同じだった。同じ人を毎日看ていると正直な話、私も「慣れ」が出てしまい、記録も昨日と同じような事書いてるなあ…と電子カルテを入力する。

 ある日、若い呼吸器内科の医者と新人ちゃんがげらげら笑っている声(しかも消灯前)にあり、私は巡視の間に慌ててナースステーションへ戻った。これはあまりにも非常識だ。目の前の6部屋は全て「状態の悪い人」しかいない。社長さんや個人的な理由で特室や一人部屋を好む人もいたが、はっきり言って看護の都合で一人部屋に入ってもらった人の方が多い。隣にあるリカバリー室なんてまさに処置のオンパレードだった。

「あの、楽しいお話は外でお願いします。または休憩所で。非常識ですよ」

「はぁ~い(なんだよ、このくそ先輩またうっせええなあ)」

 後輩の間延びした声に目配せする研修医。心の声はだだ漏れである。
 何度もこの後輩のチャラチャラ感は説教してきたが、何度言っても命に対する責任感がなかった。私と夜勤を組むと当たり前のように腹痛を訴えてトイレへ逃げ込んでみたり、急変があると手順をすっ飛ばして何もできなくなる。それでも、顔が可愛いという理由だけで医者たちからは絶大な人気だった。
 仕事が出来なくても、顔が可愛いだけで看護が出来るんだったらぼろい商売だよなと思いつつ、私は土偶のまま黙々と仕事をこなす。二度目の後輩の笑い声にブチ切れたのは私よりも例の患者さんの家族からだった。
 
「ちょっと、あんたたち。私達家族がこんなつらい思いしてお母さんのそばにいるってのに、何がおかしいの!?恥ずかしくないの、大層な仕事しているフリして。そうやって影でバカにして、ふざけないでよ!ちゃんとお母さんを看て頂戴!」

 まだ20歳の彼女は泣きながらナースステーションに飛び込んできた。黙りこくった新人と研修医はひたすら彼女に「すいませんでした」とわびていたが、それも一蹴。

「私に詫びるくらいだったら、真面目にきちんと看護やってお母さんに謝って頂戴、あんたにもうお母さんを看てもらいたくない!二度と部屋に入ってこないで!」

 彼女の怒りはごもっともだった。当時リーダーをしていた私は彼女の部屋に行き、声を殺して泣いていた長女さんの背中をさすった。

「悔しい、悔しいよ。〇〇さんはさ、ちゃんとお母さんに毎回話しかけてくれるじゃない。私が見てないと思った?あの子達、本当にうわべだけで、あんな心のない奴らにお母さんに触れて欲しくない!もう、本当に嫌なの」

 ああ、そうだった。私は自分が新人の頃から携わった患者さんには朝必ず挨拶に行っている。リーダー業務が始まってからは30分以上早めに出勤して、夜勤からの申し送りがある前に必ず全部屋を確認するのが習慣だった。彼女は寝泊まりしているので、私がデカい図体で部屋に入ってきてもそりゃあ気づく。目が充血していたら点眼処方してもらったり、蒸しタオル持って行ったり、そんな些細な事が長女さんとはがっちり信頼関係を結んでいたらしい。
 しかし問題はこの後だ。研修医は彼女の逆鱗に触れ、二度と見せてもらえなくなり、笑っていた新人は毎日お詫びに行ったが結局長女さんとは口もきいてもらえなかった。
 ただ、一度失った信頼関係は取り戻せない。まして、口だけで済むなら本当に警察はいらんだ。
 
 私は彼女と彼女家族に拒否られている後輩に泣きつかれ、しょうがなく一緒に謝りにいった。一発目から「なにしにきたの?」と眼鏡の奥から鋭い瞳で睨みつけられ、ちびりそうになったが、ここで後輩が成長するには逃げちゃいけないシーンだ。

「不愉快かもしれないけど、彼女の話を一度でいいから聞いてやってもらえる?」

 彼女は腕を組んだまま怒っていたが、後輩のお詫びと心から看護の姿勢を変えるという言葉を信じてくれたのか、それから環境整備、清拭の支援に一緒に入らせてもらえるまで回復し、後半はきちんと部屋もちもさせてもらえるようになった。
 後輩は私と違って若者なので、20歳の娘さんとそりゃあ話があう。(私はただのオタクなのでさっぱり会話に参加できなかった……)

 そもそも、彼女も私のことを36歳3人の子持ちと認証していたので、「〇〇さんはほんっと頼れる先輩だよね、あんた(後輩ちゃん)も見習いなさいよ」と激を飛ばしていた。

 うん、すっごく嬉しい言葉なんですが、私とその子、1年しか違わないのよ。そして、そんなに頼れる先輩でもないんだ。



 月日が変わり、彼女の脳転移は悪化し、けいれん発作の回数が増えた。いつ呼吸停止してもおかしくない、もう抗がん剤を出来る身体ではないので、対象療法へと切り替わった。二人の娘さまは真摯にその言葉を受け止め、一緒にたった一度だけ部屋の外でわんわん泣いた。お母さんには絶対に見せない涙を一緒に共有した。
 毎日のラウンドで、ふと次女さんが私に話しかけてきた。彼女は本当に口数が少なくて、おねえちゃんの影に隠れている子だ。

「あの、〇〇さん。おねえちゃん、結婚する予定だったんです」

 唐突な報告に、私はどう返していいか悩んだ。え、そんな大事な話を彼氏もいない葵さんに言っていいのか!?

「おかあさんが、元気になったら結婚式挙げるつもりだったんです。でも、おねえちゃんが全部抱え込んだから、おねえちゃん、おかあさんの為に自分の人生犠牲にして」

 そこまでしか聞けていなかったが、次女さんは姉に全て背負わせた事を負い目に感じていたらしい。結婚する予定だった男と別れた、という話を軽快に笑い飛ばして一緒に身体を拭いていた時に母へ報告していたのは聞いたが、まさかそういう事になっているとは思わなかった。
 まだ20歳の彼女は本当に強かった。今自分が出来る最大のことを、全て母の為に時間を費やしたのだ。同じ立場であれば私には到底できない。まして、次女さんもまだ学生だ。青春を謳歌したい年頃だと言うのに、毎日学校が終わって母の病態を見るだけ。一方的な話を目を見開いたまま過ごす母へ伝えるのだ。
 
「つらい、けど、おかあさんには、生きてて欲しい」

 それが次女さんの本音だった。涙を見せない彼女の意志は強かった。


 さらに月日がたち、今度は彼女が傾眠がちになってきた。24時間心電図管理となり、時々心拍数が急低下する。呼吸がピタリと止まると部屋から長女さんが飛び出して「〇〇先生呼んで!」と声を荒げる。
 長い闘病生活に疲れていたのは彼女らだけではない。我々看る側も段々『ロシアンルーレット』という最低の呼び名をつけていた。

 この、亡くなった時に一番面倒くさい対象を誰が看取るのか

 ふざけた話だと思いますよね

ですが、毎日数名亡くなる病棟では来た時にあの部屋の誰が危ない、あの部屋はきちんと巡視して、あの部屋はサポート、受け持ち変更ときちんと申し送りをしてからの巡視をする。
 この残念なネーミングの「ロシアンルーレット」に当たると本当にその日の仕事が終わらない。下手すると日付が変わってしまい翌日も仕事をこなす日も多々あった。

 肉体疲労が抜けないと精神面も疲れてくる。私はましてよくかかわった人のお看取りに遭遇する率が高いので、「葵さんと夜勤したくないw」といつもスタッフから嫌われていた。仕方がないじゃないか、別に私の看護が悪いわけじゃなくて、みんな私に看取って欲しいって言うんだもん……。

 このロシアンルーレットが発動された時、私は同期と夜勤だった。先輩から「今日当たるかも」と言われてその日の仕事内容をタイムスケジュールに起こして同期と蜜に話し合った。

 そしてその日、日付が変わった後の夜中に彼女は息を引き取った。
 最後の最後までご主人と、娘様二人がそばにいて、途中うつらうつらと長女さんは眠られていたが、最後の瞬間、医者が診断した時に長女さんが発狂した事は多分、私の看護師人生の中で忘れる事はないと思う。
 人の喪失体験というものは計り知れない。
 つらい人に「つらいね」と言うのは決して簡単ではない。私は肩代わりすることもできなければ、あくまで他人なのだ。
 がんばったねという言葉は今も嫌いだ。確かに彼女と娘様達がつないだ話ははたから見ると「生きることを頑張った」記録だ。けれども、彼女らは頑張ったのではなく、ただありのままにその日一日一日を大切に家族と過ごしていただけだ。決して頑張ったわけではない。多分、彼女らが言われて一番いやな言葉だと思っていたので、私は看取ったあの日も言わなかった。

 悲しいねと言う人と共に泣くことはできる。
 言葉を失って背中を震わせる人の背中をさすることはできる。
 冷たくなった手を握りしめて、感謝を述べることはできる。

 1時間以上、彼女の部屋から獣の咆哮のような鳴き声は収まらなかった。憔悴しきって出てきた長女さんは母の死後処理をさせてくれず、朝までこのままそばにいたいと言ってきた。時間が経つと死体から色々な内容物が排泄されるので、ちょっとそれはまずいと思い、私は彼女に選択させた。

お母さんを綺麗にして家に連れて帰ろう。

 死後処理は家族とやることはタブーだったので、流石に長女さん達には一度出てもらった。せっせと下準備だけ終わらせ、長女さんにメイクをしてもらい、綺麗に着飾ったおかあさんの最後をみて、長女さんは「お母さん、綺麗じゃん」と笑った。あまり見舞いに来なかったご主人も「なんだ、おめえ、えらいべっぴんになったな」と鼻を啜っていた。
 


 彼女が亡くなって49日が過ぎ、突然長女さんが病棟にやってきた。寝泊まりしていた頃とは別人の綺麗な容姿で。

「〇病棟の皆様に、長い間母が大変お世話になりました」

 彼女と話をした時に、次なる恋を求めて自分なりのスタートを切ったそうだ。母に紹介したかったフィアンセとは別れたが、結果としてその後に自分をもっと磨くきっかけにもなったそうだ。
 介護の資格まで取っていたので、もしかしたら彼女はスキルを活かしてバリバリどこかで働いているかもしれない。

 患者ー家族ー医療従事者の信頼関係は一度こじれると修復が難しい。
 まして、医療従事者も医者も、巧な言葉を吐いてうまく信用させていくスキルが高い(私にはありませんが)


おかあさんを、きちんと看て!


 私はもう病棟で働いていない身だが、看護師という仕事はどのステージで戦っていても同じだ。

 きちんとひとりの人間を人間として看れない看護師はクズでしかない。
 看護師の「身代わり」なんて星の数ほどいる。その中で、誰かに必要とされ、そしてひとの心に寄り添える看護師がこれから増えてくれるといいなと切に願う。

 心の不安と葛藤が入り混じれる呼吸器内科だけでなく、抗がん剤治療に携わる病棟に。


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