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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第32話 ケジメ


「……田畑さん、本当にいいんですね?」

 看護師長さんにもう一度念押しされた。この病棟に入る事の意味、決して遊びでは済まされない事。
 忍以外にも人を刺した彼女の母親は、ここに面会に来る事は出来ない。そして彼女は大好きな母親に会えなくなった事でさらに心を病んだ。

 市役所で会った時は、はつらつとした笑顔で自分の母親が煌びやかである事を語っていたが、2回目に雪ちゃんと彼女を見かけた時は別人だった。
 周囲からどう母親の事を説明されたのかは分からないが、彼女は受け入れられなかったのだろう。大好きな母親が人を刺したなどと。
 例え暴言を浴びたり攻撃されたとしても、彼女にとって母親はたった一人の大切な存在なのだ。
 家庭環境だけ見ると、彼女が盲目的に母親を狂信していてもおかしくはない。

「わかっています。弘樹さん……いえ、雨宮さんが協力してくださっているので。絶対に、彼女を説得します」

「我々は今後も一切関与できません。例え双方で問題が起きたとしても、すぐに警察が介入して入院している精神科の患者同士のトラブルで片付けられてしまいますが……」

「はい、それで結構です。彼女も私も、失うものはありませんから」

 私は深々と看護師長に頭を下げ、誰かが来ても全て面会謝絶にして下さいとお願いした。
 こんな身勝手なお願いを快く承諾してくれた弘樹さんの病院の人達は本当に優しい。多分、これも全て弘樹さんの人柄なのだろう。
 薬剤師は全ての科に関わるので、精神科の先生も知り合いのようだ。私に一応病名をつけてくれ、彼女と関わる機会を与えてくれた。

 接触のチャンスはたった一日。

 私はあくまで過度の錯乱状態になり、弘樹さんに演技してもらい首を絞めた事になっている。他人に危害を加える可能性があるという診断で一時的に保護入院という扱いだ。
 明日になり、もし何事も無ければすぐに退院させられてしまう。

「ママを返してくれるの?」

 私をまっすぐに見つめてきた彼女は両手にミトンのようなものをつけられていた。

「離れて大丈夫です。私は彼女と話をする為に来たので……」

 看護師さんが不安そうな顔のまま部屋から出た事を確認し、私は彼女——佳奈ちゃんと向き合った。

「ママがどうしていなくなったか、佳奈ちゃん分かる?」

「うん、知ってる。どうせ、また誰かを殴ったんでしょ」

 驚いた事に彼女は落ち着いていた。ママを返してと激昂していた様子はどこにもない。
 ならば多重人格なのか、精神的な病気の影響なのか。彼女を刺激するのは危険だが、意を決した。ここで私が逃げてしまったら、彼女は永遠にこの牢獄から出られない。

「佳奈ちゃんのママはね、私の大切な恋人を刺したの」

「タバタマイを殺すの、失敗したの? ママの言う通りにしないとまた殴られちゃう」

 佳奈ちゃんは手にミトンをつけたまま泣いていた。
 私は何故ミトンを外されなかったのか、その意味をこの時何も考えていなかったのだ。簡単に外せるそれを取り外し、佳奈ちゃんの小さな手を握りしめた。

「佳奈ちゃんを攻撃するママはもう居ないの。もう殴られる事はない。あなたは自由になったのよ」

「自由──」

 その言葉で俯いたまま泣いていた彼女は顔を上げた。少しだけ暗く沈んだ瞳に光が宿る。

「そう、友達と学校へ行って、楽しく笑って、部活をやっても怒られない。素敵な人に出会うかもしれない。佳奈ちゃんには未来が──」

「未来なんて、無い」

 佳奈ちゃんの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。背筋までゾッとするようなその笑顔の後、彼女の両手は私の首に勢いよく巻きついて来た。

「死んじゃえ! ママを奪ったお前なんて死んじゃえっ……!」

 私は何とか引き剥がそうと佳奈ちゃんの手首を掴んだが、恐ろしい事に理性を失った子供の力は更に強くなっていた。
 少しずつ息が苦しくなってくる。浅はかだった。私が説得した所で、彼女が変わる訳がないのだ。
 彼女と私では根本的に育った環境が違う。私には忍が居たけど、彼女はひとりだったのだ。

 たったひとりで親の曲がった愛情に悩み、どうしていいか分からないまま、母親を狂信していたのだろう。
 だから彼女はいつも煌びやかにしているママが自慢だった。大好きなママが人殺しを計画しているなんて、絶対に認めたく無かったのだ。
 だからママの手帳をぐちゃぐちゃに塗りつぶした。これはママの手帳ではない。ママはこんな事を計画していない。この血糊はどこか、ママが怪我をしたものだと言い聞かせて。

「ま、……って」

「死ね……お前が死ねば、ママが帰ってくる。ママがそばに居てくれたらそれだけでいい!」

 さらにギリギリと力強く絞めてくる手に、私は目の前が白くなっていくのを感じた。

 ママが側に居てくれたらそれだけでいい──

 それは、私が忍に対して抱いていた感情と一緒。彼女にとってどんな性格だろうとかけがえのない大切なたった一人の母親。
 私もそうだ。忍がただ側に居てくれたらそれだけでいい。何でも乗り越えられる。そんな気さえしていた。
 でも、私が生きている事で佳奈ちゃんが不幸になるなら、ここで死ぬのも悪くないのか……?

「……なんで、なんで泣いてるんだよ、お前がっ! お前が泣くのはおかしいだろ!?」

 私は知らずに泣いていたらしい。佳奈ちゃんも鼻水を垂らし、泣きながら私の首にあてていた手をふっと緩めた。

「ごほっ……ごほっ」

「嫌いだ……嫌い。みんな大っ嫌い!!」

「佳奈ちゃん、あなたのママが変わってしまったのは多分私のせい。でもね、例え私が今ここで死んでもママは戻らないの」

「何で……?」

「忍が例え裁判を起こさないとしても、あの日何人か通り魔の犠牲になっている。人に危害を加えてしまったあなたのママは、あなたの所にはもう戻れないの」

「……そんなの、嘘だ……」

 多分、佳奈ちゃんはタバタマイを殺したらそれで全て解決すると信じていたのだろう。しかしそれだけでは何も変わらない。寧ろ、人が死んでいたら彼女らの置かれる環境は悪化する。

「あなたのママは刑務所という場所から出られなくなる。だから、逆にあなたがここで更生してママに会いに行くのはどう?」

「ママに、会いに行く……?」

 彼女は私の提案を不思議そうな顔で聞いていた。会いに来てもらうが当たり前すぎて、自分から行動するという考えは無かったのだ。

「そうよ。佳奈ちゃんはこんな所で薬漬けにされて生きるのではなく、しっかり前を向いて歩いて、自分からママに会いに行くのよ」

「……できるの? そんな事……」

 不安そうな彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、私は大きく頷いた。彼女の家庭環境に問題があるとしても、佳奈ちゃんの行動に問題が無ければ幸い子供でも入れる施設がある。薬のコントロールがうまくいけば佳奈ちゃんは元に戻れるだろう。

「佳奈ちゃん、頑張れる? ママに会いに行く為に」

「やる。佳奈、ママに会いたい……!」

 私は再び泣き出した佳奈ちゃんを強く抱きしめた。まだ小さい彼女は母親から引き離されて不安だっただろう。かと言って血縁関係でもない赤の他人である自分に彼女を引き取る資格は無い。

「一緒に頑張ろうね……佳奈ちゃんの事守るから」

「う、うう……うわああああっ……」

 糸が切れたように大声で泣く佳奈ちゃんを抱きしめたまま、これが彼女から母親を奪った事の償いになるのか分からないが、暫く彼女とここで共に過ごす事を決めた。



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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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