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高波碧 / 日比野京
2024年5月18日 12:48
言葉の虚しさが嘆かれて久しい。古今東西どの文学においても、近代へと年代をくだって行くにつれて文学者たちは言葉を芸術にとっての桎梏としてとらえるようになり、筆舌に尽くし難い情調やパノラマを前に言葉の虚しさ、言葉の非力さをひしひしと感じずにはいないように思われる。時あたかも1973年、ランボーが詩ふくめ文学から逃亡する前夜の一節である。アウシュビッツを冴やかに証言した『これが人間か』を処女作とする