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ニュースを見て考えること

息子が小学生になってから、朝と晩に一緒にニュースを見るようになりました。必ず見ると決めている訳ではないのですが、朝の準備ができた後や、彼の見たい番組を見終わった後などに、チャンネルをニュース番組に合わせるのが我が家のなんとなくのルールだからです。

私は台所に立ちながら、息子はソファに寝転がりながら。
それぞれの用事をしながらニュースを見たり聞いたりしています。
そしてここ最近はウクライナとロシアとの間で起こっている戦争の最新情報を、このタイミングで知ることになります。

爆撃を受けて、跡形もなく破壊されてしまった街。
黒煙が立ち上る崩れたがれきの前で、泣き叫ぶ女性。
蘇生できなかった幼い命の前で泣き崩れる医療スタッフ。
普通に歩いている人の側に、いきなり落ちてくる砲弾の衝撃。

大人でも目を覆いたくなるような映像が流れてきます。
私は都度、それを見ていた息子へ何か言おうと思うのですが、適正と思う言葉が見つからないまま「ひどいね…」「辛いね…」と呟くだけです。
でも息子の様子に変わった所がないかには気をつけるようにしています。

ショックを受けてないか。
異常に怖がっていないか。

当然ですが、子供なりにとても重みを持ってこの映像を見ていると思います。でもまだ画面の中のニュースの一つとして彼自身が身近に感じて怯えたりしている様子は無いように見え、それには安堵の想いです。

チャンネルを変えることは簡単です。
実際ドラマなどで暴力的だったり残酷な場面が突然出てくると、私が焦って別の番組に変えてしまう事もあります。

でもこれは実際に同じ世界で起こっている事。
あなた(息子)と同じ何も知らない子どもたちが、無慈悲に”巻き込まれて”しまっている事。
だから今の年齢でも一緒に見て知っておきたい、考えたい。

そう思っているのに。
ではこの事について息子とどう話し合うべきかの糸口が、私にはまだうまく掴めていないのです。

戦争は絶対にあってはならない事。
戦争は大事な人や場所が奪われていくという事。
戦争は昨日までの当たり前の生活が突然なくってしまうという事。
武器を持って攻撃したりされたり、無差別に命を奪ってしまう行為は絶対に許されない事。

大事なのはそれを話した上で、息子が「どう考えるだろうか」という所なのです。ロシアという国がただ悪いだけ、と印象づいてしまう事にもためらいがあります。

私がよく陥りがちなのは、例えば嫌いなおかずを残す息子に向かって、「ごはんが食べられない子が世界にたくさんいるんだよ」という言葉を投げてしまう事です。だから残さずに食べなさいと。
そう言うと息子はいつも不服そうな顔をします。実感を持って想像するのもまだ難しいでしょうし、私も言いながらチクリとします。
思い返すと私も小さい頃に母にそう言われるのが嫌でした。

ピーマンの味が苦くてどうしても食べられないのに、気持ちを分かってもらえない。食べられない子がいる事は聞いたら分かるけど、それを今持ち出して無理やり食べさせられるのは、ずるい、くやしい。そう思っていたのに。自分が親になったら同じ事を息子に言っていて、涙目で不服そうな顔をしている息子を見ると自分が情けなくなります。

戦争とピーマンの件は一般的に同類の問題ではありませんが、私の中では気を付けないと…と思う点は同じです。

苦い経験があります。
小学校の4年生の時、学年一同が体育館に集められ、ある映画をみせられました。実写版の「はだしのゲン」でした。
原作も有名なので内容はここで触れませんが、私はこの映画にひどいショックを受ました。(実写…泣)
目を閉じると映画でみた焼野原の光景が浮かび、自分よりも親や弟が死んでしまう事を想像して震えました。そのあと何年も何年も、上手く眠ることができなくなりました。

あの日体育館で映画を見てから、私は戦争に関連する事を、見る事、知る事を極力避けるようになりました。脳裏にこびりついて離れないままの映画のシーンへ、思いが繋がるのが怖かったからです。大人になってからもその傾向は残っています。

同じ頃に従姉からどっさりお下がりの本をもらいました。その中から母が「これ読んどき」と1冊の本を取り出しました。
それは「アンネの日記」でした。
子供が読みやすいように編まれていたとおもいますが、これが戦争の時の話と分かると、私は怖くなってこの本を読めなくなりました。
…でもアンネが辿った恐ろしい運命を理解していたので、時間はかかっても読んだのかな?ちょっと覚えていません。

母は悪気はなくですが、戦争でこんな辛い思いをした子がいるんやから、あんたは文句を言わんと勉強しなさいとか。学校行きたくないとか言ったらアカンとか。アンネの日記をそんな風に引き合いに出しながら、娘にしっかりしなさいと迫りました。
私にはそれはピーマンで言われる事と同じで、ズルイと感じる事でした。

でもそうして背を向けて見ないように努めてきた、知らないでも仕方ないと思ってきた事が、息子が大きくなってきた事で徐々に意識が変わってきました。

自分の子どもが戦争に巻き込まれるかもしれない。
自分の子どもが戦争で兵として取られるかもしれない。

ニュースを見る度にウクライナで、ロシアで、それ以外の戦争が起こっている地域で、どれだけ沢山の母親たちが心潰れる思いをしているかを想像しないでいられません。

色んな考えが巡って、私は一緒にこの戦争のニュースを見ている息子に、上手くかける言葉を見つけられないでいます。
でも現実で起こっている事を知ることは、とても大切なのだと今は思っています。
怖がらせることなく、脅すような表現を取らずにどう話していけばいいのだろうと、日々考えています。

そして今思いつくのは、何事もない1日の中にある楽しみを、見つけて、喜んで、感謝して、「ありがとう」と明日へ繰り越していく姿を見せていく事。
近くにいる人を大事にすること。

世界の子供たちが、息子が、武器を持つことない世界に生きていって欲しいと願うばかりです。

いつか読もうと思いながらも避けてきた2冊を読み終えました。
読まずにいたより、読めた事が良かったと思えました。


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