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疲れる時もあるって、いう話

 悔しいと思うことがあった。でもそれは、今そう思ったのではなく、チクチクと針で心臓を刺すようなものが蓄積した結果大きくなった感情の一つであって、しかも、他人を羨んで湧き上がった気持ちではないということ、なのだけれど、なんでこうも人のことを見下しているのだろうと思う、人がいて、私はそれをスルーできるスキルを身につけることができている(できるようになった)ので、ダメージをもろに受けることはないのだけれども、でも、なんか一つ感情を持つならばその、悔しいというものであって、ただ、戦いたいわけでもなく、その人より上に立ちたいわけでもなく、なんというか、そういう生き方をする人と同じフィールドに居たくないという気持ちから湧き上がってくるものからきた感情だった。何にせよ、あなたはなんぼのもんですか、そんな人のこと馬鹿にして何が解決しますか、と言いたくなるのをグッと堪え、他人の悪口を平気で言う人が目上の人であることをどこか残念に思いながらその人との会話をやり過ごした。かといって私にできることは、誰に対しても普通であることというか、できるだけ優しくありたいのだけれども、職場などの公の場で良い見え方をしたいと思っても、SNSでのブランディングよりも難しいというか(というかSNSでもブランディングしたことがない)、なまものであるから、取り繕うのも、キャラを作ったとしてもキープするのが面倒くさい、というのもあって、できる範囲そのまんまの私で、心持ちあっさりスッキリとした人でありたいというのをしていて、それがもしかすると人によっては「八方美人」だとか言われるのかもしれないのだけれど、でも、人間悪いところもいいところもあって当たり前なので、「八方美人」という褒め言葉 ではない 言葉を当てはめられたとしても、悪い印象の人としていたくないからそう言われてもまあ仕方ない、と思えるまでのメンタルを手に入れることができたので、そうやって人の悪口を散々いってストレスを発散している人のことも、「まあストレスあるんだろうから気持ちはわかりますよ、わかる、でもそれ言っちゃダメでしょ」みたいなことをやんわり言えるようになった。「嫌われたって別にいい」とか投げやりな思いではなく、本当にそう思うから嘘をつきたくないというか、言うことで保たれる自我があるというか、結局それって私のエゴなのだろうけれど、悪口の対象が私の信頼している人のことを言っているとなるとやっぱりちょっと、黙っていられないわけで(そうでなくともなんだけど)、そういったことを言ってしまうのだった。たとえば仕事だとミスは誰でもするので、できるだけ許せる側でいたい=許されもしたいというのも成り立つけれど、まあせめて自分が許す側とか、受け入れる側に立つときはぶつぶつ責めずに次は同じミスを繰り返さないためにどうすればいいかとか、どうリカバリーすればいいかをすぐに考えるほうが心も仕事も循環するというか、なんでもできてないことばっかり指摘して、人に対してリスペクトをしないでいると自分の心がしんどくないかい?と問いたくもなるのだけれども、とか、文字にしてみたら、色々考えているのだなあとわかった。でも私ができることはやっぱりそんなにはなくて、目の前の仕事を頑張ることと、人と楽しく関わることと、私自身のしたいこととかできるようになりたいことを達成するために頑張るほかない気がしている。
一方的にストレスというか、マイナスな刺激を与えてくれる相手との距離の取り方は自分で調整するしかなく、他人は操作できないので、本当にどうにかするのはまず自分次第ということをここ数年で学んだのだけれども、心が弱っているとその考え方が本当に難しいわけで、「どうしてこうなるんだろう」「私が悪いんだ」「私が無能なせいで嫌われるのだ」と思う。そして「どうして人は変わってくれないのだろう」「根本的に助けてはくれないのだろう」とまで思い至ってしまう時にはもう自分のことを守ってほしい、愛されたい、理解されたいでいっぱいになってしまっている。でもそういう考え方になる原因は、自分を取り巻く家庭環境から形成されてしまった認知の歪みであったり、人間関係、とにかく環境からそういう考え方しかできなくなってしまうのであって、決してなりたくてなっているのではなくて、なるべくしてなっている、というのが適切なのだと思う。私がそうだった。今は自分のことをまず第一に考えているし、自分の心がしんどくなる考え方はしないようにしようと思っているので、そういった認知の歪みは無くなってきたように思う。
だから、人のことをやたら見下す人も、プライドが高い裏では実は自分に全く自信がないのかもしれないし、人間不信なのかもしれないし、失敗を恐れるが故のリスク回避がいつの間にか人を使ってリスク回避するようになっているのかもしれないし、とか考えると、嫌な人たちにもまた何かしらの原因があるかもしれないので、嫌悪を抱き切ることは難しく、どうすれば心地よい関係でいられるかを考えるようにすることで、ストレスは軽減されるし、なんならもう、「一旦忘れよ〜!」とか、「一旦距離おこ」とかで強制的に考えないようにするとか、視界に入れないようにするとかを試みることで結構楽になったりするし、そうしてきたのだけど、ここ最近はそれをやれた時とそうでない時の差があって、原因は普通に自分が会話相手になっているからというのと、私自身の心の余裕が忙しさのせいでなかったからなんだけど、本当、冷静に分析して返事を考える余裕もないくらいには忙しかったもんだから、ストレスは体に出るし、休みの日はぐったりしてしまってて、今日もなんなら、なーんにもできなかったんだけど、メンタルを良い塩梅にするのが難しい時もあるよね〜と久々に感じたのだった。いやあ人生何でも経験したもん勝ちというか勉強やな〜〜と思うんだけど、当たり前に地球にはいろんな人たちがいるのだから、できるだけいろんな人と仲良く、楽しくいられたらいいなと思うのでした。なんの話やって。でも、人間関係とか人生についてとか生きることについてとかに悩みがちだったことをあんまり悩まなくなった私の心は結構強くなったんだと、こういう時に思い至るのでした。そんな日々でした。明日から月曜まで仕事。いきよう。


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