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向いてないことに10年の歳月を費やして導き出した「好きなこと/得意なこと」論の解。

 ある日突然それまで好きだったことが好きじゃなくなってしまうことを想像できますか?

 よく、好きなことを仕事にしよう!というワードを見かけますが、わたしは好きなことを仕事にするのがとても怖いと思うのです。

 総じて「好きなこと派」が多いと感じるこの頃ですが、わたしは高校時代からずっと「得意なこと派」です。

 というのも、小学校から高校まで10年間野球やってきて「好きなこと派」「得意なこと派」について考えさせられることが多く、引退したとき自分なりに決着がつきました。

 そんなわたしが「得意なこと派」に至った経緯を少し紹介させてください。

切っても切り離せない野球のこと

 物心ついた時から、わが家では野球が身近でした。よく野球中継も流れていたし、生まれたばかりのころはカゴに入れられて野球場に通っている写真も残っています。笑

 そんな環境にいると、気づけばわたしも野球を始めることになり小学校2年生の時に地元の少年野球チームに入りました。

 ただこれがやってみると、足はおそい、球がおそい、バットに当たらない、スタートからそんなだったと記憶してます、、、いや、高校時代の記憶でも相違ない(悲しき記憶ですが)のだから終始三拍子揃ってないプレーヤーだったのでしょう。笑

そんなこんなで10年ほど野球を続けておりました。

唯一適性があったピッチャーへ

 小学生のときはいろんなポジションをやることはありましたが、中学生になり軟式野球を始めると、いよいよポジションを決めるタイミングがやってきました。希望のポジションを聞かれて、とりあえず「ピッチャー」となかばカッコよさそうという理由だけで希望を出しました。

 球がおそいのは先述したとおりでしたが、コントロールはそれなりに良かったです。ピッチャーの選考があって、50球中何球ストライクが入るかという方法だったので、そこで見出してもらいポジションが決まりました。

初の公式戦でまさかの骨折

 今思い返しても辛いのですが、中1の秋の公式戦のことです。何回戦だったか覚えていないけど、たしか地区予選の準々決勝とかそれくらいだったかと。初回にまさかの先発ピッチャーが怪我に苛まれるというアクシデントが起こりました。チームは騒然。誰もが次のピッチャーどうするんだろう、と思っているとわたしの名前が告げられました。

「まじか、あいつが投げるのか、、、」そんな冷ややかな視線を感じつつ、一方ではなんとか頼むという期待も背負いがらわたしはマウンドへと向かいました。

 それまでの練習試合とは比べ物にならない緊張感の中、なんとか好投を重ね5回、6回、7回と同点のまま最終回まで投げ抜いたのです。(中学軟式野球は7回まで)最終回を終え同点だったので、ノーアウト満塁からサドンデスが行われました。先攻だったのと前のイニングの打順の関係で私が三塁ランナーとして塁上に。

 その初球でした。三塁へ牽制をしてきたのでヘッドスライディングで帰塁すると、右手中指をベースに突き指するようなかたちでベースに触れました。

 激痛が走りました。
「あ、これは折れたわ。」

 それまで骨折なんかしたことなかったのですがすぐに折れてるとわかりました。笑

 しかしいまは試合中。相手にもベンチにも悟られてはいけない。アドレナリンのおかげで痛みは感じなかったので、そのままなにも言わず出続け、攻守交替となってもそのままピッチャーマウンドへ走っていきました。

 「痛いなー。投げれるかなー」そんな不安を抱えた投球練習の1球目です。

 「ガシャン!」

 投げたボールはキャッチャーの頭のはるか上を通過してバックネットに一直線。誰もがその球の行方を追う中、わたしはマウンドにうずくまりました。

 どう考えても投げれるはずないんですけど、投げてみたらやっぱり案の定無理でした。そのまま車に乗せてもらって病院に直行しレントゲンを撮ると、きれいに中指手の甲が折れていました。

 その後、試合は元々怪我を患っていたエースが登板したのですがやはり本調子ではなく、さよなら負けを喫してしまったと連絡を受けました。

高校1年生で野球人生のピークを迎える

 そんなこんなで中学野球は、3年間まぁ楽しくもわたしたちの代では県大会には惜しくも出られず仕舞いで高校へ進学します。

 高校では引き続きピッチャーとして硬式野球デビューを果たすわけですが、夏の大会後、代替わりをしてから早速練習試合で使ってもらう機会をいただきました。部員数が少なかったこともあり、割とチャンスをいただけたのだと思います。

 高1の秋ごろ、ピッチャーとしてきっかけとなる場面が訪れます。その日は先発ピッチャーが調子が出ず、初回から不安定な立ち上がりとなっていました。もしかしたらと思い、準備をしているとピッチャー交代を告げられましたが場面はノーアウト満塁

 「まじか、こりゃヤバイ場面だ」

 内心どうなるか不安でした。監督も数点取られることは承知だったのでしょう。初球、確かアウトローへのカーブだった気がします。バッターがひっかけてくれてショートゴロ、これを難なくホームゲッツーでアウトを取りいきなりツーアウトとなり、相当心に余裕ができました。そのおかげで続く打者も無事アウトを取ることができ、無失点で切り抜けることができたのです。

 変化が起こったのは次の日の練習。それまで下級生メニューをこなしていたのですが、突如監督から上級生と同じメニューに加わるよう言われました。

 そうです、ここで高校野球人生のピークを迎えます。

 その後、練習試合で投げさせてもらう機会が格段に増え、まさにこれからもっといいピッチャーになると意気込んでいました。

高校野球人生を決定づけたケガ

 冬になりトレーニング期を迎え、走り込みや投げ込みによって少しずつ球速も上がりはじめ、安定感も増していくようになりました。なんとか春の公式戦でメンバーに入れるよう必死にアピールをする毎日でした。

 しかし、その時は突然やってきました。

 とある日のシートノックのことです。なんともないファーストゴロで、ピッチャーとしてファーストにベースカバーに入った時でした。ぎりぎりのタイミングだったこともあり、精一杯足を伸ばしてベースを踏んだ瞬間、

 「グキッ!グキグキグキ。

 という音とともに私の右足首に激痛が走り、その場でうずくまってしまいました。(度々うずくまってしまっていますが、、、)

 ただ中学時代の骨折とは訳が違い、痛いとかそういう次元ではなく、野球ボールの半分くらいの大きさまで腫れあがった足首は捻挫をしてしまったのです。(ホントに音が聞こえました、、、汗)

 じん帯にも損傷があったことで、結局完治までに1年近くの時間を費やすこととなってしまいました。部員はレベルアップしていきますが、できることも限られなんとか離されないようにトレーニングに励む日々を過ごします。

 ようやく治って練習に復帰し始めたころ、今度は追い打ちをかけるように右のすねを骨折してしまったのです。

 限られた高校野球人生の中でケガによる離脱がどれほど影響するかは想像に難くないと思います。長期離脱の日々を過ごしながら、なんとかモチベーションを維持していました。しかしすこしずつ心が折れはじめていることに気づいていくのでした。

 「今復帰したところで、今までのようにはもう投げられないのではないか。」

 そんな言葉が脳裏をよぎり始めると、もうマイナスの方向に気持ちが持っていかれてしまいました。自分の弱さが故に、チームに大きな迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳なく思っています。

好きだったことがある日突然好きでなくなる恐怖

 イチローさんはインタビューで「あいつはケガさえしなけりゃいい選手だったのにとか、病気さえしなければいい選手だったのにとかってよく言われるんですけど、それも才能ですから。」と、話されています。

 まさにそのとおりなんだと思いました。

 こうして振り返ると、才能がなかったんだと思います。ただそれでも続けたのは野球が好きだったからです。けれどもそれなりにいいスタートを切っても、これからというときに離脱してしまう。そんなことが二度、三度続き自分自身でも「野球向いていないのかも」と思ってしまうことが何度もありました。

 そんなさなかの捻挫はわたしの心を折り、それまで好きだった野球が好きではなくなってしまいました。あの瞬間は明確に覚えていて、自分自身に恐怖を感じました。

 けど父親と交わした「高校野球はしんどいけど、絶対に最後まで辞めるな。」という約束を果たすために最後まで野球を続けましたが、わたしは引退後こう考えるようになりました。

 ーー「好きになるということは、好きではなくなるということもあり得るんだ。

 好きがきっかけでなにかを始めることはとてもいいことだと思います。ただそれが得意で、できるからこそさらに好きになるのではないでしょうか。いくら好きだとしても、できないことを続けていたら好きでなくなることもあるのです。

 もちろんそこまでに相応の努力は必要です。けど人それぞれ得意不得意はあって、自分の得意分野で努力することが、結果につながりやすいのだと、野球人生を振り返って学びました。

 だからこそ、たくさんの経験をすることで自分の得意分野を見つけることはとても大事なんだとおもいます。それが理想とはかけ離れていても、できることがひとつでも多ければいずれ自分の助けになりますし、まわりの人にいい影響も与えられるでしょう。

 野球部引退後から現在まで、その経験は大きくわたしに根付いているように感じます。そのおかげもあり未練なく大学進学後は一切野球を辞めました。大学時代の話はまた今度書いていこうと思います。

さいごに

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ご興味を持ってくれた方、コメント・フォローいただけたら嬉しいです!

おわり。

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