見出し画像

「村上春樹」の言葉から:「風の時代」の50代からの未来

今日は、村上春樹さんの本を読んだら「50代からの未来」のヒントがたくさんあった!
というお話です。

走ることについて語るときに僕の語ること

「積んどく」が多すぎて、危うくもう一度買うところでした(-_-;)
やっと読みました。
というか、読み始めました。
全部読んでいない(-_-;)

にもかかわらず、紹介したい!
ラン愛好者のはしくれとして、
「村上春樹とラン」について知りたいと思ったのですが、
それは後日にします(-_-;)
今日は「50代からの未来」的お話です。


村上春樹とは


ウィキペディアの分量すごっ!

村上春樹さんは1949年1月12日生まれ。
現在73歳です。
この作品を書いたのは50代後半です。

早稲田大学には7年間在学。
1968年に入学し、1971年に学生結婚をしています。
在学中の1974年に国分寺にジャズ喫茶を開店

この開店資金はアルバイトと銀行からの借り入れと、
両方の両親から借りたもの、とあります。

これ、親からしたら(笑)!
一浪して入って、大学卒業せずに結婚、お店やるからお金貸してって(笑)
先に大学卒業せいや~!ですよね(笑)

そしてお店はとても順調だったようですが、
三作目の作品にとりかかるとき、お店を閉めます。
本格的に走るようになったのは、
三作目「羊をめぐる冒険」を書き上げたあと、
専業小説家としてやっていこうと心に決めた、33歳の時とのことです。

著書の中で、
週に6日、一時間程度のランニング、
年に一回はフルマラソン大会に出る
生活、
とあります。
73歳の今も走り続けているようです。

以上、今日のお話の前情報でした。


歳を取るのは誰もが未経験

僕は今、五十代の後半にいる。二十一世紀などというものが実際にやってきて、自分が 冗談抜きで五十代を迎えることになるなんて、若いときにはまず考えられなかった
…若い時の僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、「死後の世界を具体的に想像してみろ」と言われたのと同じくらい困難なことだった。

ミック・ジャガーは若いときに「四十五歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだほうがましだ」と豪語した。…
しかし彼は六十歳を過ぎた今でも「サティスファクション」を歌い続けている。
…僕にミック・ジャガーが笑えるだろうか?笑えない。僕はたまたま、若くて高名なロック・シンガーではなかった。僕が当時どんなに愚かしいことを言ったとしても、誰も覚えていないし、…ただそれだけのことではないか。

若い時は歳を取るのが恥ずかしいという感覚、ありましたよね?
今となれば、ミック・ジャガーには80、いや90歳までも「サティスファクション」を歌って欲しいですよね!


下り坂をどう受け止めるか

年齢をかさねるにつれて、つらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しづつ認識できるようになった。考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ自立したものとして保っていくことができるのだ。僕の場合で言うなら、小説を書き続けることができる。ひとつの風景の中に他人と違った様相を見てとり、他人と違うことを感じ固有の物語を書き続けることができるわけだ。
僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとっての一つの重要な資産なのだ。

いい言葉ですね!
つらさや傷も、固有の人間を形作る資産だと言っています。

レースのタイムが伸びなくなっても、それはまあ仕方あるまい、走りながらそうふと考える。…誰のせいでもない。それがゲームのルールなのだ。
…そのような自分の姿を、言うなれば自然の光景の一部として、あるがままに受け入れていくしかないのだ。
…これまでの人生を僕なりに―じゅうぶんにとは言えないまでも―そこそこは楽しんできたのだから

「走る」ことで、日々自分の体と向き合い続けているから、
そう思えるのかもしれません。
歳を取ることを嘆くのでなく、
「これまでの人生をそこそこは楽しんできたのだから
と思えるように、「今を生きる」ことが大事なんですよね。


直感を信じる

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。…その日神宮外苑の外野席で一人でビールを飲みながら観戦していた。…バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響き渡った。
…僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。

あるとき「降ってきた」んですね(笑)!
それまで「目指していた」訳でもなんでもない。
だから、上手く言えないですが…頭でっかちじゃない、
スポンジに水がしみこむような、
体にすんなり入ってくる文体が書けるのかなと思いました。

その第一作目(風の歌を聴け)が群像新人賞受賞。
次作(1973年のピンボール)をお店をやりながら書き上げます。
ここで、「もっと本格的な作品を書きたい」と、
経営が軌道に乗っていたお店をたたみます。
そして三作目(羊をめぐる冒険)が書き上がります。

この小説を書き上げたとき、自分なりの小説スタイルを作りあげることができたという手応えがあった。

しかし

「羊をめぐる冒険」はいわゆる「主流文学」を追求する当時の「群像」編集部には全く気にいられず、随分冷遇されたという記憶がある。

そんなことがあったんですね。
やはり新しい才能というものは、
最初は受け入れられにくいものなのかもしれませんね。


「風の時代」のひと


村上春樹さんって「風の時代」の人ですね。
年代的にはどっぶり「土の時代」のはずなのに。

風の時代とは

2020年12月22日、木星と土星が大接近するという星の配置によって、
時代が大きく変わりました。
木星は「幸運の星」、土星は「試練の星」。
この対極とも言える2つの星が重なることは20年に1度起こる現象。
グレート・コンジャンクションと呼ばれます。
これまでの約200年間、グレート・コンジャンクションは
「地」の星座で起きていました。
これからの約200年間は「風」の星座で起こります。
物質的なものを重要視していた「土の時代」から
見えないものに価値を置く「風の時代」へ。

村上春樹さんは、世界中を移動しながら作品を書いています。

僕は『ノルウェイの森』をギリシャのいくつかの島とイタリア(ローマとパレルモ)で書き、『ダンス・ダンス・ダンス』を主にローマで書き(一部はロンドン)、『ねじまき鳥クロニクル」の前半をニュージャージー州プリンストン、後半をマサチューセッツ州ケンブリッジで書きました。『スプートニクの恋人』はハワイのカウアイ島で書き、新しい作品『海辺のカフカ』は前半部をカウアイ島、後半部を日本(大磯という小さな海辺の町)で書きました。短編集『地震のあとで』は東京の真ん中にある静かな一軒家(出版社の所有していた家)で。

https://papersky.jp/archive/nomadic-spirit/

どこにも属さない、根を張らないところが、
停滞しない、作品の鮮度を保てる要因なのかもしれませんね。
独特の浮遊感、軽い空気感にもつながっているのかも。
そのボーダレス感が、海外でも広く受け入れられている要因なのかもしれません。

常識にとらわれない
自分の感覚を信じる
どこにも属さない

まさに「風の時代」のひと。
ヒントになること、ありますね。
心にとめておこうと思います。

=======================
「50代からの未来をつくる」サービスを展開中
よろしければぽちっとご覧くださいませ。

=======================

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?