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私も毒母かもしれない

少し前から「毒母」という言葉を聞くようになりましたね。
この言葉、DVや酒乱など「明らかな行為」を指していないだけに、
「どこからが毒母?」
と、もやもやしませんか?

毒「母」というように、子供の判断に委ねられています。
誰もが
「私の母は、毒母だったのかも。」
「私も毒母かもしれない。」

そう思うのではないでしょうか?

今日は、これについて考えてみたいと思います。
※DVや酒乱、ネグレクトなどのレベルではない話です。あしからず。


どこからが「毒母」?


昔は親は絶対で、「しつけ」は自己流。
親は、自分のやり方が「間違っているかどうか」なんて
あまり考えなかったのではないでしょうか?

一方今は、家庭は親が中心というより、子供が中心ですよね?
その結果、立場が逆転。
実際の話、子供の方が立場が強いですよね。

さらに「承認欲求」の時代です。
「認めて欲しい」欲求が強い。
それは、「満たされない」気持ちが強いということです。

つまり、子の親への要求レベル上がっているのではないでしょうか?

そこに来て「毒母」です。
かつては威張っていた中年男性が、「セクハラ」という言葉でビクビクするように。
今度は、母親ビクビクする番が来たかと思いました。


親の「正解」は誰にも分からない


そもそも、誰も「親になるための教育」は受けていません。
完ぺきな親はいません。
親も一人の人間です。
当然、間違うこともあります

また、子の性格や考え方で、受け取り方も違います

「勉強しなさい」
と言われ続けて、親を「毒母」と思うのか。
勉強したおかげで、良い大学良い会社に入れ
安定した人生を手に入れ、感謝するのか。

また「今の子は褒めて伸ばす」など、情報もありますよね。
自己流でなく、こういった「教育法」を勉強してやる人も多いでしょう。
何が正しいのかわからないから。

でも、こんなことがありました。


褒めれば良いというもんじゃない


娘が小学校のときに、夏祭りのイベントを手伝ったときのことです。
何人かに別れ、子供たちにゲームをさせます。
私はあるお母さんと二人、「輪投げ」の担当でした。

そのお母さんは、とても優しそうな人でした。

床にテープで線を引き、1mくらい開けて、数本のスタンドを置きました。
子供が一列に並び、順番に3本づつの輪投げをします。
私は、事前に配られていたチケットを子供たちから受け取り、
一列に並ばせました。
そのお母さんは、順番の来た子に3本の輪っかを渡して、
投げさせる役目でした。

そのお母さん、子供が投げて一回目に外れると、
「もっと近づいていいよ」
と言って、子供に線より前に出るよう促します。
2本目も外れると、
「もっと前に出たら」とさらに前に出るように促します。
3本目は投げるというより、もはや「掛ける」という感じ。

そして輪が掛かると
「出来た!!」
と大げさに褒めるのでした。

ルール云々もあるのだけれど。

私が一番思ったのは
「子供にも、プライドがあるんじゃない?」
ということ。
ズルをして、成功して当然のことを褒められて嬉しいかしら?

これは、良いお母さんなんだろうか?
「褒めて育てる。」
と言うしね、、

私なら普通にやって、出来なかったら「仕方ないね」と思う。
そのお母さんは、「成功体験をさせて、褒める。」
考え方の違いと言えば、考え方の違いです。

子供も
「こんなの意味ないじゃん」と思う子も、
「出来て嬉しかった」と思う子もいるかもしれない。

正解なんてわからない
私は、そんなやり方はしないけれど。


自信を無くす親


家と暮らし相談アドバイザーをしていた時のお客さん。
60代の女性で、40歳近い息子が引きこもりでした。

高校から引きこもっているとのことでした。
女性はいままで、どれだけの葛藤を繰り返しただろうと思います。
何か「こうしてはどうか」などと、言えるはずもありません。
人は傍目からは、何でも言えるものです。
しかし既に20年も経過しているのですから、
他人が思いつくことなどやっているに違いありません。

その女性は、全ての自信を無くしているように見えました。

「毒母」という言葉が現れたことで、
完ぺきでない(のが当然なのだけど)親にレッテルが張られ、
親はますます自信を無くすのではと心配です。

いろいろな価値観が現れ、時代も変化し、何が正解かわからない。
「承認欲求」の時代、被害者意識増長されやすい。

親は、子供に嫌われたくない
親は何も言えなくなってしまうのでしょうか?


私の場合


私の母は、私にも兄にも安定を望みました。
将来は「公務員」か「学校の先生」になれと、どれだけ言われたことか。
私も兄も、真逆の道を選びました。
残念ながら、母の希望は叶いませんでした。

「学校の先生」を「子供たちの未来を作る仕事」
と言ってくれれば良かったのかもしれません。
しかし母は、
「冬休みも夏休みもあって、給料も安定してる。」
と言いました。

これも、私は
「安定だけを望む人生なんて、つまらない。」
と思ったけれど、
「それいいね。」
と思う子もいるはずです。


コミュニケーションの土台にはなっている


間違ったことを言うくらいなら、何も言わないほうが良いのでしょうか?
「毒母」と思われるくらいなら、黙っていた方が良いのでしょうか?
私はそうは思わないです。

私の場合は、
「公務員は安定していいよ。」という情報で
「それは、絶対にいや」
という取捨選択が行われた訳です。
これも一つの「教育」なのではないでしょうか?
「反面教師」という言葉がありますよね。

絶対に正しいことだけを言うのは、無理です。
「やり取り」自体が、コミュニケーションの土台には
なるのではないでしょうか?

自信がないから、思っても言わない
お互いに言いたいことを言わないようになる。
それは、子供が成長して外の世界に出ても
続いてしまうのではないでしょうか。

誤解を恐れず言うなら、無色透明な親は、
「毒母」より悪いかも知れません。


お互いのことはわかっていない


本当は親が、子供がどんなタイプかを見極められれば良いのだろうけれど。
大抵の親はわかっていません(私も)。
皆さんも、自分の親がどれだけ自分のことをわかっていると思いますか?
「ほとんどわかっていない」と思うのでは?
「家の中」でのその人は、ほんの一面でしかありません。

親の皆さん。
お互いを「わかっていない」前提で、言いたいことは言いましょう。
自信を無くして、黙り込む必要はありません
※とはいえ、自分を「客観視」することも気に留めましょう。

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