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子育てが終わったからわかること:親卒業

noteのいろんな方の記事を見ていると、
「親との関係」に苦しむ人が多いなと感じます。

うつ
親の支配
自己肯定感の低さ
親の価値観から抜け出せない

親が子に与える影響って、本当に大きいんだなと感じます。

私が「子」と「親」両方を経験して、
今思うことを書いてみたいと思います。


(おそらく)私の人格を決定づけたシーン


父は5年前に亡くなりましたが、私は父がずっと大嫌いでした。

父は、このような人でした。

裁縫工場で働く母は、帰ってくるのは夕方6時半過ぎ。
父は朝は早いのですが、夕方5時過ぎには帰ってきました。
私が夕飯の下ごしらえをしようと、冷蔵庫の中をのぞいて
「今日は何にするのかな?」
というと、
「お母さんが帰って来たらやるからいいよ。」
と、毎日寝そべってお菓子をつまみ、
テレビを見ながら言うのです。

また、よく憶えているのはこんなシーンです。

母は四六時中忙しく、夜9時頃にやっと一息つくと同時に
居眠りをしていました。
私は、夕飯の片付けの手伝いのあとは、
勉強と、本や音楽も好きだったので、自分の部屋で過ごしました。

家にテレビは一台しかなく、録画機器もなかったため、
番組はその時間に見るしかありませんでした。

私が、楽しみにしている番組の時間に居間に行くと、
必ず父は寝そべって、新聞を広げていました。
テレビはついてはいるけれど、父は見ていませんでした。
私がチャンネルを変えると、父はこう言いました。

「俺がみてるんだ。」

「見てないじゃん。」
すると
「見てるんだ。」
と怒りました。

これが毎日のように繰り返され、時には殴られました。

母は、テレビを見ている暇などありませんでした。
私も、チャンネル権を獲得するために、
何時間も前からそこにいる暇はありませんでした。

毎日テレビの前で「ゆっくり」過ごしているのは父だけでした。


親は全然気にしていない


私の「理不尽さ」に対する強烈な反骨精神は、
ここからスタートしたのではないかと思います。

どう見ても「父より優秀な母」が、父に「従う」構造。
何の疑問も持たずに、それに「乗っかる」父
夫婦の愛情でも感じられれば、また違ったとは思いますが、
残念ながらそれはありませんでした。

私の中で、この「父のイメージ」は、
一生変わることはありませんでした。

でもこれ、どう思います?
たかがチャンネル権争いですよ。

おそらく、父にとっては
「ちょっとムカついただけ」
ほんの日常の一コマに過ぎなかったでしょう。

私にこんなにも影響を与えているなんて、
微塵も思っていなかったと思います。


親と子の「時間軸」の違い


親と子の感じ方の違い。
ひとつは、「時間軸」の違いがあると思います。

以前こちらで書きました。

〈ジャネーの法則〉
生涯のある時期における時間の心理的長さは、
年齢の逆数に比例(年齢に反比例)する。
50歳の人間にとって一年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。
つまり、50歳の人にとっての10年間は、5歳の人にとっての一年間にあたり、5歳の人にとっての一日は、50歳の人にとっての10日にあたることとなります。

https://tenki.jp/suppl/rsakai/2018/11/10/28569.html

それだけ、小さな頃の体験は、
「比重の大きなもの」なのではないでしょうか。


0から吸収してしまう


次に「ベース」の違い。

親は、自分の人格が出来てから子との付き合いが始まります。
子は「0」からです。
鳥のひなが、初めて見たものを親と思うように、
全てを「真に受けて」しまいます。


「親は上」という立場


さらに、立場の「上下」

親と子の上下関係は明白です。
子は、「親の言うことを聞く」前提です。
親も、単なる「思いつき」や、一個人の「意見」に過ぎないのに、
「教える」スタンスでいます。


試されるのは「子育ての仕方」ではなく、人としての「在り方」


「子育て」という言葉。
それは「親が子にどう関わるか」
それは全体の、ほんの一部にすぎません。

子は親の一挙手一投足を見ています。
親の「在り方」を全部見ている。

たとえば
「将来結婚しなさい」という親が、毎日夫婦喧嘩ばかりしていたら。
「人と仲良くしなさい」という親が、ママ友の悪口ばかり言っていたら。
「勉強しなさい」という親が、毎日私の父のように(笑)ゴロゴロしていたら。

そのことに私は、子育てが終わった今、気付きました。

私に関しては、「楽しく」生きてこなかったこと。
家事も仕事も、「楽しく」やっている姿を、
娘に見せてくることは出来ませんでした。
時間的にも精神的にも余裕が無かったから。
日々必死で、いつも険しい顔をしていました。

私の「努力しなさい」は、娘には全く響きませんでした。
「こんな片意地張った生き方はイヤ」と、
思って来たと思います(聞いていないけど)。

子供が大人になっても、
親が、親子という「上下関係」を手放さないのは、
親の「頼りにされたい」「親でありたい」という
願望の現れかもしれません。
これも、もういいかな。

私は、「親」を卒業させて頂きます(笑)。
社会人になった娘に、もう教えることはありません。
いえ、とうの昔から、教えることなんて何一つなかったのです。

母は好きに生きます。
今まで眉間にしわを寄せていた分を、これから取り返すから。
見ていてね(笑)。

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