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隣人が幸せでない社会は幸せな社会ではない

コロナ、経済低迷、、どんどん生活が縮こまりそうになりますね。
少し目線を上げるだけで、私たちの意識は変わるんじゃないか。
そんなことを書いてみたいと思います。

以前こんな記事を書きました。

書いたきっかけは、こちらの対談でした。

この中で、もう少し取り上げたい話がありました。


隣人が幸せでない社会は幸せではない


対談の中で磯田道史さんが語っていた言葉。

<独身男性の半数が60代で亡くなる件について>
これは絶対に幸せな状態じゃない。
(こういったことを含めて)自分がどんなライフワークを選択するのか

国も、戦争をしている場合じゃない。
本当の敵は寿命格差や健康格差。
となりの人が貧しくなっていることに怒りを感じない愛国は、
本当の愛国ではない。

大切なのは、きっちり生きている時間を幸せな時間で埋めること
隣人が幸せでなければ、幸せな社会ではない。


隣人が幸せになれる社会は、自分も幸せになれる社会


先日こんな記事も書きました。

北欧の人は、日々とても倹約しています。
税金が高く、使えるお金は本当にわずかです。

北欧の人が日々倹約に努めながらも、決して「貧しくない」のは、
自分の暮らしの満足を知っているからではないでしょうか?

北欧へは、北欧の住宅の視察に行ったのですが、
人々はこのように語っていました。

人として良い暮らしをするためには、良い住宅に住まなければいけない。
人の暮らしの元は住宅にあり、
    人は最後まで住宅で目分らしく暮らすべきである。

ここでいう住宅とは、「人間らしく暮らせる家」です。
高齢になって入る施設であっても、
「家らしく」あることにこだわりがありました。

また、国の社会保障などについて、人々はこのように語っていました。

・病気やけがや何かしらで生活できなくなることは、
 誰にでもありうること。
みんなが幸せであるべき。

「みんながこうあるべき」という言い方をするんですよね。

これは「多様化」=個人の選択、それは自己責任を伴う。
このような都合の良い「自己責任論」とは、一線を画しています

みんな人間らしく生きるべき。
そのためには社会保障を充実し、教育にもお金を掛けるべき。
幸せに生きられる土台があってこそ、「その人らしく」生きられるのだと。

そして、その負担は自ら飲む、と。


隣人との距離は遠くなる一方


時代が変化し、もう「家」のために生きる時代ではありません。
コンビニなどの普及でいつでも何でも買え、一人でも不自由せず、
生活を「自己完結」出来るようになりました。

IT化でさらに便利に。
もはや買物に家から出る必要さえ無くなっています。

追い打ちをかけるように、コロナ。

IT化で世界はどんどん広がる一方で、
実生活はどんどん殻に閉じこもろうとしている

同様の記事で、独身男性が「食」で「幸福感」を得ている
という話を書きました。
その結果としての「短命」とみて取れます。

大食い番組の良さは、私には全くわからないのですが、
こんな「病理」を表していないでしょうか


自分がこれからどう生きるかに「他人」は欠かせない


こちらの記事で
「生活の一部をシェアする住宅」=コレクティブハウス
について触れています。

「シェア」のレベル感はいろいろ、テーマもいろいろな住宅がありました。
その中で、シニアの集まるコレクティブハウスがありました。

北欧では、子供は成人したら親元を独立し、
親も子供の世話になるという発想がありません
そこで退職を機に、
「老後を誰と、どこで、どのように暮らすのか」と考えるそうです。

日本もそろそろ消費社会のドン詰まりです。
「シェア」も浸透しつつありますね。

不便だから共同体社会で生きるのではない。
そろそろ、わずらわしさのトラウマから脱却し、
新たな個人と個人のつながりを持てる社会へ。

消費社会、競争社会、自己責任社会の限界の先。
私たちはどう生きるのか、問われています。

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