ヴェルサイユ宮殿で国王が食事したとき、グラスのワインも水も凍りついたー17世紀末の家屋の住み心地の悪さ
読書会ノート。
ブローデルの本は読んでいて飽きることがない。これでもか、これでもか、というぐあいに面白いネタと考察がページから飛び出てくる。
ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第3章 余裕と通常ー全世界の家屋、室内
18世紀の細工を施した小さな数々の家具は、贅沢欲のすべてが家具に向けられた結果である。というのも、ヨーロッパの各都市は急速に発展し、家屋の空間そのものに投資するには高額になり、贅沢は気違いじみたことになった。それゆえ家具領域の充実と拡大が生まれたのだ。
住居の間取りに大きな変更があり、それまではどの部屋も一続きであったが、18世紀に入り、私生活が保護される間取りになっていくことと家具の充実は関係していただろう。
即ち、およそ世界のなかで地域を問わず、室内における変化はあまりなかったが、唯一の例外が西ヨーロッパだった証が前述に表れている。各々の地域にはローカル色ある家具があっても、変化を好む、というのが西ヨーロッパに共通する非ヨーロッパと異なる独創性であったのだ。
他方、18世紀以前の世界の通則の第一は貧乏人は無一物だった。死亡後の財産目録をみて9割9厘、何もなかった。台所の調理道具があるだけだ。通則の第二は伝統的文明の習慣的舞台装置は時代によって変化を受けていない。
これが何を意味するか?寒い地域においては、まともな暖房もなく、常に冷気に苦しめられたのである。なにせ17世紀末、ヴェルサイユ宮殿でさえ、国王の食卓にあったワインと水は凍ってしまうことがあったのだ。暖炉やストーブの性能の高度化が図られるのは18世紀だったのである、
日常生活の振る舞いでいえば、西ヨーロッパでは椅子に腰かけるが、それ以外の地域では床に座っていた。ただ、中国だけは床に座る、椅子に腰かける、これらの習慣の併存があった。(トップの画像は1665年、スペインのアランフェスで宮廷の官女たちが座布団に座って鹿狩りを見学している様子。イベリア半島にはイスラム文化があり、ヨーロッパとしては例外として「座る」習慣もあった)
一方、家屋そのものについていえば、世界中、伝統的規範が強い。あるローカルで使われる建材に変化が乏しい、ということだ。勘違いしやすいのは、石は高価で作業にも熟練した技術が必要なため、石や瓦が17世紀のヨーロッパにおいても一般に使われたとは言い難い。やはり入手と扱いやすさから、木造建築が主流だったのだ。そして木材に代わるものとして都市でも使用されたのが煉瓦だ。
木材の十分にないところでは、土、粘土、藁を使うしかなった(世界中、遺産相続すれば、家はスクラップアンドビルドすることが多い)。特に、農村の家は雨露をしのぐ、人の原初的欲求に応じるだけでの場であった。ただし、ヨーロッパの農家は文献には出てこず、絵画などから推測するしかない。
また、都市内の家屋については、ヨーロッパ以外の地域において君侯の宮殿以外は材質の性質上、ほとんど保存されていない。ヨーロッパの場合は金持ちの家なら探せる。逆にいうと18世紀のパリにできた立派な建物と貧乏人は無縁であったということでもある。
17世紀から18世紀にかけての大きな別の贅沢の変化は、金持ちの職住分離である。ルイ14世の国務卿たちでさえ、大臣執務室を自宅に構えていたことがある。もう一つの変化は田園の復帰だ。都市の金持ちが田園地帯に別荘を構えるようになったのだ。
<分かったこと>
ぼくがヨーロッパで見てきた歴史は農村であれ、都市であれ、権力やお金のあった人たちの生活であったことがよく分かった。なにせ、そうではない人たちの生活がどうだったかと知ろうにも現存しないし、記録にもほとんどないのだ。石の西洋文化、木の日本文化という対比も如何に雑駁な表現であろうか。確かに権力のある人たちの家屋についてはその対比が成立するが、その背後にある経緯を知ると、これらもコンテクストなしに引用できないことだと思う。
温度(殊に冬の温度)と衛生は人類の生活における大きな課題であり続けてきた。
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