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就活さんに襲われています(下)

『就活さんに襲われています(上)』の続きです。こちらを読んでいた方が理解しやすい内容になっています。


※1 この文章には、一部の業界・企業に対して、就活生の私が抱いた感想が記載されています。その中で、一部不快にさせる表現が含まれている可能性があります。あくまでも一個人の感想として捉えて下さい。

※2 この文章では、企業のインターンシップに参加した感想が出てきます。ただ、インターンシップの詳細は、企業秘密の公開に抵触するため記述しておりません。また、内容を訊かれても答えることは出来ません。

※3 この文章における就活は、あくまで2023年度卒業予定の私が経験した就活です。24卒以降ではインターンシップの選考フローが変更になる可能性があります。また、私が本選考で受けた企業名及び選考フローは公開しません。

※4 noteには就職活動を楽しみ、働くことに希望を見出す就活強者が多い気がしますが、私は「働くことは楽しくない」と植え付けられた上で就活をしていた人間です。就活を楽しいと思っているタイプの方には、この話はあまり面白くないかもしれません。



幕間

「__4番は、お察しって感じですかね」

「そうだな、明らかにカンペつくってたし、志望度の欠片もない」

「5番の子はどうですか」

「微妙なラインだが……落とそう」

「え、僕は次に上げても良いと思いましたけど」

「でも、上から『男女同数で次回に上げろ』ってお達しが来てるからな」

「それは、つまり?」

「男なら上がってたってことだよ」

「__なるほど。面接では女性の方が周到に準備してくる。その結果、男性なら通すレベルの人が落ちてしまうと」

「ああ」

「採用ってそういうものですか」

「そういうものだ」



第三章

秋に入ってからの私は、企業と就活生が対等であるという考えを持つようになっていた。

無論実際はそうなっていない。建前上は対等だとしても、企業が学生を選ぶ側であることには変わらない。そのせいで、就活生の精神は崩れていくことが普通だ。だが、私の精神は、不安定になる前に「自分って結構就活上手く行ってるんじゃね?」という驕りを生んでいた。私は、インターンシップで他の学生と関わる中で、ある程度論理的に思考を話すが、かといって理詰めして人の意見を否定することもなく、議論の雰囲気を良い状態のまま保てる能力があると(思い込みかもしれないが)気付きだしていた。

その驕りに拍車をかけたのが、LINEのオープンチャットを抜けたことだった。LINEのオープンチャットというのは、「就活生同士の情報交換と謳いつつ、実際は就活生同士が選考状況でマウント合戦をしあうだけのくだらない場」である。よく考えれば、就活生の持っている情報なんて、質が担保されている訳もない、ただの噂だった。仮に質の高い情報を持っていたとしても、それをわざわざライバルの就活生に教えてあげる必要が無い。つまり、オープンチャットに質の高い情報は流れてこない。そうしてオープンチャットを退会してから、私の精神衛生上の環境は一気に改善し、こっちから企業を選んでやるという余裕が生まれた。私の鼻はどんどんと伸びていった。

私はこの尊大な自意識を携えて、秋冬のインターンシップに応募した。その結果、大手企業ばかりにESを出しては、自分がどれほどの場所で評価されるのかを確かめる、性根の腐った人間になっていた。結局、他人が抱く自分の評価だけを気にして、「自分のしたいことが出来るかどうか」という最も大切で、私が一番考えなければならない視点は抜け落ちていた

実際の結果はどうだったかというと、ESの設問で求められていることが分かるようになり、WEBテストも数をこなしていたおかげか、秋冬インターンシップのESの通過率は異常なほどに高くなった。20数社出してESの時点で落選したものは1社しかなかった。ESに書いた就活の軸に関わる内容と、WEBテストの点数のどちらも及第点であることがはっきりと分かったため、私の心はより尊大になった。


***


自尊心が肥大したことは恥ずべきことだが、この時期に選考の回数を積むこと自体は、今振り返ってみても良いことだったと思う。例としてWEBテストを取りあげてみよう。自宅で行うWEBテストは大体SPI、玉手箱、TG-WEBのいずれかの形式がほとんどだと思うが、正直どのテストも問題そのものは中学生レベルの内容である。しかし、それが一発で解けるかというとそうではない。以下に私が感じた各WEBテストの特徴を簡潔にまとめた。

SPI言語:漢字・文章構成・長文など、国語に関係する様々な問題がバランス良く出題される。比較的問題が分かりやすく答えやすいが、その分就活生の正答率も高いはずなので、ミスは最小限に抑えたい。

SPI非言語:中学~高校レベルの数学知識を必要とする文章題が出題される。確率・濃度計算・集合などを、スピーディーに解く必要があり、解法を覚えていないと時間には間に合わない。私は最も苦手としていた。

玉手箱言語:ひたすら長文問題を解く。問題の短文が、長文の趣旨に一致しているかを問われる問題で、何度も解いていると使い回されている問題が多いことに気付く。そのうち「この問題、進研ゼミで見たことある!」となってくるので、時間にも余裕が生まれる。

玉手箱非言語:図表を見て空欄の数字を考える問題をひたすら解く。とにかく時間に追われるが、ほとんどの問題が割り算をするだけで答えられるので、解法を覚える必要はほとんどない。私は最も得意だった。

TG-WEB言語:文章の並び替えや長文など、やや面倒な問題が出題される。言語の中では3種類で一番時間に追われるかもしれないが、問題のバリエーションが少ないのか、玉手箱以上に同じ問題ばかり出る。回数を重ねれば全問正解も狙える。

TG-WEB非言語:空間図形や推論のような、考えさせる問題が多く出る。1問に対して2分程度時間をかけられるので、時間には最も余裕がある。これも同じ問題ばかり出る。

__と、こんな感じで、何度も繰り返し解くことで問題の傾向を理解し、対策を立てることが出来る。というか、問題が使い回されるので、何度も解いていれば自然と覚える。きっと、本選考が始まってからWEBテストの勉強をする余裕は無い。年が明ける前にWEBテストに慣れておけば、3月頃に痛い目を見ることはないだろうし、高い対策本も買わなくて済むし、替え玉受験で罪悪感に襲われることもないし、WEBテストで落ちて後悔することもない。


***


ESの通過率が上がって、もはや自尊心で武装した怪物となった私は、就活を完全に舐めていた。夏インターンシップの時点で個人面接の勝率が高かった私は、ESさえ通れば勝ったものだった。一応毎回対策はしていたが、ワンキャリア(就活情報サイト)の体験談を漁って面接の形態・内容を確認するだとか、ESのまとめと逆質問を書いたA41枚程度の用紙を作って手元に置いておくだとか、そういう程度だった。面接官も家ではダラダラしていて、どうせ学生の頃に大したことを成し遂げたわけでもない一介のおっさんだと思えば(最低である)、圧迫してくる人であるほどに面白可笑しく思えてきて、特に緊張することもなく面接は終わった。しかし、この舐め腐った考えは、後に刺される瞬間が来る

ちなみに、集団面接は極端に苦手だった。学生が何人もいる場で自己開示をすることに、強い嫌悪感を持っていたからだ。「就活は学生と企業のマッチングの場」と、就活系の動画に出ているよく分からない肩書きの人は言うが、特に集団面接において、そうは思えなかった。学生はガクチカのエピソードの強さで、他の学生に負けるまいと必死にアピールをする。面接官もその競争を煽るように、興味を持っているかどうか、分かりやすく態度として示す。面接官に見世物にされているかのような感覚を、好きになれるわけがなく、私は集団面接のない企業を極力選ぶようにしていた。結局最後まで、集団面接への苦手意識は持ったままだった。


***


さて、秋冬インターンシップは夏インターンシップよりも応募数を減らしたが、選考に通過した数は増加した。結局選考に通過したインターンは、

G社(放送、ES→個人面接→4Days&2Days)

H社(新聞、ES・WEBテスト→個人面接→プレゼン作成→1Day)

I社(硝子、ES・WEBテスト・動画→2Days)

J社(化学、ES・WEBテスト→1Day)

K社(産業用機械、ES→2Days)

L社(化粧品、ES・WEBテスト→2Days)

M社(飲料、ES・WEBテスト→個人面接→3Days)

などである。こう見ると、秋冬インターンシップに参加した企業は、メーカーとマスコミばかりになっている。当時メーカーを選んでいた理由は、私がメーカーから気に入られやすいと気付いていたからだった。複数日のインターンシップで最初に通ったのがメーカーのA社であったことや、47INTERNSHIPで某化学メーカーから個人面談に誘われたことなど、メーカーとの親和性が高そうな証拠は幾つかあった。そのままの勢いで硝子メーカーとして最大手のI社に提出したESが通過したあたりから、「私はメーカーに行きたいのだ」と自分で自分を洗脳している状態になりだして、インターンシップに参加した頃には「ものづくりで世界を変えたい!」と本気で思っていた。呪いである。

一方、マスコミを見ていたのは、自分のしたいことが出来そうだったからである。と言っても、記者だとか番組製作といった花形に興味があったわけではない。興味があったのは、展覧会の企画であった。実は、大規模な博物館や美術館で行われている企画展というのは、博物館・美術館自体が企画をしているのではなく、新聞社を中心としたマスコミによって企画されている。私は同世代と比べてかなり多くの美術展に行く方だと認識していたし、企画する側になったとしても、楽しく仕事が出来るのではないかと思っていた。

そして、私は運の良いことに、H社の展覧会事業を企画するインターンシップに参加できた。展覧会をテーマにしたインターンシップ自体は面白く、社員の雰囲気も非常に良かったが(人事のやや年配の女性だけかなり高圧的で、学生を人として見ていない態度だったことが気になったが)、どうしても将来への不安が拭えなかった。新卒採用サイトが重すぎて動かないという事実から、デジタル化に大きく遅れをとっていることが察せたり、社員自身もコロナ禍で展覧会ビジネスの先行きが全く見えていなかったり、斜陽産業の代表格と言われる業界にしては、何とかなるだろの精神なんだなと思えてしまった。

結局、H社には早期選考で呼ばれたが一次面接で辞退した。その決定打となったのは、例のやたら重い採用サイトのメッセージに、「紙の新聞の価値はこれからも変わらない」と書いてあったことだった。それならば本業で赤字を垂れ流し、実質的な不動産会社に成り代わることはないだろう。危機感を持っていない(正しくは、持っているように見せかけているが実行に移せていない)企業に所属し、働く理由はないと感じた。

H社のインターンシップは、部門毎にかなり細かく分かれて用意されているため、「新聞社の業務の中でも特にこの業務を詳しく知りたい」と考えている人にはオススメできる。私が参加した事業職の場合、インターンシップ参加者限定で早期選考の権利が与えられた。早期選考ではインターンシップ選考で使用したESに一部加筆し、通過者は筆記試験・一次面接へと呼ばれる。私はこの時点で辞退してしまったが、ワンキャリアを見る限り、その次が最終面接だろう。あのペースだと12月中には内定が出るのではないだろうか。H社は、内定者の半分以上をインターンシップ経由で採っているとも噂されているので、もし新聞社を本気で目指すのならば参加するに越したことはない。


l社のインターンシップでは、素材メーカーの立ち位置と魅力を十分に理解することが出来た。正直なところガラス業界も先行きは怪しいと考えていたため、I社に対しても将来どうするのだろうかという思いはあったが、それは杞憂だった。インターンシップの初日に、ガラスの売上が落ちていくことを見越して、化学品・医薬品などの領域を事前に成長させていたことを知った。ここ数年は、ガラス事業の利益よりも、化学品事業の利益の方が大きいようだ。このように先を見通す力があると、就活生である私からしても「影響力と危機感のどっちも持ってて良いやん」という感想が出てくる。

素材メーカーは、私たちの生活であまり耳馴染みがないことから、何をしているのかを把握するのがかなり難しい。素材メーカーも認知度が低く、優秀な学生が集まってこないことに悩んでいるようだ。しかし、私たちの生活に欠かせないものを作っていることには間違いない。というか、社会にある大規模かつ根本的な課題を技術で解決しているのは、ほぼ全て素材・部品のような上流に位置するメーカーと言っても過言ではないと思う。素材の革新は、その素材を用いるすべてのメーカーに革新を与えるからだ。この頃から私は、嘘をつけない技術力勝負の素材・部品メーカーに惹かれつつあった。

ただ、素材・部品メーカーに惹かれていたのは、自分ではなく、自分の創った虚像だったと、後に知ることになる。


***


ここまで読めば十分お分かりいただけるとは思うが、インターンシップというのは就業体験だけを目的として行われている訳ではない。そこには隠された裏目的がある。

インターンシップを行う裏目的の1つ目は、企業に興味を持つ人の総数を大きくすることである。事実、インターンシップに参加することでその企業に対する知識は深まり、本選考も出してみようかなと思えることは多い。名前を知って貰えるかどうか、インターンシップで業務理解をしてもらえるかどうかは、企業にとっての就活一歩目なのだ。

そして、裏目的の二つ目は、優秀層の囲い込みである。就活生にとっては、これが非常に大事である。インターンシップで、私たち学生は常に評価をされている。特に参加人数が少なく、長期間に及ぶインターンシップでは、優秀層が早期選考に呼ばれるパターンが多い。企業側からしたら非効率でお金のかかる早期選考をわざわざ実施するのは、それだけ企業がその学生に興味を持っているからだろう。インターンシップが当たり前になったからこそ、就活を終えるタイミングも早期化が進んでいくのである。

そうこうしているうちに、2021年も残り1ヶ月になった。結局、「自分のやりたいことが出来て、かつ未来に可能性がある企業」は見つからないままだった。勿論、就活という闇に呑まれて、自分の虚像が自分に成り代わっていることにも気付いていなかった。



第四章

2021年12月25日。世間はクリスマスだが、私に予定は無かった。2年連続である。ちなみに3年前は、男5人でクリスマスケーキを食べた記憶がある。過去にないレベルの大雪によって、すっかりと雪化粧された札幌の街に出る気力も無く、暖かい部屋で一人これまでの人生を省みていた。

思い返せば、小さいときから夢のない子どもだった。幼稚園に通っていた頃、私は日々絵を描くことと、レゴを組み立てることと、時計を読むことにハマり、特に意識することなく小学校の教科書程度の文章は読めるようになっていた。小学生になった時点で、既に周囲から貼られた「頭が良い」というレッテルの保持に努めていた私は、あらゆる教科において優秀な子どもだったと思う。一方、それを自慢することもなく、中学受験組の「俺、二次方程式解けるんだぜ」自慢に対してもサラリと躱すことの出来る、大人びた子どもだった。もしかすると、今より小学生の時の方が性格が良かったのかもしれない。ずっと背が小さく喧嘩や暴力を嫌った私は、誰かの自慢に対して無駄に張り合い、険悪な雰囲気になってしまうことを避けたかったのだ。

そして、中学生になると、環境の変化についていくことが出来なくなった。それまでは1学年1クラスか2クラスの小さな小学校にいたのが、突然1学年8クラスのマンモス中学校にぶち込まれるのだ。正直なところ、中学時代の記憶のほとんどは私から抹消されていて、私の核心が思い出すことを拒んでいる。「色々あって、学校が嫌いだった」くらいのことしか書きようがない。今となっては、社会の縮図のような公立中学校に通っておいて良かったと思うこともあるが、少なくとも当時、そんなことを考えている余裕はなかった。

そういえば、同じクラスには、いじめが原因で不登校になった同級生がいたが、私にはその子が自分でいじめの原因を作ったようには見えなかった。いじめとは、たまたま標的になってしまった人が、たまたま被害者になる。そういうものだと認識している。それくらい、中学校で何が自分自身の身に降りかかるかは読めない。私は、クラスという小さな世界での幾つかの出来事をきっかけに精神を壊し、注目されないよう控えめに過ごす無口な少年になった。次第に学校も休みがちになり、自身の生きる理由を見失いつつあった。そのうち、誰もいない家で無意識に包丁を持って、そのたび我に返ってやめたりした。そんな崖っぷちにいながらも、誰も知らない遠い世界へと逃避することで、何とか中学校卒業まで辿り着いた私は、当たり前の生活を求めて自由な校風を持つ高校へと進むことを決めた。

そうして選んだ都立高校では楽しい学校生活を送ることができ、無事に精神状態が回復して今に至っている。勿論、高校生になったあとも、人間関係だとか将来の進路だとか諸々のことに悩んでは来たが、中学時代の経験とは比べるに値しないものだった。

だが、中学時代の経験は、私の人格形成に大きな影響をもたらした。まず、自己開示が極端に苦手になった。どれだけ仲が良くなったところで、自分のプライベートな悩みを相談することはほとんど無い。就活だって、「困ったことがあったら相談してね」とどれだけ言われようが、私から相談することは無かった。結局、キャリアセンターには行っていないし、模擬面接もしていないし、ESの添削も受けていないし、OB訪問もほとんどしていない。全て自己流で済ませてしまう。これは、根本まで辿ると、人のことを信用できなくなったということだった。私には、誰かの親切な言葉を一度保留して、心のどこかで「どうせ、そんなこと思ってないのに」と捉える悪い癖がある。

また、集団の中で険悪になりそうな雰囲気を察知したとき、それを中和する方向にすぐ持って行く意識を持っている。とにかく、人が苛ついている姿や、怒っている姿を見ることが苦手なのだ。だから、自分も人生で怒ったことはないし、何かに苛つくことも殆ど無いと思う。年齢を重ねるにつれ、自分の意見はちゃんと言うように心がけてきたけれど、雰囲気が壊れないよう、かなり気を遣っている。これは社会で過ごす上で、相当疲れることである。

何にしろ、私の性格は生きる上でかなり大きな障害となることに間違いなかった。少なくとも、円滑なコミュニケーションだとか、信頼関係だとかが重視される社会において、不適合であった。

こういう風に、人は一旦社会から転落すると、基本的に再度適応することが出来ない。就職活動も7人に1人は鬱状態になるらしい(そんなシステムが当たり前に罷り通っていることには、強い疑念を抱いてしまう)ので、それだけ社会からの転落者を生んでいるということになる。社会で活躍できる人材を探すために、社会から脱落する人間を作っている。馬鹿らしくて仕方がなかった。結局、どいつもこいつも自分勝手なのだ。別に、小さな悩みなら、あの時悩んで良かったなと思えるくらいに済むかもしれない。だが、悩みから生まれる苦しみがあまりにも長期化したり、深刻なものになったりすると、それだけ影響は長期化してしまう。私自身、中学時代は完全にその状態だった。だから人生なんて終わっちまえと思っていた。今でも「人生なんてさっさと終わりてぇな」と思いながら、生きるしかないから生きている。結局、私みたいな人間がこれ以上増えないことが、この世界にとって一番の善だと思った。

でも、それは不可能だと分かっていた。人間は愚かなので、誰かの上に立っていることを喜ぶ。誰かが犠牲になることを、ただ傍観する。だから「まあ、少しでも楽な生き方ができたら良い」くらいのことを考えた。そのためには、深刻な苦しみを保持し続ける状態というものを避ける必要があった。一方、最強に楽しいものをつくって、それを苦しんでいる人に与えたいとは思わなかった。なぜなら、それは自分が勝手に強要していることに過ぎないからである。そんな大層なことは、私のような暗い人間には向いていない。そもそも、私が見つけた楽しみは、あくまで私の楽しみであり、誰かがくれたものだという認識はしていない。だから、自分に出来ることは、色んなジャンルの小さな喜びを世に出しておくことだと信じた。誰かがそれを選んでくれたのなら、それで良い。私みたいな普通の人間に、大きな影響は与えられない。それでも、「人生なんてさっさと終わっちまえ」と言う人の世界で、一瞬でも登場する心の支えに携わるくらいなら、無理せずに仕事としてやっていけるかなと思った。

__と、良い雰囲気の言葉でまとめたが、こうして考えた「自分のしたいこと」はあくまで現時点でのものである。企業がやたら一貫性を求めてくるので、こちらも仕方なく一貫性を用意してあげたのだ。ほら、こうやって書くと、それっぽい動機があるように見えるでしょ。本当は、日々変わりゆく私の考えに、一つの軸なんてものはない。ただ、誰でも共通しそうで、変わらない軸を強いて言うならば、皆、自分自身に都合の良い世界を望んでいる。皆、誰よりも自分のことが好きで、自分第一に行動する。他人のために行動することだって、自分にとってメリットがありそうだからする。そこで他者を優先できる人は、とても強い人だ。

私はそんな強い人ではないので、今後も「自分のしたいこと」に沿って働ける保証は正直ない。というか、働かなくて良いなら働きたくない。でも、今のところ最低限の納得感は持てているので、きっと間違ってはいないのだろう。就活の軸は何度も見直していくことが大事だと、誰かが言っていた。こうやって自分自身との対話をして、納得感のある「自分がしたいこと」を見つけているうちに、聖夜は終わっていた。


***


2021年も終わろうかという頃、インターンシップに参加した企業から、早期選考の案内が次々と来るようになった。その案内の中には「他のインターンシップ参加者には広めないでください」という注意書きが書かれているものもあった。この時点で、インターンシップ参加者をランキング付けしていることは明らかとなり、この競争社会に対して鬱屈な気持ちを抱いた。そして、さらに悲しいことに、私はその鬱屈さを抱きながらも、高い評価を頂き内定へ一歩近づけたことに嬉しさを感じていた。この時期は、不条理な社会のシステムと、それを受け入れてしまう自分自身の心の汚さに辟易していた。

こうやって選考に受かったり落ちたりを繰り返すたびに、私は最初からあまり信用していなかった「社会人」という類の人間を、さらに信用できなくなった。「社会では信用が不可欠」と飽きるほど聞いたが、双方が互いに内面を隠しあって生まれる「信用」なんてものを「信用」と呼ばないで欲しい。私は面接で呼吸のように嘘をついている。企業も企業自身の現状に対して嘘をついている。「心からの信用は誰もしてないけど、その中で上手くやっています」って、誰も正直に言えない。それを当たり前とする就活のシステムに慣れていく。私は就活さんによって、しょうもない人間関係とくだらない嘘によって成り立っている社会へ歩み、着実に毒されていくのだった。


***


年が明けると、いよいよ面接に対峙しなければならない状況になった。その時初めて、企業によって志望動機のつくりやすさに大きくムラがあると気付いた。「すらすらと志望動機が書けて、面接でも自然体で話せる企業」がある一方、「志望動機は書きづらいし、面接も周到な用意を必要とする企業」があった。皆さんは、「この9ヶ月であれほど就活をやっていたのに、そんなことにも気付かなかったのか」と思うだろう。私だってそう思う。

こんな初歩的なことにすら気付かなかったのは、インターンシップと本選考で志望動機の作り方が根本的に違うからだ。インターンシップは、業務内容を知るという目的で行われるため、「どういう仕事をしているのか知りたいです」という、どこでも通用する志望理由を付けることが出来る。一方、本選考では、業務内容を知っていることは前提として、「この業務内容が、自分のしたいことと重なっているから、入社したいです」という志望理由にならなければならない。

先にも述べたように、自分の(現時点での)したいことは、端的に言うと「人生の逃げ場をつくること」だった。これに関連性がない企業ならば、わざわざ受ける理由はなかった。そして至った結論は、「素材をはじめとしたメーカーは自分が行くべき企業ではない」というものだった。実際、早期選考をいただいたBtoBのメーカーのESは、書くのにかなり苦労した。それはつまり「BtoBのメーカーから好かれやすいから、何となくここまで選考を受けてきたけど、本心はそこまで行きたくないよね?」と、本当の自分が語りかけてきていたということでもある。この結論は、私が9ヶ月かけて敷いてきた内定へのレールを、もう一度敷き直す程度には大きな影響を及ぼした。

結局、早期選考をいただいた企業のうち、すらすらとESが書けたのは化粧品メーカーと鉄道会社の2社だったため、まずはこの2社に力を入れようと決めた(一応抑えとしてBtoBメーカーもESは書いたが)。どちらもほぼ同時並行で選考は進んだ。

できるだけ自分らしいESを書く。

WEBテストをいつも通り受ける。

素直な回答を心がけて面接をする。

もう、こういう生活に慣れていた。相変わらず個人面接については得意なようで、自分の脳内でまとめていた意見を上手く伝える(即興で綺麗事を当たり前かのように語れる)ことが出来ていたのか、2社とも最終面接まで駒を進めることが出来た。

先に最終面接があったのは化粧品メーカーの方で、コロナの状況を鑑みオンラインで行われた。「男なのに化粧品メーカーを志望したのは何で?」とか訊かれるのかなと思っていたが、したいことを明確に答えられていたからかそういう質問はなく、後半は自分の内面を掘られる質問ばかりだった。

「文学部では何を専攻してるの」

「文化人類学を専攻していて、博物館学も齧っています」

「何か文化人類学でオススメの本ある?」

「『ピダハン』とか、『フィールド言語学者、巣ごもる』とかは面白かったですね」

「具体的には?」

「『ピダハン』でしたら、数という概念を持っていない人間がいるんだという事実に驚きましたね。私たちはついつい自分の見えている世界が、他者と同じものだと思ってしまう。でも、本当は全然そんなことない。ふと、自分と他者で見えている世界が違うんだなって気付いたとき、その人の話をもっと聞いてみたいなと純粋に思うんです。誰かのものさしを借りて世界を見ることの楽しさに気付かせてくれたところが、面白かったポイントですかね」

微妙にズレている回答をしている気がするが、多分何とか会話にはなっていたのだと思う。面接が終了した後、若手の人事の方から、「インターンシップの時からずっと思っていましたけど、造詣が深いですよね」と言っていただけたことが少し嬉しかった。

「結果は2週間以内にお伝えしますね」

連絡が来たのは、翌日の昼過ぎだった。これだけの時間をかけてきた就活は、たった5分程度の短い電話で終わるのか、と思った。

2022年3月23日。私は人生初の内々定を得た。


***


2022年3月24日。私は残った鉄道会社の最終面接を受け、その日の夜に内々定をいただいた。連絡は同様に数分の電話だった。

この鉄道会社に関してはかなり志望度の高い企業で、私がこれまで就活にかけてきた時間がやっと報われたような気がした。「この企業に行けば、最低限の楽しみを持って仕事が出来るだろう」と思っていた企業から内々定をいただけたことは、就活の抑圧感から解放されるきっかけとして十分だった。

こうして複数の内定を得て、私の「BtoBメーカーに行くべきではない」という思いは、確証に変わった。自分でも笑えるほど分かりやすく、面接に対する意欲がなくなったからである。たしかに、この情勢を鑑みるに、鉄道会社よりメーカーの方が安定しているかもしれない。給与が高いかもしれない。規則正しい生活が送れるかもしれない。それでも、最終面接の前日になっても、何の対策をする気にもならなかった。そして、私よりもそれらの企業に行くべき人がいることは明らかだったので、おとなしく辞退した。世界は出来るだけ多くの人が幸せになった方が良い。



エピローグ

東京は桜が咲き誇る季節になっていた。桜のように儚く散ることが美徳とされるのならば、クリスマスにあれだけ考えた自分のしたいことは、端から無かったことになるなと思いつつ、今日もイヤホンをしながら面接会場に向かう。なぜか、普段よりも歌詞を気にして曲を聴いてしまう。よりによって「就職試験の合格通知 面白い人間の不合格通知」という歌詞が耳に残った。そのフレーズがずっと耳にこびりつき、「ほんとそうだよな、俺はこの一年でつまらなくなった」と思いながら、同質的なリクルートスーツを着て面接を受けた。これが最後の面接だった。

私は結局、化粧品メーカーでもなく、鉄道会社でもなく、最後の面接を受けた出版社に入社することを決めた。ここが、第一志望の企業という訳ではなかった。ただ、締切前日に「ここなら、自分のしたいことが出来るかもな」と、何となくESを書いた企業だった。そして、一次・二次面接で最も普通の会話をした気がしたからとか、一番予想していないことが起こりそうだからとかいう、ハッキリしない理由で決めた。おそらく三次面接以上の人とは仕事でほぼ関わらないだろうから、質問で詰められようがどうでも良かった。もし嫌になったら辞めれば良い。大概のことは何とかなると信じる。自分でも驚くほど緊張しなかった面接から数日後、内定通知を受け取って私の就活は終わった。4月11日のことだった。


***


こうして私の就活は終わった。全てが終わってから就職先を親に報告すると「そっか、お疲れ様」と言われた。それくらいが私にとってはちょうど良かった。私みたいな人間は増えない方が良いと思いつつ、親にはずっと感謝している。親がいなければ、今この文章は書かれていない。私の全てを、親は知っている。

最初はメーカーを見ていたのに、いつの間にか全く違う業界へ就職することになっていた。振り返ってみれば紆余曲折も甚だしい就活である。ただ、紆余曲折が出来るほどに時間があったからこそ、私は最後の最後に今の自分が納得できる形で就活を終えることが出来た。結局、一番信頼できる情報というのは、自分自身が長きにわたる就活で得た経験だったのだ。

今の時代、就活はこうやったら上手く行くよと囁く情報は、インターネット上に転がっている。__いや、転がりすぎている。私たちは、その溢れに溢れた情報の中から、「自分にとって」正しい情報とは何かを、見定めなければならない。そのために、ある一つの情報を掴んでは、それをESや、面接や、インターンシップで実践する。そして、自分に合っているかどうかを確認して、もし合っていたら自分の中の一つの経験知として蓄え、そうでなかったら切り捨てる。私は、これを繰り返してある程度の型まで整えることに、11ヶ月という期間を要した。つまり私は、1ヶ月で自分の型を作れるほど有能な人間ではないし、逆に1年かけても何も学ばないほどに無能な人間でもなかったということだ。きっと大抵の人は私と同じだと思う。そういう私のようなありきたりの人が就活に適応するためには、残念ながら、それなりの時間をかけなければならないのだ。誰かのノウハウを簡単に自分のものに出来るほど、世界は優しくない。

参考程度にはなるが、私の就活状況を簡単に数字として挙げておこうと思う。もしこれを見ているありきたりの就活生がいたら、ほんの少しは参考になるかもしれない。

夏インターンシップES提出数:約55社

夏インターンシップ通過数:14社

秋冬インターンシップES提出数:約25社

秋冬インターンシップ通過数:16社

本選考参加数:10社(そのうち早期選考が7社)

本選考落選数:2社(2次面接落ちが1社、3次面接落ちが1社)

本選考辞退数:5社(全て早期選考)

本選考内定数:3社(そのうち早期選考が2社)


***


さて、長らく紡いできたこの話も、そろそろ締め時だ。結局、最後の最後まで就活に楽しさを感じられた瞬間はなかった。だから、全員に役立つ就活の方法論みたいなものは、この文章を読んでいるあなたに届けられない。私たちのほとんどは、就活というものに取り組む以上、目の前にある不安や恐怖と闘うことから逃げられない。そして、理想とは異なる結果に終わる可能性の方が高い。「夢は叶う」という言葉が平然と使われることこそ、その証明だ。もし誰でも「夢が叶う」なら、そもそも言葉にする必要なんてない。それでも、残酷に朝はやって来る。私たちに出来ることは、どうにか足掻くことだけだ。

就職先から内定通知書を受け取った夜、私は全く寝付けなかった。それは嬉しくて興奮していたわけではない。選択しなければいけないという恐怖からだ。最終面接が終わった後、自分のどういうところが評価されたのか伺う機会があった。「人当たりは柔らかいけど、芯を持っている」とか、「視点が独創的で、オリジナリティがある」とか、「素直で、回答から内面が見える」とか、そういうフィードバックは確かに嬉しかった。でも、面接官は、今までの人生で、本当にそういう言葉で、人を評価してきたのか。人を評価する時なんて、何となくの相性で決めていないか。相性に後付けされるのが、言葉ではないのか。たかだか20分の話で、本当に私が分かったのか。私は、そんなに分かりやすい人間なのか。内面が見えるなら、私がこういう文章を書く人間だと、分かっているのか。__あと10分長く話していたら、私は落ちていたのではないのか。

そう思えるくらいには、私の自己肯定感は高くない。一度、自己肯定感を失った人間は、素直に褒め言葉を受け取れるように出来ていない

実際、就活ではES、WEBテスト、グループディスカッション、面接と、様々な選考方法があるが、仕事の出来具合と最も相関がないのは面接だという。逆に、最も相関が認められるのはWEBテストだという。つまり、優秀な人間を選ぶのならば、WEBテストで上から順に採用すれば良いだけである。人間性などという面接官の主観など、仕事には関係ない。別に、自分より人当たりの柔らかい人間なんて、独創的な人間なんて、五万といる

内定という結果は、私の場合、実力が5%、巡り合わせの運が95%だ。だからこそ、自分が先の評価に見合うような仕事を出来る人間だとは思えなかった。私はこの先も、自己評価と他者からの評価のギャップに悶え、そのギャップを少しでも埋めようとしながら生きていく。そういう生き方しか出来ないのだと、割り切るほかなかった。

ここに来て、ようやく父親の「労働は運ゲー」という言葉が少し分かった気がした。そもそも、こうやって内定にありつけたのは、それ以前の人生に大きく左右されている。運良く良い両親の元に生まれ、運悪く中学時代に嫌な体験をして、運良く楽しい高校生活を送り、運悪く第一志望の大学に0.8点差で落ち、運良く企業に内定した。いや、これも全て運が良いことなのかもしれないし、悪いことなのかもしれない。何にしろ、私たちは、生まれた瞬間にある程度決められた道のりを、ただ歩んでいるだけという事実に変わりはない。

こういう運命論的な考え方は、自己肯定感の有無によって大きく方向性が変わってくると思う。自己肯定感が高い充実した人生を送っているのなら、どんな道になったとしても楽しいと思えるだろう。一方、自己肯定感が低ければ、仮に自分の思い通りに人生が進んだとしても、心に引っかかるわだかまりのようなものがずっと残る。

そういう大局的な運命に流されながら、自分の中ではとても大きな選択だが、世界から見ればとても些細な選択を、考えて、考えて、考えて、決断する。私にとって就活は、当たり前の営みの中で思考する苦悩と、真っ向から対峙するものだった。22年間生きてきた結果が、捨てきれなかった過去と歩いてきた結果が、生きていくための言い訳を探した結果が、これだった。

ただ、私は就活さんと闘って、ほんの少しだけ強くなったと思う。これからも、傷つきながら、それでも優しく生きていこう。ほんの一粒の、微かな希望を見つける旅を続けよう。そう思えるくらいには。

(了)




あとがき

こんばんは。Anzと申します。

職業選択というのは、途方も無いほどに自由です。少なくとも、これまで経験してきた進路選択とは、大きく異なっていました。

たとえば、大学選択は、幾つかの限られた指標を元に判断することが多いでしょう。学問・偏差値・学費・立地……。これくらいしか思いつきません。しかも、学費や立地というのは、ある程度環境で決まってしまうところもありますから、自分で迷って選択するのは、どの学問を専攻するかということだけのように思います。

その一方、職業選択というものは、ほぼ無限の選択肢から一つの職を選ぶという、途方もない問いです。分かりやすい偏差値なんてものはありません。私にとって21歳という年齢は、この途方もない問いと闘って、本当は子どもとして生きたいなと思いつつ、大人にならなければならない時期でした。

ふと、高校時代を思い返すことがあります。私の通っていた高校は「自由な校風」と呼ばれることが多い高校でした。そして、「自主自律」という言葉が、事ある度に叫ばれていました。当時、青二才な高校生だった私たちは、この言葉を軽視して「自由」だけを享受しようとしていたような気がします。しかし、私たちは「自由」を得ることと引き換えに、「自主自律」という言葉の重みを大切にする必要があるのでした。自由な世界に身を置くほど、自分の選択は自分自身にも周囲にも大きな影響を与える。それを十分に理解しなければならない、ということだったのかなと、今は思っています。

私は、最初のキャリアとして、企業に所属して働くという道を選びました。つまり、一定額の給与を企業からいただく代わりに、それに見合った仕事をする責任を負うということです。少なくとも、一週間の四分の一をその企業の発展のために費やすということです。もちろん、そうでない道を選択することも出来ます。自分で自分のしたいことを仕事として選ぶ生き方だってあります。私は小心者で、能力も無いので、その選択は出来ませんでしたが……。

結局、私は、世界で目立つことの無い、いたって普通の人間なのです。「俺みたいな普通の人間が、ちゃんと書いた就活記録って、全然転がってないよな」と、就活をしていた時にずっと思っていました。就活では『内定無双者が教える就活の極意』とか、『50社連続落ちダメダメ就活生の失敗談』とか、そういうヒキのあるコンテンツが好まれる傾向があります。就活生にとって、縋りやすい文章だからです。

でも、そうじゃない普通の人間が、普通に就活をして、特にノウハウを残すわけでも無く、ただ現実を述べる文章があっても良いように思えました。だって、出来すぎるわけでも、出来なさすぎるわけでもない人が、この世界には沢山いるんです。そういう人の隣まで届くのは、出来すぎる人間のノウハウではなくて、そういう人がありのままを述べた物語だと、私は信じています。この文章が、あなたの隣まで届く物語になっていたら幸いです。

こんなことを書いているうちに、遥か東からの目映い光が、私の眼を刺すような時間帯になってしまいました。では、また夜中にでも会いましょう。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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