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子どもから大人に、考え方の変化

あけましておめでとうございます!
「2022年」には近未来感を感じるけれども、「2023年」にはそれを感じないのは何故かを考えてるうちに年が変わっていたライアンです。
(多分、2022は”2”が三つ連なってるのがかっこよくて近未来感があふれるんじゃないかな)

そんな高校生のころと変わらないような思考をしている瞬間もありますが、高校どころか大学時代にも考えていなかったようなことを考えている時間が長くなってきました。例えば大学院での研究の方向や進め方、そして家族のこと。

自分は大学卒業までの22年間、そして大学院浪人中の1年間の合計23年間を親兄弟と同じ屋根の下に暮らしていました。あまりに当たり前で、その日々が終わりなくずっと続くのだと信じ、ふとした瞬間の不自由さから「早く一人暮らしをしたいな」という思考が脳裏をかすめることも。

なので、昨年の春から始まった一人暮らしでは大いに自由を謳歌しているでしょう。何時に寝ても起きてもいいし、食事や洗濯もすべて自分次第。お酒が飲みたくなったらフラリと夜の23時過ぎでも、コンビニや居酒屋に誰の目も気にせずに出かける自由すら手にしているのです。

行動経済学によると、ヒトは「得る喜び」よりも「失う痛み」を大きく感じやすいとのこと。自分も一人暮らしで手にしたものには目もくれず、失ったものばかり見ている時間があります。

一人暮らしをしている現在の家には、祖父母宅に引っ越すまでにあった横浜の家で使っていた家具のいくつかが運びこまれています。例えば、上面が少し凹んだ白いゴミ箱や、小学校入学時に買ってもらった勉強机、鍋物をしたりした座卓。いつもはただ「そのもの」としてしか見ていないけれども、感傷的な気分の時にはかつてあった生活を思い起すトリガーとなります。

干支が2周して、今年の12月に25歳になろうとしている自分。大学院への進学、一人暮らしの開始などで一気に人生の在り方が変わったように感じます。奨学金やアルバイトで現金を手にして、日々の生活を回す中で自分の人生を自分で決めて生きていると感じる機会が増えたからでしょう。「後悔のないように」と決めた博士課程まで含めた5年一貫制の大学院への進学。無事に博士号を取得できるかも、取得後に研究職を続けられるのかわからない。それでも日々ご飯を食べて、洗濯をして、掃除をして生きている。

自分のことだけでなく、日々生き続けるための仕事が発生したことで、考えるべきことの質が「子ども」から「大人」に変わって来たのです。考えることが過去と未来の方向だけでなく、空間的にも広くなりました。

だからこそ、年末年始に実家に滞在しても前と同じようには振舞えません。一人で二世帯分の家事を回す母をできる限り手伝ったり、話せるうちにと60歳を超えた父とできるだけ言葉を交わしたりしました。一年前の自分も同じようなことは考えていましたが、それまで以上に強い動機付けで行動していたと思います。一人暮らしの家に帰ってきて、その緊張が解けたのかこの2日間は少しお疲れモードで最低限のことだけをして生活していました。

先日、海外インターンで知り合った友人と数年ぶりに食事に行った時にも変化を感じました。はじめは近況報告から始まり、酔いが回ってきたころに気が付くと家族や人生の話に。それまではそうした話をしたことがなかったので、考えが変わったのは自分だけじゃないんだなということを感じました。別れて電車に乗ってからも、話しながら芽生えた漠然とした焦燥感は消えず、最寄り駅についてからもう少しだけアルコールを入れることに。「野菜のカクテルを出す隠れ家的なバーがあるよ」と最近教えてもらったバーに行き、大根のカクテルを注文。スゴカッタ。ショウソウカン ハ キエマシタ。

ついつい、なくした、目の前から見えなくなったものを探してしまいがちですが、自分の人生に新たにやってくるものもあります。見える視点が近くなったからこそ両親とできるようになった話、南極のコケの生態、友人との新たな話題、そして、ダイコンノカクテル。そうした新しく人生にやってきたものもいつかは惜しむ日が来ることでしょう。その時にする後悔が少しでもなくなるように、と今目の前にあるものに大切に接していきたいと思った24回目のお正月でした。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。