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朝の公園でコーヒーを飲む時間が教えてくれたこと

通勤途中にコーヒーを飲む。
今日も飲んだ。だけど,いつもと変えたことがある。

公園でコーヒーを飲んだのだ。
カフェではなく,公園で。

ーーー

最高にいい時間だった。
公園には,いろんな人がいた。
走っている人,犬の散歩をしている人,駅に急ぐ人。
私はベンチに座って,本を読みながら,コーヒーを飲む人。
(同時に,植物をジロジロ見ながら歩く人でもあった。)

耳をすまさなくても聞こえる,電車の音。
あの電車には急ぎ足で通勤・通学をする人たちが乗っている。

駅の周りは忙しない。
よくもまあぶつからないよねと思うくらい,絶妙に人を避けて歩く。
電車やバスに向かって,駆け足になる人とか。(駆け込み乗車は危ない。)
カフェは出入りが激しい。出勤途中の小休止ではあるけれど,仕事に行くという軸の中で過ごしている。完全にOFFとはならない。頭の中に仕事はある。
(そこでto doを確認するのも好きな時間ではある。)

一方で公園は。
まず空気が気持ちいい。朝だからこそ,木々の香りも感じる。
鳥が元気に泳いでいる。心地よい風が吹いている。日差しは柔らかい。
そして何よりも,時間の流れがゆっくりである。

待て待て,いつもなら私だって忙しなく過ごす一員なのだ。
誰とも知らない人と接触する近さで電車に揺られ,ぶつからないように歩く。
時間を気にして,少しでも効率よく過ごしたいと思っている。
スマホで電車の時間を調べて,天気を調べて,日々困ることの少ないように過ごそうとしている。to doリストだって,効率よく仕事をこなすための準備なのだ。

公園で過ごしてみると,日々が見直される。
こんなにも気持ちがいい朝でも,どんなに憂鬱な朝でも,スマホとPCと,効率の中で生きている。それが社会ってもんでしょ,なんて気持ちもある。

だけど,やっぱり疲れる。
ただ一つの生命体として,自然の中に身を置く。
人間が何を思い悩んだって,ダイヤが乱れたって,自然はそこにある。


(公園も人間が作ったものだけど,ね。)

ーーー

同じ朝でも,時間の感じ方が違う。
それは,自分がどう過ごすかによるのではないか。

もしゆっくりとした時間で過ごすことができるとしたら,
日々の忙しない時間ですら,
私はゆっくりとした流れの中で過ごせるのではないだろうか。

思索に耽る。
そんなふうに,ゆっくりした日々を過ごそう。


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