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読書記録:江戸学入門 江戸の理系力

著者・洋泉社編集部編
発行・2014年4月9日
ISBN978−4−8003−0373−8

前回に引き続き,明治以前の日本の科学について。
特に精神性に着目をした読書記録としていきたい。


遊びから学問への高まり

以前の記録でも書いたが,やはり遊びは欠かせないキーワードのようである。
日本の和算が発達した大きな要因のひとつは,遊びの文化だったという。

本書では「天地明察」の著者である冲方丁さんと,科博の科学技術史グループ長の鈴木一義さんの対談から始まる。「天地明察」でも,江戸時代の天文家である渋川春海と関孝和が算術の問題を出し合うシーンがある。

この遊びは,位の高い人間が独占していたわけではなく,庶民が広く楽しんでいた点も,江戸時代ならではだそう。
例えば,カースト制度のある国では,民衆に教養を与えぬべきであると考えるが,そのような考え方で独占することもなかった。
先の本でも,各藩が競い合うためにも,知識はトップが独占するのではなく,面白いと思ったことはどんどん取り入れられていたと,読んだように思う。

どうせやらなければならないのであれば,楽しくありたい。
これは,わたしが日頃大切にしていることである。

楽しくないと嘆いていても,世界は好転しない。
だったら,少しでも楽しくなるような工夫を考えたい。
そんなふうに仕事をしていると,自分の周りにいる人間が笑顔になってくれる。
そうすると,何よりも自分自身が働きやすくなる。

遊びが学問を高めるように,楽しい,好きは,何よりの原動力だと改めて思う。

遊びを楽しめたのは,天下泰平の時代だったからなのだろうか?
天下泰平であれば,どんな国でも,どんな場所でも,同じように遊びから学問が高まっていくのだろうか?
何が日本をそうさせたのだろうか?

「遊び」の根底にある精神性を知りたい。


時の捉え方

人間の生体リズムは,24時間ではない。
そして,季節によって昼と夜の長さは違う。
私たちが普段使用する時計は,そんなことは考慮されていない。
何がなんでも24時間を一定のリズムで刻み続ける。少しずつ体のリズムとずれてくると知っていても,私たちは時間に属して生きている。

江戸時代には,日の出と日の入りを区切りにして,昼と夜をそれぞれ六等分して,その一つを「一時」とした。つまり,季節によって,「一時」の長さが違うのである。このような方法を不定時法という。現在は季節に関係なく,1日を24等分して,その一つを1時間とする定時法が採用されている。

不定時法の方が,日の出と日の入りで活動する生物としての人間に合っているのかもしれない。

冬の17時なんて暗すぎて,早く帰りたい気持ちになる。
夏の17時なんて明るすぎて,まだまだ活動していたくなる。

冬の5時なんて暗すぎて,仕事に行くのをやめたくなる。
夏の5時なんて明るすぎて,仕事前に何かしたくなる気持ちになる。

江戸時代には,不定時法を採用していたため,季節に関係なく動く時計(=定時法の時計)では不都合が生じる。
そこで生まれたのが,季節によって調整可能な和時計である。

自分たちのリズムに合わせた複雑な時計を作ってしまったのである。
なんだか生物としての人間の営みを大切にしているようで,すごく愛おしい気分になる。

人間が社会システムを作っているようでいて,実は人間はそのシステムを制御できなくなっていて,隷属するしかないのではとすら思う。
「こうであるべき」とか「こうしなきゃ」とか,そんな思考に悩むことだってあるけれど,「それしかないわけないでしょう(=ヨシタケシンスケさんの絵本より)」。

もっと柔軟に生きることを楽しむヒントを,和時計に見た気がする。



遊べるだけの平和

本書には,「第5章 江戸を彩る理系人たち」として,さまざまな人物が紹介されている。田中久重は先の読書記録で紹介した通りだが,他に国友一貫斎,宇田川榕菴などが紹介されている。

国友一貫斎は,空気銃を作成したり,反射望遠鏡を作成したり,現代からも引けを取らない高い技術を持っていたそうである。
宇田川榕菴は日本語がなかった学術用語に,造語ー例えば,燃焼・酸化・還元・試薬・成分・水素・酸素・炭素などを考え出して対応させている。「珈琲」の字も考案したと言われているらしい。

佐久間象山は,思想家でありながら,西洋の科学技術への関心も高かったという。治療用のエレキテルを作成するなど,さまざまなものに挑戦し,製品化・実用化を試みた人である。

しかし,彼が生きた時代は江戸末期,激動の時代を生きた彼は,尊王攘夷派の怒りを買ったことによって暗殺されてしまうのである。

もし平和な時代に生きていたら。
もっと多くの発見・発明を楽しむ時間があったならば。

今の時代,そんなことを考えずにはいられない。
科学は戦争と密接な関係にあることは否めない。
戦争が科学を推し進めることもある。しかし,戦争によって世界は後退する。

科学そのものが悪いわけではない。
だからこそ,私たちは科学を知る必要がある。


遊べるだけの平和を。


ーーー
今回は読了からnoteまで時間が空いた。
読書記録は片手間では書けず,ある程度のまとまった時間をつくるまでに時間がかかったのである。
早くやらなきゃなあと,書くべき思考にさいなまれたりもしたし,頭の中にずっとタスクとして残っていた感じだった。それは読了後にできるだけ早く書くべきという,自分自身の考え方によるものである。

そして,時間が空いて書くにあたって,付箋を付けた箇所をみてみると,ぶわっと本の内容がよみがえってきた。

時間が経ってから書くのも,悪くない。

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