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多様な家族をひとつひとつ拾い上げる物語|いとうみく(児童文学作家)【後編】AnoMartsインタビューvol.5


苦しい状況や、挫折を感じたことがある読者ほど、いとうさんの作品を読むと、
まるで自分の事を書いている物語だと感じるでしょう。
そして最後には人生捨てたもんじゃないとポジティブな気持ちになります。それだけ、いとうさんが主人公達の気持ちに寄り添って、応援しながら物語を書いているからだと思います。
たしかにお話を聞いていると、物語の登場人物がまるで実在の人物の事を話しているような時がありました。いとうさんの作品達は子ども達の人生のピンチの時に、きっと心の支えのような物語になると思います。後編では、家族の物語、幼年物語についてお聞きしました。
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『あしたの幸福』(理論社)松倉香子・絵
あらすじ 父と二人暮らしだった中学生の雨音。ある日父が突然事故で亡くなって、離婚した生みの親だけどほとんど会った事のない国吉さんと暮らす事に。この国吉さんがかなり独特の感性の持ち主で、雨音は衝撃を受ける。度重なる衝突のうちに、離婚の理由や娘を思うある秘密が明かされ、さらに新しい家族の形へと発展していく。

『バンピー』(静山社)
あらすじ 母が病気で亡くなり、父が家出。長男の高校生の成は、妹3人の面倒をみながら学校に通う生活を、小春おばさんの助けを借りながらなんとか頑張っていた。そんな時、4人目の妹と名乗る女子高生が万引きで捕まったと連絡が入った!その妹の正体は?父が家出した理由は?成は家族を守れるのか?デコボコ道を走る家族の物語。



一人一人を大切にして見ていきたい

●次に『あしたの幸福』なんですが、変わった家族の形の物語ですよね。

 家族を書く事が多いねってよく言われるんですけれど、言われてみたらそうなんですね。なんていうか、家族ってすごく複雑でいろいろな事情があるじゃないですか。そういった人たちを書いていくとドラマが生まれるんです。
 血の繋がらない親子が家族になるというお話ってよくありますよね。『あしたの幸福』はその逆で、血は繋がっていても家族として認められない関係。親子だけど親子と思えていない。そういう人たち同士が暮らしたらどうなるだろうと思ったんです。その時に、お母さんが普通の価値観の人だとこうはならないと思って。悪気はないのに、人間関係がうまくいかない。そういう個性をもった女性がお母さんという設定です。

●母親の国吉さんは臨機応変、ケースバイケースが苦手な特徴があります。それは、いわゆる発達障害のASD的な特徴だと思うのですが。

 そういう人達の苦しさっていうのもあると思うし、まわりの人たちの苛立ちもある。だから国吉さんは結婚生活が上手くいかなかったんです。ご主人はそういった特徴も含めて、丸ごと国吉さんという女性を愛していたのですが、義理のお母さんには国吉さんが理解できない。だから「欠陥人間」なんて言ったりして。どうしても受け入れることができなかったんでしょう。
 発達障害とかADHDやASDなど名前が付く事で救われる部分もあると思います。原因というか、理由がわかることで、本人も周りの人も安心するといいますか。そういうことってたしかにある。
 でも私は、発達障害などの名前をつけて終わりじゃなくて、それより一人一人の個性、個人を見ていくことが大切じゃないかなって。名前をつける以前に、この人はどういう人なんだろうと、一人一人の個性を大切にできるといいなと思っています。

●お父さんの婚約者も登場して、意外な家族の形になります。その展開が面白かったというか、家族の形が普通じゃなくてもいいんだなって思いました。

 そうなんです。本当に家族の形って、百の家族があったら百通りの形があっていいし。実際そうじゃないですか?夫婦関係もそれぞれ違うし、普通の家族なんかどこにもいないと思うんです。そこがおもしろいところだと思っています。

●でも国吉さんの義理のお母さんや、雨音のマンションの近所のおばさんとかは世間一般の“普通”の家族像みたいなものを押し付けてきます。

 やはり少しでも形が違うものは拒もうとする人も少なくないですよね。何か事件があった時に、「あのうちは片親だから」「親がああいう仕事をしているから」「母親が厳しかったから」とか…。なにか違いがある事で安心したり。
 でもよく見たら、あなたの家族は普通?って。必ず何かあるんですよ。小さくても何か違うことはあるじゃないですか。
 その家族の多様なところを一つ一つ拾い上げて書いていくのが物語なのかな。私は児童文学を書いているので、やっぱり子供が真ん中になる家庭を書いているのですが。

大変な状況でも生活の中で、
ゆすられて納まるのも人の強さ

●普通じゃない家族の形という面では『バンピー』もそうですよね。こちらではヤングケアラー的な面もあって、家族のお世話をしています。

 そうですね。今も昔も家族を背負っている子はたくさんいると思うんです。それは必ずしも悪いことではないと私は思っています。
 親にも事情があって子供にもたれたり、頼ったりすることもあります。良いことだとはいいませんが、そうならざるを得ないことだってあると思います。そうやって家族のケアを担っている子どもをヤングケアラーと言われています。『バンピー』なんかまさにヤングケアラーです。けっこう大変な状況なんで、主人公の成は。お母さんが亡くなって、お父さんもいなくなったというなかで家事をし、妹たちの面倒もみています。本当は大人や社会はもっと成たちをサポートする必要があります。でも、物語って正論だけを述べるだけのものじゃない。むしろ、それはそうだけど、そういう状況になっている子(人)がどう生きるか…。そこに物語はあると思うんです。成は彼につきつけられた現実を受け入れるわけです。それができてしまうのは、成には妹達という守るべきものがある。その妹達を守りたい気持ちが成を動かすんです。
 大変なことって、たぶん最初はテンパって頭もまっ白になると思います。でもそうした日常をつみ重ねていくことで当たり前になっていく。決していいことではないんですけど、そういう事ってあるんですよ。私なんかも自分の経験上そうなんです。
 たとえば、あずきを升に山盛りに入れてゆすっていくと、だんだん納まっていきますよね。その“ゆする”ことが“生活”だと思います。大変だと思っていたことも毎日の生活の中で、ゆすられて納まってきちゃう。それが人の悲しさでもあり強さでもある。
 ただ、とても重要だと思うのは、ゆするにしても“受け皿”がないと怖くてゆすれません。こぼれたものを受け入れてくれるものが無いと、こわくて動けない。生活が立ち行かなくなっちゃう。ゆするってことができるのは“受け皿”があるからなんです。

●『車夫』の力車屋なんかは、そういう“受け皿”的なものになりますよね。別の新しい家族みたいな。

 そうですね。主人公の吉瀬走は孤独になって生きていくこともままならない状況なんですが、力車屋が“受け皿”になってくれます。あそこで生活していくうちにだんだん大人になっていったり、逆に少し子供になれたりとか。ゆすってこぼれても、受け止めてあげるよっていうもの。それが社会だったり、近い家族や大人、友達、それから福祉だったり。その“受け皿”という存在を私はどんな家族の物語の中でも必ず書いているはずなんです。それがないと絶対無理だと思うから。


『ぼくんちのねこのはなし』(くもん出版)祖敷大輔・絵
飼い猫のことらは最近調子が悪い。ごはんも食べないし、病院に行っても治らないみたい。お父さんもお母さんもなす術がなくて元気がない。僕が生まれた時からずっと一緒だったのに。大切な家族の一員の猫との別れを描いた、ペットのいるすべての家族にささる、涙なしでは読めない物語。



小さな子ども達の言葉にならない言葉を物語に

●『ぼくんちのねこのはなし』など低学年向けのお話の場合は書く時のモードチェンジなどはあるんですか?

 書き方は全然違うんですけど、YAであっても、低学年ものであっても人を書くという根本のところは変わりません。ただ意識しているのは、低学年ものはあまり重い話にはしないということはあります。それから、特に低学年ものの場合は、子どもの代弁者ということも意識しています。これは、児童文学のひとつの役割だと思っています。
 小さければ小さいほど語彙が少ないじゃないですか。心の中に思いはたくさんあるのに、なかなか言葉にできないですよね。そういった子どもの言葉にならない思いを物語にしていきたいと思っています。

●そのなかでも『ぼくんちのねこのはなし』はかなりしっかり“死”に向きあっているお話ですよね。

 これは私の中では特殊なんです。というのは、私は基本、作品にモデルは用いません。でも『ぼくんちのねこのはなし』は私の家の飼い猫がモデルで“わたしんちのねこのはなし”なんです。物語に出てくることらと同じように16才のねこで、腎不全になってしまったんです。病院へ行っても治療法もないし、食欲もなくなってどんどん弱っていって。やるせなさや不安でどうしようもない時に、今の自分の状況を物語として書いてみようと思いました。
 帯に“命の問題ってほんと難しい”って書いてあるんですけど、私は命の問題を考えようと思って書いたわけじゃなくて、目の前にいる“ことら”に向きあって書いただけ。本当に書いている時も涙が出たし、校正の度に泣いてました。でも、これを書いたことでとても救われたんです。書くことで救われるというのを初めて実感しました。書くってすごいなと思います。

●作家さんは自分の人生が自分の作品で救われることがあるんですね。

 書くって傷口をえぐるような作業でもあるんですが、結果的にそれで救われました。登場人物を掘り下げて書く。自分のことって案外わからないし、つらいことからは目をそらしたくなるのですが、物語として人物をある程度客観視しながら掘り下げていくと、逃げるわけにはいかなくなる。すると、自分が気づかなかった事が見えてくる。そうすると気持ちの中で、だんだん落ち着いておさまっていきました。なので、この作品はほかの作品とはちょっと違う感じで書いたんです。

●ご自身が読んできた本で、子ども達におすすめしたい作品はありますか?

子どもの頃に読んで面白かったのは、
■『ちいさいモモちゃん』モモちゃんとアカネちゃんシリーズ
(1~3巻が特に) 松谷みよ子
■『小さい魔女』 オトフリート・プロイスラー
■『赤毛のアン』 モンゴメリ
の3作品です。

●これからチャレンジしてみたい事はありますか?

いつか書いてみたいのはミステリーです。ただ今の私の書き方だと難しいかな。ミステリーってプロットを立てて、謎がちゃんとわかってないと、ダメだと思うので。ラストがわからないまま書く私みたいなスタイルではちょっと(笑)

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いとうくさんの作品 好評発売中です!『おねえちゃんって、あれれ、あかちゃん?』いとうみく・作 つじむら あゆこ・絵(岩崎書店)『1ねん1くみの女王さま えんそくラララ』いとうみく・作 モカ子・絵(Gakken)

プロフィール
神奈川県生まれ。『糸子の体重計』(童心社)で日本児童文学協会新人賞、『朔と新』(講談社)で野間児童文芸賞、『あしたの幸福』(理論社)で河合隼雄物語賞、『ぼくんちのねこのはなし』(くもん出版)で坪田譲治文学賞受賞など。おもな作品に、『かあちゃん取扱説明書』『天使のにもつ』(以上、童心社)、『二日月』(そうえん社)、『車夫』シリーズ(小峰書店)、『ひいな』(小学館)、『トリガー』(ポプラ社)、『1ねん1くみの女王さま』シリーズ(学研)、『つくしちゃんとおねえちゃん』(福音館書店)、『バンピー』(静山社)などがある。全国児童文学同人誌連絡会「季節風」同人。

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