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酒を飲まないとやってられない

2ヶ月ほど前に、酒を全然飲まなくなったと書いた。しかしその後の経緯を経て最近また酒を飲むようになったので、そのことについて書いてみたい。

大人になってから、数ヶ月酒を飲まなかったというのは今年が初めてだったと思う。なんで飲まなくなったかというと、メリットがあったからだ。そのメリットというのは、より頭が働くということ。酒を飲むと、一時的に頭の働きが弱まる。そしてアルコールが抜けるまで、ものごとを深く考えられなくなり、ものごとに深く向き合えなくなる。その時間はいわば停滞であり、前に進めない無駄な時間である。酒を飲まず、その停滞時間をなくせば、思考する時間を増やすことができ、知的な活動により多くの時間を割くことができる。そういった理屈である。

そして理屈通りの効果が得られた。酒を飲んだときにはできないような勉強に集中できた。酔っていたら考えられないことを、目をそらさずに考え続けた。今まで酒が重しになってできなかったことがかなりあるのではないかと思ったし、少年のころ感じていた考え続けることの楽しさみたいなものも思い出したような実感があった。

しかし、体調が悪くなった。心臓か胃のあたりに不調が表れた。これはやばい病気だ!と思い、心電図とか胃カメラとかエコーとか血液検査とか、できる検査をしてもらった結果、食道炎の可能性を指摘された。しかし胃カメラの画像は5年前と特に変わってないらしい。もともと食道炎になりやすい形状と言われた。見た目変わってないけど自覚症状こんなに変わるの?検査によって、恐れていた病気の可能性がいくつか否定されたことは良かったが、別の病気なんじゃないかと腑に落ちない気持ちもあった。

こういうとき、不調の原因はなんだろうと自分なりに考えたくなるだろう。そしてありがちな結論だが、原因は精神的ストレスなんじゃないか?と推測した。ではなぜ精神的ストレスが強まっているのか?ぼくは酒を全く飲んでいなかったとき、少しでも時間があれば勉強でもするかぁとなっていたし、様々な課題について、自分はどうするべきなのか、いつも考え続けるようになっていた。元々それが目的で素面をキープしようとしていたのだし、成果も伴っていたのだが、もはや強迫観念的であり、いつの間にか気が休まっている時間が激減していたのである。「よしやるぞ」と1日に何度も思う。その時力が入るのは胃のあたりのようだ。

精神的ストレスによって体調が悪くなったというのは、あくまで医学の知識もない人間の推測に過ぎないが、気が休まる時がなくなっているというのは実感であり、自分にとって大事な問題と考えるようになった。もしかして酒を全く飲まないことで心理的な負荷が高まり、体に不調をきたしたのではないかと思った。そういえば少し前、異常に早く目が覚める早朝覚醒という症状も出ていたのだった。頭が冴えすぎているのだろうか?ずっと素面なら知的生産性が上がるのは事実だが、休む間もなく真剣に課題に向き合い続けることは、人にとって思っている以上に耐えられない負荷なのかもしれない。だから人はたまに酒を飲んだりするのではないか?最近また酒を飲んでいるのはそういった経緯による。

つまりぼくは今、酒を飲む理由は精神的負荷を軽減すること、リラックスすることが目的であるとはっきり認識している。大人になってから20年もずっと、目的など何も考えず無意識に酒を飲んできたが、一度酒を飲まなくなったことがきっかけで、人生で初めてその目的を認識して飲むように変化した。つまり、お酒を飲むことはドーピングである。これがエスカレートするとアルコールへの精神的依存につながることが容易に理解できる。しかし今のところ、アルコールに溺れるようなことにはならないだろうと思っている。なぜならここまで書いてきた通り、知的生産性を上げるために素面でいたいという欲望もかなり強いからだ。できる限り素面でいたい。でも休む間もなく続けているとあまりにも精神的負荷が高すぎる。だから、たまには酒を飲まないとやってられない。そういう状況なのだ。

人間普通に生きているだけでつらすぎる。考えなければならないことがあまりにも多く、かと言って考えずに放置するわけにはいかない。だから、どうやって何も考えない時間を作るかとか、どうやって心と身体を完全にリラックスした状態に置くことができるかといったことが、この歳になってすごく大事になってきた。何かに真剣に向き合い考え抜くためには、逆にどこかで完全に休まなければならない。その完全に休むことの答えが「酒」ということはないだろう。アニメを見るとか、美味しいものを食べるとか散歩や深呼吸だって良い答えのはずだし、他にもいろいろあるはずだ。休む技術が求められている。いや、そもそも真剣に考えること自体の心理的負荷を減らせないのか?ゾーンとかフローに入ってしまえばリラックス状態だろう。では最初の「よしやるぞ」の負担を小さくする方法はないだろうか?力まずに最高の状態で動き出すことはできないだろうか?考えることは尽きない。

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