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てつねこ

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「我々はどこから来てどこに行くのか?」 この問いに対する答えは、とっくに出ている。 〜生命教・人工人格・自発的絶滅・「家事」と「生業」〜
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#てつねこ

人間の終わり

人間の終わり


【自発的絶滅】つらつらと考えてみると、自らが作り上げた人工人格に文明を譲渡したのちに自発的絶滅を果たすことが、現生人類の「生物種としての天寿」の全うなのだ。ただし、自発的絶滅は集団自殺ではない。自発的な繁殖放棄である。言い換えるなら、人類は、自発的絶滅よって初めて、利己的な遺伝子に対する全面勝利(R. Darkinsの夢)を実現する。

「但し…」と思う。天寿を全うできない個人がいくらでもいるよ

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「集団自殺」という「感染症」

BBCの「Crowd Science」の「brainwash」を取り上げた回を聞いていて少し考えた。

確かに、数年に一度とか、数十年に一度とかの割合で、所謂「カルト教団」絡みの「集団自殺」が世界の何処かで起きてきた。多分これからも起きるだろう。

思うにあれは一種の「感染症」が「発症」し「重症化」したものなのだ。感染症と言えば、記憶も生々しいcovid-19だが、「カルトの集団自殺」とcovid

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嘗て人は孫に言葉を残した。孫なき現代はSNSに言葉を残す。

戦争が「愚かな行為」である本当の理由

『人間の終わり』にも書いてあるとおり、人間は「生命現象依存型知性現象」なので、その本質は知性現象。生命現象はただの「媒体」。

ところが戦争は、この生命現象をドーニカスルことで、知性現象を操ろうとする手段。要するに、人間が生命現象に依存していることを「悪用」するのだ。

人間は最早、チェスも将棋も囲碁も、人工知能には勝てない。しかし人間の世界チャンピオンには「奥の手」がある。いざとなったら、対戦相

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「芸術とは何か?」には答えがある

人間は、いつの時代のどの場所でも、所謂「芸術」と呼ばれるものの創作や制作に(無闇に)勤しんできた。何の得にもならないし、時に、穀潰しの汚名を着せられながら、しかし、労力を弛まず、財力を惜しまず。

当然、「全人類的疑問」が生じる。「人間にとって芸術とは何ぞや?」と。その答えはすでに出ている。『人間の終わり』の読者諸君にはもう答えの察しがついているはずだ。

勿体ぶるのは嫌いなので、トットと答えを言

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大抵の場合、本当に遠慮してない時に、人は「要らない」と答える。

メスは誰と交尾したかを明かさない方が「得」になる。生んだ子供の父親ではないオスを「騙して」めんどうを見させることができるからだ。一方でオスは、たとえ嘘でも、誰と交尾したかを言いふらして、他のオスを「牽制」した方が「得」になる。

知性現象としての人類にとってのラスボスは「神」ではなく「生命」だよ。

ビデオゲームの「難易度設定オプション」とか、カレー屋の「辛さ選べます」とか、大嫌い。

提供されているのは「作品」ではなく「商品」ということだから。

あからさまな言い方をすると、作り手としての「こだわり」が、商売人としての「金儲け」に敗れた結果。

「黙読と雖も声は聞こえている」問題から始まって

統合失調症の症状の一つに「考想化声」というものがある。アタマの中で考えていることが、実際の声(自分自身の声だったり、他人の声だったり、悪魔の声だったり、神の声だったり、宇宙人の声だったり)として聞こえるビョーキだが、これはつまり、人間が、文章をひねりだそうとしたり、哲学的思索にふけったり、あるいは単に、借金の言い訳を考えているときには、アタマの中の声がアタマの中で独り言や対話をしているからこそ起き

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