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四聖諦 明確に心を知る① ルアンプー・プラモート師

ルアンプー・ドゥン師の伝記を読むと

ドゥン師がアチャン・マン師に出会う前

ルアンプー・ドゥン師 (1888年~1983年)
アチャン・マン師(1870~1949)

ドゥン師は修行について探し求めていました

様々な修業寺を訪れており

ある時は蠟燭を5本灯し

それに囲まれて瞑想し

五つの喜びが沸き起こるように

儀式を行ったりしていたのでした

それは一つの奇術だったのです

しかし

もしも心に静けさがあるのならば

喜悦(ピーティ)は沸き起こるのです

多くの人はお坊様先生達が

喜悦を生じさせてくれると願っているのでした

しかしそのようなことが起こる事はあり得ないのです

ルアンプー・ドゥン師がアチャン・マン師に出会った時

アチャン・マン師の教えは完全なものでした

原因と結果があり

信仰する要素は全く無かったのです

アチャン・マン師はプットー瞑想を教えました

森林派のお坊様は大体プットー瞑想を教えたのです

瞑想により

心は静けさで穏やかになり

身体について観察することが出来るのです

ルアンプー・ドゥン師はこの事をアチャン・マン師から学んだのでした

ルアンプー・ドゥン師はアチャン・マン師に教えを請う為に会いに行き

その後はアチャン・マン師を探し求めに行きませんでした

法の実践の柱となる原則を学んだので

それを実践していったのです

アチャン・マン師はプットー瞑想を使い身体を観察したのです

ルアンプー・ドゥン師は

その後

それほど長い時間は掛かりませんでした

そして再び

アチャン・マン師に教えを請いに

行ったのでした

それは

マン師の教え修業の結果を伝えに来たのでした

ルアンプー・ドゥン師はアチャン・マン師に向かって

『法の実践によって「それ」に出会った』と言ったのです

「それ」とは煩悩の4つの段階*の事でした

その時

ルアンプー・ドゥン師は間違いなく

一つ目の段階を乗り超えていたのです

しかし

ドゥン師は二つ目の段階を完全に乗り越えることは出来ませんでした

ルアンプー・マン師はドゥン師の賢さを褒めたのでした

それは自分自身の煩悩に気づくことが出来たということを

褒めたのでした(続く)

煩悩の4つの段階
預流果・一来果・不還果・阿羅漢果

6:01 ~

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